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置き配的 | 福尾 匠

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講談社 2025年
ソフトカバー 240ページ
四六判


- 内容紹介 -
コロナ禍以降、社会は置き配的なものとなった――

「紀伊國屋じんぶん大賞2025 読者と選ぶ人文書ベスト30」の1位に輝いた気鋭の批評家が放つ最初にして最高の2020年代社会批評!

群像連載の「言葉と物」を単行本化。酷薄な現代を生き抜くための必読書!

「外出を自粛し、Zoomで会議をし、外ではマスクを着け、ドアの前に荷物が置かれるのに気づくより早く、スマホで通知を受け取る。個々人の環境や選択とはべつに、そのような生活がある種の典型となった社会のなかで、何が抑圧され、何が新たな希望として開かれているのか。そうした観点から、人々のありうべきコミュニケーションのかたちを問うこと、それがこの本のテーマです。(中略)
 つまり、狭義の置き配が「届ける」ということの意味を変えたのだとすれば、置き配的なコミュニケーションにおいては「伝える」ということの意味が変わってしまったのだと言えます。そして現在、もっとも置き配的なコミュニケーションが幅を利かせている場所はSNS、とりわけツイッター(現X)でしょう。保守とリベラル、男性と女性、老人と若者、なんでもいいですが、読者のみなさんもいちどは、彼らの論争は本当に何かを論じ合っているのかと疑問に思ったことがあるのではないでしょうか。
(中略)置き配的な社会を問うことは、書くことの意味を立ち上げなおすことにも直結するはずです。」(本文より)


- 目次 -
序文                                   
第1回  郵便的、置き配的                        
第2回  出来事からの隔離生活、あるいは戦争の二重否定          
第3回  「たんなるパフォーマンス」とは何か               
第4回  ネットワークはなぜそう呼ばれるか                
第5回  フーコーとドゥルーズの「言葉と物」/青森で石を砂にした話    
第6回  いま、書くことについて                     
第7回  置き配写真論、あるいは「コンテンツ」時代の芸術作品       
第8回  ポジションとアテンション                    
第9回  サイボーグじゃない、君は犬だ、と私は言う            
第10回 私でなくもない者たちの親密圏                  
第11回 暴力的な平等性と創造的な非対称性                
あとがき   


- -著者プロフィール
福尾 匠 (フクオ タクミ) (著)
一九九二年生まれ。哲学者、批評家。博士(学術)。『非美学――ジル・ドゥルーズの言葉と物』で紀伊國屋じんぶん大賞2025受賞。その他の著書に『ひとごと――クリティカル・エッセイズ』、『眼がスクリーンになるとき――ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』、共訳書にアンヌ・ソヴァニャルグ『ドゥルーズと芸術』がある。      

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