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悼むひと 元兵士と家族をめぐるオーラル・ヒストリー | 遠藤 美幸

¥2,530 税込

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生きのびるブックス 2023年
ソフトカバー 248ページ
四六判 縦128mm 横188mm 厚さ18mm


- 内容紹介 -
戦場体験者の証言が浮かび上らせるのは、歴史的事実だけでない。話せないこともあれば、伝えたくても伝わらない真実もある。戦没した仲間への哀惜。「勇ましい」戦後右派への不信…。ビルマ戦研究者であり、戦友会、慰霊祭の世話係でもある著者が、20年以上にわたる聞き取りをとおしてつづった、 “痛み”と“悼み”の記録。

「生き延びた元兵士らの言葉とともに戦没兵士の言葉も若者にこそ届けたい。(略)戦争の傷跡はあちこちに残っていて、いまだ癒えていない。私たちは『終わらない戦争』の中に生きている」(本文)


- 目次 -
まえがき


◆第1章 九八歳の「慶應ボーイ」 
「知らせたい人リスト」 
十人十色の戦争体験 
徴兵猶予停止と学徒出陣 
軍に嫌われた!? 福澤諭吉と経済学部 
「出陣学徒壮行会」をサボって何処へ 
「出陣学徒壮行の地」の碑の建立 
「戦争はいけません」 

◆第2章 初年兵の「ルサンチマン」 
「ジャワは天国、ビルマは地獄、生きて帰れぬニューギニア」 
拉孟戦とはなにか? 
「安はやすやす祭り上げ、龍と勇がしのぎを削る」 
初年兵の「ルサンチマン」 

◆第3章 永代神楽祭と「謎の研究者」 
戦友会の代表世話人に 
永代神楽祭とは? 
引き継ぎ業務 
遺族同士を繋げる「ボンドガール」 
戦場体験を聴くということ 

◆第4章 戦場と母ちゃん 
老兵からの電話 
手渡されたノートの切れ端 
母ちゃんのバカ 
千人針 
初年兵教育 
母ちゃんを思う気持ち 
晩年の老兵たちの言葉 
最期の言葉は「お母さん」 

◆第5章 一〇一歳の遺言 
一九四一年一二月八日「開戦」 
コタバル敵前上陸
シンガポール攻略 
死んだ人にも格差 
インパール作戦からの敗退 

◆第6章 ビルマ戦の記憶の継承――元日本兵の慰霊を続ける村 
「戦友愛」と遺骨収集 
ウエモンが見た戦場のリアル 
慰霊に人生を捧げた中隊長 
ウェトレット村での戦闘 
元日本兵の慰霊を続ける村 
ミャンマー贔屓
ビルマは「親日的」なのか 
ミャンマー国軍と日本 

◆第7章 音楽は軍需品なり――朝ドラ「エール」とビルマ戦線 
古関裕而のもう一つの顔 
南方「皇軍慰問団」と拉孟
「ビルマ派遣軍の歌」 
音楽家の戦争加担 
「音楽は軍需品なり」 

◆第8章 いま、戦争が起きたらどうしますか? 
元陸軍中尉の問いかけ 
最後に愛が勝つ 
「勇ましい」戦争非体験者たち 
不戦を訴える元兵士たち 

◆第9章 戦没者慰霊祭に響き合う「ポリフォニー」 
遺族間の「温度差」 
戦死した「貴方」の無念を伝えます 

◆第10章 やすくにの夏 
御明大作戦 
一〇〇灯の御明 
靖国参拝に訪れる「ふつうの人たち」
みんなで参拝すれば怖くない 
美化された「英霊」 
元特攻兵からの手紙 
特攻と桜│裏の真実 
戦没者を悼む場所 
 
◆第11章 戦友会「女子会」――元兵士と娘たち
元特攻兵の娘 
戦友会に参加する娘たち 
父の遺志を継ぐ娘 
「父に近づかないでください」 
戦史研究に熱心な息子たち 
亡父と「和解」した娘 

◆第12章「戦場体験」を受け継ぐということ
戦争前夜 
平和ボケ 
客室乗務員からビルマ戦の研究者へ
慰霊登山と拉孟 

◆最終章――非当事者による「感情の歴史学」 
手本はイギリス式オーラル・ヒストリー 
生きた歴史に触れる
「主婦研究者」もけっこうツライ 
歴史事実が歴史化されるとき 


あとがき 


- 前書きなど -
まえがき 

◆戦場体験者との出会い

 もともと戦争にはまったく興味がなかった。ひょんなことから普通の主婦が戦場体験者への聞き取りをすることになり、かれこれ二〇年以上も続けている。もう還暦を迎える年齢になったが、きっかけは二〇代の頃、たまたま飛行機の中で知り合った拉孟戦に従軍した元飛行兵との出会いだった。その後しばらくしてから結婚し、子育てをしながら慶應大学大学院に進み(この時はイギリス近代史研究をするため)、その後、紆余曲折があり十数年の歳月を経て拉孟戦の「主婦研究者」になった。飛行機での偶然の出会いと研究者になるまでのプロセスは本文に譲るとして、拉孟戦を知らない人がほとんどだと思うので、少しだけ触れておきたい。ご多分に洩れず私も「拉孟」なんて聞いたこともなく、どこにあるのかもわからなかった。さらに拉孟がビルマ戦の一戦域と聞いても、そもそもビルマ戦がよくわからなかった。わからなくてあたりまえ。慶應大学の歴史研究者も拉孟をご存じなかったのだから。ご存じの方は相当の戦史通だ。
 拉孟戦とは、一九四四年六月から九月に援蔣ルート(連合軍の補給路)を遮断するために約一三〇〇名の日本軍が中国雲南省の山上で約四万の中国軍と対決し全滅に至った戦闘(当時の軍隊では「玉砕」と呼称)のこと。数多の皇軍兵士が今もなお祖国に帰れずに中国雲南省の山奥で眠っている。防衛庁防衛研修所戦史室編の公刊戦史(『戦史叢書 イラワジ会戦─ビルマ防衛の破綻』朝雲新聞社、一九六九年)は、軍上層部に「最後の一兵まで死守せよ」と厳命された結果、拉孟守備隊が「玉砕」したことを、勇戦敢闘と讃えた感状(軍事面で特別な功労を果たした下位の者に、上位者が賞賛するために与える文書)で締めくくっており、なぜ陸続きの山上で全滅をしなくてはならなかったのか、兵士たちがどのように戦い死んでいったのか、いくら読んでも私の素朴な疑問の答えが見つからなかった。公刊戦史は、多くは戦争を企図した軍上層部の視点で書かれたものだけに、「全滅」は作戦の失敗を意味し、責任を問われるような都合の悪いことは公文書に残さない(残せない)のだ。なるほど、この傾向は現在にも通じている。
 私は拉孟戦場の本当の姿が知りたくて、二〇〇二年から機内で出会った元飛行兵を皮切りに数少ない拉孟の生存者への聞き取りをはじめた。その頃、下の子どもがちょうど幼稚園に入園したので、聞き取りは幼稚園のお迎えに合わせて午後二時をタイムリミットとした。主婦と高齢の元兵士には午前から午後二時までの時間帯がちょうどよく、うまく双方のニーズが合致した。
 お恥ずかしながら軍隊用語も階級も何も知らずに聞き取りをはじめた。今の私が話し手の立場なら「少しは勉強してからアポを取ってください」と偉そうにアドバイスするのだが……。知らないとはなんとも恐ろしい。図々しくもよく聴きに行けたものだ。今思い出すと穴があったら入りたい気持ちに駆られる。「佐官(さかん)」と聞いて、しばらく建物の壁や床などを塗る職人の「左官」だと思っていた(佐官は軍隊の階級)。こんなド素人に元兵士の皆さんは根気よくつき合ってくれた。当時、皆さんも八〇歳前後で気力も体力も十分ですこぶるお元気だった。若い母親が戦争に関心をもつのが意外で珍しかったのかもしれない。元兵士たちは聞き慣れない軍隊用語や地名を大学ノートに鉛筆で一つ一つ丁寧に書いて教えてくれた。どなたも戦時期の記憶力は抜群で、ビルマ(ミャンマー)の聞いたこともない地名(戦闘地)の説明には熱がこもった。果たして彼らの記憶に残っている地名は戦友が亡くなった場所だった。忘れたくても忘れられない地名。元兵士が大事に保管しているビルマの地図の戦闘場所には、死んだ戦友の名前と日付がびっしりと書き込まれていた。
 私も無知を克服するために薦められた書籍を片っ端から読んでビルマ戦の知識を少しずつ身につけた。やがて元兵士の語りから、公刊戦史には必ずしも真実が書かれているとは限らないことを悟った。勇戦敢闘を讃えた文章は負け戦を覆い隠し、「次なる戦闘では決して負けないぞ」との決意表明のように読めた。戦場体験者への聞き取りを進め、米英中連合軍側の関連史料を調べていくうちに、旧日本軍が中国雲南省で行った残虐な行為を知ることになる。
 こうして公刊戦史に書かれていない史実を明らかにすることが研究の主題となった。通常は後方の兵站基地にある慰安所が、最前線の拉孟にあり、一五名(日本人と朝鮮人)の「慰安婦」がいたことも、研究を続けるうちにわかったことだ。前人未到の山上の拉孟戦場跡に立った時、若い娘たちがこんな所にまで連れて来られて「慰安婦」にされた現実に打ちのめされた。

◆「主婦研究者」の気概

 拉孟戦を研究してかれこれ二〇年以上になるが、聞き取りをした元将兵はビルマ戦だけでも延べ五〇人以上にのぼる。肩書もない「主婦研究者」が信頼してもらうには戦友会や慰霊祭に足繁く通い続けて顔を売るしかなかった。剣道の名手の元中尉に関心をもってもらうために、女性は薙刀、というアドバイスに従って薙刀を習ったこともある。絵を描くことが趣味の元大尉の絵の展覧会には必ず足を運んだ。ご自宅を訪問する際は、おじいさんたちのお世話をされている女性陣(妻、娘、「お嫁さん」)とのコミュニケーションを大事にし、今でも交流を続けている。そして戦友会では「主婦」の立場を生かしながら、食事の手配や配膳など諸々の雑用を一手に引き受けるうちに、しばらくして「お世話係」という役職(?)を得た。そんな地道な努力を重ねながらも聞き取りは思うように捗らず、戦場体験者の口は重かった。自らを「死に損ない」と語る元軍曹もいた。元将校には数年経っても「ご婦人には拉孟は無理ですからおやめなさい」と再三忠告を受けた。皆さん、そのうち業を煮やしていなくなるだろうと思っていたかもしれない。戦場体験の聞き取りは聴く方にも相応の覚悟を要する。戦場体験者が背負ってきた重荷を半分くらい背負わなければならない覚悟だ。一介の主婦だからと甘く見られることもあったが、だからこそ気を許して本音を語ってくれたこともあった。一度扉を開けてしまったら途中で引き返すことができない道のりを歩くことになった。
 話し手は時に立場上、「嘘」をつかなければならないこともある。自分に都合の良い話だけを語ることもある。家族にも戦友にも話したことのない話を打ち明けられ、「これは表に出してほしくない」と釘を刺されることもたびたび。どのような話でも自分を消してまるごと受け取ろうと決めている。なぜあの人はあの時あそこであのような「嘘」を言ったのかが分かったとき、戦場体験を聴くことの真髄に触れたように思えるのだ。 当初はビルマ戦の戦場体験者を中心に聞き取りをしていたが、次第に戦域に関係なく、中国戦線もレイテ沖海戦も、陸海軍も問わず幅広く戦場体験を聴くようになった。戦場体験者の聞き取りに残された時間はもうわずか。あれこれ選り好みしている場合でも立場でもないことに気づいた。年月を重ねるうちに、親しかった体験者が次々に亡くなっていく。戦場体験を聴くこと、戦場の実像を明らかにすること、それを次世代へ継承することが私の生涯の「ミッション」となった。

◆第二・五世代の部外者として

 現在、二つの戦友会や慰霊祭の「お世話係」をしている。今では戦場体験者のほとんどの方が鬼籍に入った。遺族でも家族でもない部外者がそのような役目を担ってよいのかと自問しながらも、部外者だからこそしがらみがなくできること、見えてくる世界もある。戦友会や慰霊祭は心の傷跡が露わになる場でもあり癒される場でもある。生きて帰った元兵士らは家族をもてたが、父親や夫を戦争で奪われた人たちは戦後、塗炭の苦しみを味わった。ある戦争未亡人は「娘と二人、人に言えないような暮らしを強いられ、泥水を啜って生き延びた」と涙を浮かべた。父親の顔を知らない遺児もたくさんいた。
 戦友会や慰霊祭で現れる表面上の姿だけでなく、心の奥深いところに澱のように溜まっているものを見逃さないように目を凝らし耳を傾けてみると、じわじわと浮かびあがってくる諸々の感情を、この機会に掬い上げてみようと思う。戦場体験者が何を思って戦後社会を生きてきたのか。慰霊祭や戦友会に集う遺族や帰還兵の家族の思いは一枚岩ではない。そんなこんなの戦争を介したこのような場での出来事、そしてそこで織りなす人間模様や元兵士の「本音」など、人気TⅤドラマの『家政婦は見た!』ではないが、戦友会や慰霊祭の「お世話係は見た!」というポジショナリティで、「お世話係」だからこそ見えるディープな世界を繙いてみたい。
 これまで戦場体験者はもとよりその子ども世代との交流も重ねてきたが、むしろこれからは子どもや孫やひ孫の世代まで聞き取りの対象を広げるつもりだ。戦場体験を受け継ぐための「四世代物語」の実践である。第一世代の戦場体験者は存命であれば一〇〇歳超えはあたりまえ。第二世代は子ども世代で六〇代から八〇代くらいか。第三世代は孫世代で、およそ二〇代から五〇代と幅広い。第四世代はひ孫世代で平成生まれはもとより令和生まれも範疇となる。筆者は第二世代と第三世代の間を繋ぐ第二・五世代といったところ。若い人たちは戦争なんて遠い昔の出来事で今の自分には関係ないと思うかもしれないが、戦争を生き抜いた曽祖父母や祖父母が命を繋いでくれたから私たちは今を生きている。別の言い方をすれば、戦没者は未来に命を繋ぐ機会を奪われたのだ。
 ロシアのウクライナ侵攻という暴挙を目の当たりにして、第三、第四世代の若い人たちも戦争がいかに人権を蔑ろにする破滅行為であるかを心身に深く刻んでいるにちがいない。戦争になったら若者が兵士となり、殺戮の加害者となり、無惨に殺される被害者になる。繋げるはずの命が一瞬にして奪われ、あたりまえの日常が破壊され地獄絵図と化す。
 かつて若い命を散らした戦没兵士は、同世代の今の若者に何を言いたいだろうか。彼らは「お国のため」、愛する人のために命をかけて闘った。今の日本は、果たして彼らが命をかけた国に相応しい国になっているだろうか? 戦没兵士の声なき声に耳を傾けてみてほしい。生き延びた元兵士らの言葉とともに戦没兵士の言葉も若者にこそ届けたい。そして戦争の本当の姿を知ってもらいたい。八〇年近く経っても戦争の傷跡はあちこちに残っていて、いまだ癒えていない。私たちは「終わらない戦争」の中に生きている。そしてさらなる新しい戦争に向かっている「当事者」なのだ。


- 版元から一言 -
ビルマ戦の研究者であり、戦友会のお世話係でもある著者は、戦場体験者とその家族に20年以上にわたって聞き取りをしてきた。本書は、簡単には白黒つけられない元兵士の思いに肉迫した、一級のノンフィクションである。戦場での凄絶な出来事。復員兵どうしの戦後の人間関係。PTSD。戦後右派への違和感…。いずれも教科書にはでてこないリアルで切実なエピソードにひきこまれる。


- 著者プロフィール -
遠藤 美幸 (エンドウ ミユキ) (著/文)
1963年生まれ。イギリス近代史、ビルマ戦史研究者。神田外語大学・埼玉大学兼任講師(歴史学)。不戦兵士を語り継ぐ会(旧・不戦兵士・市民の会)共同代表、日吉台地下壕保存の会運営委員、日本ミャンマー友好協会理事。2002年から元兵士の戦場体験を聴き続けている。著書に『「戦場体験」を受け継ぐということ─ビルマルートの拉孟全滅戦の生存者を尋ね歩いて』(高文研)、『なぜ戦争体験を継承するのか─ポスト体験時代の歴史実践』(共著、みずき書林)がある。

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