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ハッピークラシー 「幸せ」願望に支配される日常|エドガー・カバナス, エヴァ・イルーズ, 高里ひろ(翻訳), 山田陽子(解説)
¥3,740
みすず書房 2022年 ハードカバー 356ページ 四六判 - 内容紹介 - 「幸せの追求はじつのところ、アメリカ文化のもっとも特徴的な輸出品かつ重要な政治的地平であり、自己啓発本の著者、コーチ、[…]心理学者をはじめとするさまざまな非政治的な関係者らの力によって広められ、推進されてきた。だが幸せの追求がアメリカの政治的地平にとどまらず、経験科学とともに(それを共犯者として)機能するグローバル産業へと成長したのは最近のことだ」(「序」より)。 ここで言及される経験科学とは、90年代末に創設されたポジティブ心理学である。「幸せの科学」を謳うこの心理学については、過去にも批判的指摘が数多くなされてきた。本書はそれらをふまえつつ、心理学者と社会学者の共著によって問題を多元的にとらえた先駆的研究である。 「ハッピークラシー」は「幸せHappy」による「支配-cracy」を意味する造語。誰もが「幸せ」をめざすべき、「幸せ」なことが大事――社会に溢れるこうしたメッセージは、人びとを際限のない自己啓発、自分らしさ探し、自己管理に向かわせ、問題の解決をつねに自己の内面に求めさせる。それは社会構造的な問題から目を逸らさせる装置としても働き、怒りなどの感情はネガティブ=悪と退けられ、ポジティブであることが善とされる。新自由主義経済と自己責任社会に好都合なこの「幸せ」の興隆は、いかにして作られてきたのか。フランス発ベストセラー待望の翻訳。 目次 序 第1章 あなたのウェルビーイングの専門家 第2章 よみがえる個人主義 第3章 仕事でポジティブであること 第4章 商品棚に並ぶ幸せなわたし 第5章 幸せはニューノーマル 結論 解説 山田陽子(大阪大学准教授) 原注 索引 - 著者プロフィール - エドガー・カバナス (エドガーカバナス) (著/文) (Edgar Cabanas) マドリード自治大学で心理学の博士号を取得後、マックスプランク人間発達研究所感情史センター研究員を経て、現在カミロ・ホセ・セラ大学(マドリード)教授。José Carlos Sánchez, Marino Pérez Álvarezとの共著にLa vida real en tiempos de la felicidad: Crítica de la psicología (y de la idología) positiva(Alianza Editorial, 2018)がある。Routledge社のTherapeutic Culturesシリーズ共同編集を務める。 エヴァ・イルーズ (エヴァイルーズ) (著/文) (Eva Illouz) ヘブライ大学社会学教授。フランス国立社会科学高等研究院教授。2022年6月にはケルン大学アルベルトゥス・マグヌス教授にも就任。著書にConsuming the Romantic Utopia: Love and the Cultural Contradictions of Capitalism (University of California Press, 1997); Cold Intimacies: The Making of Emotional Capitalism (Polity Press, 2007); Why Love Hurts: A Sociological Explanation (Polity Press, 2012); Unloving: A Sociology of Negative Relations (Oxford University Press, 2018) などがある。執筆論文多数。 高里ひろ (タカサトヒロ) (翻訳) (たかさと・ひろ) 翻訳家。上智大学卒業。訳書にトム・リース『ナポレオンに背いた「黒い将軍」』(白水社、2015年)、ロイ・バレル『絵と物語でたどる古代史』(晶文社、2008年)、『世界を変えた100人の女の子の物語』(共訳、河出書房新社、2018年)、トム・ニコルズ『専門知は、もういらないのか』(みすず書房、2019年)など。 山田陽子 (ヤマダヨウコ) (解説) 大阪大学大学院人間科学研究科准教授。神戸大学大学院総合人間科学研究科博士後期課程修了。博士(学術)。専門は社会学(感情社会学、医療社会学、社会学理論)。著書に『「心」をめぐる知のグローバル化と自律的個人像』(学文社、2007年。日本社会史学会奨励賞受賞)、『働く人のための感情資本論――パワハラ・メンタルヘルス・ライフハックの社会学』(青土社、2019年)。共著に『現代文化の社会学 入門』(ミネルヴァ書房、2007年)、『いのちとライフコースの社会学』(弘文堂、2011年)など。
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送別の餃子 中国・都市と農村肖像画|井口淳子
¥1,980
灯光舎 2021年 ソフトカバー 224ページ A5変型判 縦148mm 横195mm 厚さ15mm - 内容紹介 - 中国の北方では、人々は別れの時に、手作りの水餃子を囲んでその別れを惜しむという。 自身の研究分野を「民族音楽学」に決めた著者が選んだ調査地は中国の農村。1988年、文化大革命後に「改革開放」へと舵をきった中国で、右も左もわからぬまま「研究」への情熱と未知なる大地へのあこがれだけで、彼女のフィールド調査がはじまった。 中国の都市や農村での調査をきっかけにさまざまな出会いがあった。「怖いものはない」という皮肉屋の作家、強烈な個性で周囲の人々を魅了し野望を果たす劇団座長、黄土高原につかの間の悦楽をもたらす盲目の芸人たち……「親切な人」とか「ずる賢い人」といった一言では表現できない、あまりにも人間臭い人々がここにはいる。それぞれの物語で描かれている風土と生命力あふれる登場人物に心うごかされ、人の心のありようについて考えてみたくなる。 1988年以降の中国という大きな舞台を駆け巡った数十年間には無数の出会いと別れがあった。その中から生まれた14の物語をつづったエッセイを、40以上のイラストとともにお届けします。 イラスト:佐々木 優(イラストレーター) 目次 はじめに 序 まだはじまっていないころのお話 Ⅰ 河北省編 第一章 老師的恋 第二章 北京の女人 第三章 ゆりかごの村 第四章 占いか、はたまた芸人か Ⅱ 黄土高原編 第五章 雨乞いの夏 第六章 村の女たち、男たち 第七章 黄河治水局のおじさん 第八章 尿盆(ニァオペン) 第九章 人生も戯のごとく Ⅲ 番外編 第一〇章 頑固じいさんと影絵芝居 第一一章 かくも長き一八年 第一二章 パリの台湾人 第一三章 想家(シァンジァー) 第一四章 人を信じよ! あとがき 参考文献 前書きなど 「はじめに」により 一部要約し掲載 日本では「やさしい」ということばが好まれる。「やさしい人に育ってほしい」、「心やさしい」などと頻繁に使うことばだが、中国語にはこの「やさしい」にあたる単語がない。近いことばとして「親切」、「温和」、「老実」などがあげられるが、いずれも親切、おだやか、誠実といった意味で、やさしい、にぴったり一致しない。 なぜだろうか。 中国ではやさしさという曖昧なものを必要としないからだと思われる。 きびしい気候風土と生存競争のなかで、生きるか死ぬかという局面にさらされてきた人びとにとって、他人にやさしさを求めたり、自分が他者にやさしくしたりする必要はないのだ。ところが、わたし自身、何度も中国で人の温情に触れ、助けられてきた。もし、中国のどこかで本当に困り果てていたなら、すぐに周囲の人が身振り手振りで助けてくれると断言できる。外国人だからといって無視したり、困っているのを放っておいたりすることは絶対ありえない。その理由は一言でいうなら相手が自分と同じ「人」だからだ。同じ国、同じ町の住人という以前に同じ「人」であるという大きな前提がある。その構えの大きさ、おおらかさゆえにわたしのような体力も語学力もない者がこれまで中国に通うことができたのだと思う。 さて、この本のテーマは「中国」ではなく、あくまで「人」である。それもよくありがちな「中国人とは〇〇な人びとである」と一くくりにする中国人論ではなく、わたし自身が中国で出会ったあまたの人びとのなかで、今なお記憶のなかでひときわ光を放ちつづける個々人についての本である。 思い返せば民族音楽学を学ぶ大学院生であった1987年以来、30年以上ものあいだ中国に通い農村や北京、上海などの大都市で短期、長期の滞在をくり返してきた。それらは一過性の旅ではなく、研究のためのフィールドワーク(現地調査)であった。旅とフィールドワーク、どちらにも現地の人との出会いがある。旅の出会いではお互いが相手を気に入らなければ付き合わなくてもよい。しかしフィールドワークでは長期間、かつくり返し訪問するなど交流が長くつづき、またお互いに気に入らない、ギクシャクすると感じても、関係は一定期間つづくことになる。この、相手にとってなかば強制的な関係からして、フィールドワークは対等な関係ではなく、調査する側とされる側の力関係は植民地主義的だと批判されつづけてきた。勝手にやってきて一方的に調査し、一方的に書いて発表する、その行為への批判をフィールドワークは背負っている。 もうひとつ、旅でもフィールドワークでもない出会いとして、ビジネスがある。10万人ともいわれる日本人中国駐在者も現地の人びとと長期にわたり密に接することになる。この場合、ビジネス・パートナーとして目の前にあらわれる相手はある特定の業種や資格をもつ人に限定され利害関係の枠組みをはずすことはできないであろう。 こう考えると、フィールドワークとはなんと牧歌的で無限の可能性を秘めた出会いの場なのかと思う。フィールドワークという通行証をもってすれば、その地について何も知らない赤ん坊のような状態から根気強くありとあらゆることを現地で教えてもらうことも不可能ではない。うまくいけば異文化研究の最強の方法だが、よき時、よき人、よき村やコミュニティにめぐり合うという幸運に恵まれれば、という条件がつく。 さて、フィールドワークで出会った人びとの記憶、それはわたしの場合、30年を経て、薄れるどころか、ますます鮮烈に思い起こされるようになってきた。この10年ほどを上海、それも租界時代というアヘン戦争以来100年間、英仏など西欧列強が支配した時期の資料調査に費やしたことも、かつての農村体験をあらためて見直すきっかけになった。それほどまでにくり返し思い起こされる体験なのにこれまで「人」をテーマに書き、公開したことはほとんどなかった。 なぜ書かなかったのだろうか。その最大の理由としてフィールドワークは手段であり、目的ではない、という答えがある。フィールドワークをおこなう前提となるのが、研究者と現地協力者との信頼関係(ラポール)である。このラポールの構築についてはいわば個々の研究者の「秘技」とされており、文化人類学の「民族誌(エスノグラフィ)」や論文といった成果のなかで記述されることは少ない。フィールドノート(調査地での記録ノート)においても記録対象からはずされるのが、現地の人びととの生々しい関係についてである。書き記すにはあまりに微妙で、感情が絡む事象であるがゆえに無意識、あるいは意識的に記録からはずしてしまうのだ。 われわれがこの種の秘技の片鱗に触れたいと思うなら、フィールドワーカーの「回顧録」や、民族誌の「あとがき」のなかなどで読むことができるかもしれない。一般的には個々の研究者がどのように人びとと関係し、手痛い失敗を重ねながら、徐々に親密な関係になっていくのかということは、知りたいと思ってもなかなか知りえない聖域のように思う。 また、調査実施から一定の時間を置かないと書くことができない、という問題もある。わたしも今になって、1980代、90年代のまだ十分に社会主義的であった中国農村での体験を客観的にとらえ直すことができるようになったと感じている。渦中においては「なぜそのようなことが?」とわけがわからなかったことが今となってはストンと理解できることも多い。 本書では、これまで学術論文や研究書で書くことのなかった、忘れがたい人びととの記憶の一コマ一コマを文章でよみがえらせようとした。だからといって甘い感傷にひたるようなものではなく、失敗だらけの苦い体験のなかにぽっかりと薄日がさすような、そんな記憶だ。 中国で出会った人びとについて書きたいという衝動はじつのところ今から17年前のドイツ滞在時、半年間の研究休暇中にわたしのなかで膨らみはじめていた。 […]滞在の時間を重ねるにつれ、あることにはた、と気がついた。それは、「ヨーロッパではこの先、どのように滞在年数を重ねたとしても、中国で経験した、人びととの濃密で心揺さぶられるような交流を体験することはないだろう」ということだった。ことばの問題とか、文化的距離とかそういったハードルはあるとしてもそれだけが要因ではない。中国の村々や街で目にした混沌と矛盾、人びとのむき出しの感情、みずからの心の振幅、そういったすべての経験が、ドイツのように人と人が価値観を共有し、法を守り、すべてがきちんと整理された国に身を置くことで、あらためてかけがえのない体験だったと思えてきた。 中国農村での、あるときは身を震わせて怒り、またあるときは涙を滂沱と流した日々。わずか2日にもみたない出会いと別れであったにもかかわらず、今なおその声や表情までもがよみがえるひとりの男……。 それにしても、あらためて1980年代から今までを振り返ったとき、この30年あまりは中国未曾有の変化のときであったと感じる。たとえば、上海。1987年に最初の調査地に選んだのが、上海、蘇州の近郊農村だった。農村は言うに及ばず、上海のメインストリートである南京路でさえ、夜は街灯が数えるほどしかないため暗く、上海のシンボル的建築、和平飯店の前で撮影した写真にはグレーや紺の簡素な洋服を着た老若男女が写っている。1990年代までは日本のほうが先進国と思っていたが、2000年代に入ると上海はみるみるうちに未来都市へと変貌をとげ、あっさりと日本の大都市を追い抜いていった。 そういえば、かつては日本から中国に出かける場合、旅費や滞在費は言うまでもなく自己負担、向こうから人を招聘する場合は全額を日本側が負担するのが暗黙の了解だった。それが今では完全に逆転し、中国から高額の講演料が支払われたり、こちらが旅費込みで招待されたりする状況になっている。昔ながらの経済的優越感をもって中国に出かけるなら、かなりの落ち込みを体験する羽目になる。 農村の変化も都市にひけをとらない。ある村や街の様子を探るべくインターネットで情報を探すと、「これがあの街?」と目を疑うようなビルが林立する写真が出てくる。また通信アプリでどのような奥地の知人とも簡単に連絡をとることができる。かつては村から十数キロ先の郵便局まで出かけ電報を打っていたのに、固定電話という段階を経ずにいきなり電報から携帯電話に移行したのだ。自嘲的に「われわれの村は落後(どうしようもなく遅れている)だ」、と農村幹部が首を振りつつ嘆いていた農村は表面的には過去のものになった。 それでも、そう簡単に変わらないのが「人」なのだ。[…] 版元から一言 この書籍は、中国の食べ物や黄土高原の窰洞(ヤオトン)などの風土、そして研究の対象となった語り物芸能などの描写も見どころですが、特に描かれているものは、「人」そのものです。素朴で、何気ない物語のなかの人物たちは「○○な人」という言葉で表現できない人間臭い、癖のある、生命力に満ちた中国や台湾の人々。著者・井口さんと飾り気のない登場人物との交流からうまれる互いの喜怒哀楽が真っ正直に描かれています。 皮肉屋でも、どこか憎めない魅力をもつ楽亭県の作家、優雅な立ち振る舞いで回りを魅了し、うまくその人達を利用する劇団座長や、黄土高原に住むおだやかな盲目の音楽家などの姿を見ていると、人の心のありようについて考えてみたくなる気がします。 そして、今回はイラストレーター・佐々木優さんの40もの筆力ある線画がこの物語に彩りを与えてくれました。さまざまな風景や人物の表情などが豊かに描かれています。 あとがきには「読者が、中国を自分の眼で見てみようというきっかけになれば…」と記されています。物語の光景を頭に描きながら原稿を読んでいて、ふと我にかえると、違う国を訪れること、人々とふれあうことが「いまはそう簡単にできることじゃないな」と感じます。 国を越えるのにも、人々が互いに顔を突き合わせて話すことも、なかなか難しい状況がずっと続いています。物語の中で描かれた何気ない人と人の会話に、改めて「いま」を思いました。井口さんの体験と想いのつまった出会いと別れの14章はみなさんの心に何を残すのでしょうか。 もともとは「民族音楽学」の研究調査がきっかけで生まれた本ですが、決して専門的な書籍ではなく、エッセイであり人を描いた「文学」でもあると思います。多くの方々に手に取っていただければ幸いです。 - 著者プロフィール - 井口淳子 (イグチジュンコ) (著/文) 専門は音楽学、民族音楽学。大阪音楽大学音楽学部教授。大阪大学大学院文学研究科博士課程単位取得、文学博士。主な研究テーマは中国の音楽・芸能、近代アジアの洋楽受容。 主な著書に『亡命者たちの上海楽壇 ― 租界の音楽とバレエ』2019年、音楽之友社。『中国北方農村の口承文化―語り物の書・テキスト・パフォーマンス』1999年、風響社など。
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塩を食う女たち 聞書・北米の黒人女性|藤本 和子
¥1,078
SOLD OUT
岩波書店 2018年 ソフトカバー 270ページ 文庫判 - 内容紹介 - アフリカから連れてこられた黒人女性たちは、いかにして狂気に満ちたアメリカ社会を生き延びてきたのか。公民権運動が一段落した1980年代に、日本からアメリカに移り住んだ著者が、多くの普通の女性たちと語り合った中から紡ぎだした、女たちの歴史的体験、記憶、そして生きるための力。(解説=池澤夏樹) 目次 生きのびることの意味――はじめに 接続点 八百六十九のいのちのはじまり 死のかたわらに 塩食い共同体 ヴァージア 草の根から あとがき 解説……………池澤夏樹
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トランスジェンダー問題 議論は正義のために | ショーン・フェイ, 高井ゆと里, 清水晶子(解説)
¥2,200
明石書店 2022年 ソフトカバー 436ページ 四六判 - 内容紹介 - トランス女性である著者が、トランス嫌悪的な社会で生きるトランスの現実を幅広い分析によって明らかにする。不十分な移民政策、医療体制の課題など、英国の抱える問題は日本と共通するところが多く、本書は日本の「トランスジェンダー問題」を考える上でも大いに参考になる。 目次 プロローグ イントロダクション 見られるが聞かれない 第1章 トランスの生は、いま 第2章 正しい身体、間違った身体 第3章 階級闘争 第4章 セックスワーク 第5章 国家 第6章 遠い親戚――LGBTのT 第7章 醜い姉妹――フェミニズムの中のトランスたち 結論 変容(トランスフォーム)された未来 謝辞 解説 スーパー・グルーによる一点共闘――反ジェンダー運動とトランス排除[清水晶子] 訳者解題 日本で『トランスジェンダー問題』を読むために 訳者あとがき 原注 前書きなど プロローグ トランスジェンダーが解放されれば、私たちの社会の全ての人の生がより良いものとなるだろう。私は「解放」という言葉を使うが、それは「トランスの権利」や「トランスの平等」といった慎ましやかな目標では十分でないと考えているからである。依然として資本主義的であり、家父長制的であり続けている世界。そして、その世界を生きる人々を搾取し、格下げしている世界。そんな世界の中で平等な存在になることなど、トランスたちは望むべきではない。むしろ、私たちは正義を求めるべきなのだ。私たち自身のための正義。そして、私たちとよく似た他者たちのための正義を。 トランスたちは、1世紀以上ものあいだ不正義に耐え続けてきた。私たちは差別され、病理化され、迫害され続けてきた。私たちの完全な解放が実現するのは、いま私たちが生きている社会からは完全に変容を遂げた社会を、私たちがイメージできるようになるときだけである。現在の社会がまさにそうであるように、トランスたちの生はしばしば社会によって意味もなく困難にさせられている。この本でまず取り組むのは、それがどのようになされているのかを説明することである。しかし、これらの問題への解決を与えるにあたり、本書はただトランスの人々のことだけを考える、という制約に閉じこもることをしない。この本はまた、日常的に力を削がれ、持てるものを奪われている全ての人をその内に包摂する。 私たちの身体についての完全な自律性。誰でもあずかることのできる、ユニバーサルなヘルスケア。全ての人に用意された、手頃な価格の住まい。私たちの社会の、広く不公正なシステムから利益を搾り取るわずかな数の特権的な人々ではなく、働く者たちの手に握られた権力。(性暴力からの自由を含む)性の自由。そして、人間の大量収監〔多くの人々を刑務所に入れること〕の終わり。これら全てのことが、トランスの人々が虐待されたり、不当な扱いを受けたり、暴力にさらされたりすることが金輪際なくなるような社会を作るために、絶対になくてはならない。そうしたシステムの転換はまた、社会の周縁に追いやられているトランスジェンダー以外の全ての人にとっても、とりわけ利益をもたらすだろう。それはUKにおいても、また世界中どこでも。 トランスの真の解放への要求は、労働者たちの、社会主義者たちの、フェミニストたちの、レイシストに反対する者たちの、そしてクィアの人たちの要求と響きあい、重なり合う。そうした人々の掲げる要求は、私たちの社会が何であり、また何であり得るのかの根幹を目掛けており、その意味でラディカルな要求だからである。現状の社会において何らかの地位にあり、現状の社会が何に置き換わっていくのかを恐れている多くの人々に対し、トランスたちの存在が絶えざる不安をもたらしている理由は、ここにある。 社会的な規範に対してトランスたちの存在から提起される、その潜在的な脅威を中和するために、上位層の人々はいつもトランスたちの自由を制約し、抑え込もうとしてきた。そうした試みは、21世紀の英国では私たちの政治的ニーズを軽んじ、それを文化戦争の「問題」へと転化することで幅広く成し遂げられている。その典型として、トランスたちは「トランスジェンダー問題」としてひとくくりにされる。これはトランスたちの生の複雑さを捨て去り、抹消するものであり、また様々な社会的不安を抱かせるにたる一群のステレオタイプへとトランスたちの生を還元するものである。概してトランスジェンダー問題は、テレビ番組や新聞のオピニオン欄、そして大学の哲学科で(たいていその人たち自身はトランスではない人々によって)お喋りされるための、「中毒性のある論争」や「難しい問題」と見なされている。現実のトランスたちが、そこで目を向けられることは滅多にない。この本は、「トランスジェンダー問題」という言葉を意図的に、そして意識的に奪い返す。それは、今日トランスの人々が直面している諸問題のリアリティを大まかに示すためであり、そうした問題に直面してはいない人々によってその問題が想像されるのとは違った仕方で、それを示すためである。 (…後略…) - 著者プロフィール - ショーン・フェイ イギリス・ブリストル出身。現在はロンドンを拠点に活動。弁護士としての訓練を受けた後、執筆活動やキャンペーン活動を行うために退職し、慈善団体のAmnesty InternationalやStonewallで働いている。Dazedの編集長を務めたほか、Guardian、Independent、Viceなどで執筆活動を行っている。最近、LGBTQの先駆者たちにインタビューするポッドキャストシリーズ「Call Me Mother」を立ち上げ、高い評価を得ている。本作は初の著書。 高井 ゆと里 (タカイ ユトリ) (訳) 群馬大学情報学部准教授。専門は倫理学。趣味は研究。著書に『極限の思想 ハイデガー 世界内存在を生きる』(講談社選書メチエ)。 清水 晶子 (シミズ アキコ) (解説) 東京大学大学院総合文化研究科教授。専門はフェミニズム/クィア理論。著書に『フェミニズムってなんですか?』(文春新書)、『読むことのクィア――続 愛の技法』(共著、中央大学出版部)など。
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「女の痛み」はなぜ無視されるのか? | アヌシェイ・フセイン (著), 堀越英美 (翻訳)
¥2,200
晶文社 2022年 ソフトカバー 342ページ 四六判 - 内容紹介 - 臨床試験で女性が排除される、コロナ禍でマイノリティの人々が受ける影響、アメリカで中絶の権利が争点になる理由は 著者がアメリカで出産したとき、彼女は死にかけた。痛み止めが効いていないと訴えても無視された。痛みを証明するために手術台まで歩くように言われた。 彼女はこの医療トラウマ体験をきっかけに、女性の痛み、特に有色人種の訴えがまともに受け止められない事実を、 あらゆるデータ、記事、証言をもとに執筆した。 さらにコロナ禍で女性、マイノリティの人々が受けた甚大な影響も考察する。 初期設定が男性になっている現状は、医療ケアにおいても例外ではない。 「女の痛み」が軽視されている事実と、医療ケアにおける性差別・人種差別に切り込むノンフィクション。 「女性の痛みという概念が、世界中でどのように捉えられ、管理され、考えられているかを見れば、それは常に男性や『文化』によって定義されてきたことがわかる。多くの社会では男性による支配が続いていることから、女性の痛みや苦しみに対する世界の認識は、女性ではなく、男性によって確立されてきたのだ」(「日本の読者へ」より) 「困惑させられたのは、『女性は自分の健康や身体について決めることができない』と、いまだに世間が思い込んでいる点だ」(5章「知られざる女性の身体」より) 「私はできる限り、フェミニズムと平等主義を重んじる結婚生活を送っていた。そんな夫婦ですら、コロナは伝統的な男女の断層を露呈させた。ロックダウンで誰もが自宅で仕事をするようになれば、より稼ぎの多い人の仕事が優先されるようになる。気づけば夫は自宅のオフィスを占拠しており、私はやむをえず家庭という領域に追いやられた。まるで、1950年代の主婦みたいに」(5章「知られざる女性の身体」より) (目次) 日本の読者へ 本書に寄せて――ジェシカ・ヴァレンティ はじめに 第1章 私が出会った最初のフェミニスト 第2章 バングラデシュ女子、キャピトル・ヒルに立つ――アメリカでの中絶の権利をめぐる混沌 第3章 気のせいにされる有色人種の女性の痛み 第4章 見えない症状 第5章 知られざる女性の身体 第6章 コロナ禍で妊娠するということ 第7章 代替手段の模索 第8章 自分の体の声の一番の代弁者になるには 第9章 自分の声を届ける おわりに 謝辞 訳者あとがき 出典
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どうして男はそうなんだろうか会議 いろいろ語り合って見えてきた「これからの男」のこと | 澁谷知美, 清田隆之
¥1,650
筑摩書房 2022年 ソフトカバー 272ページ 四六判 - 内容紹介 - 非モテの苦しみ、マウント合戦、マチズモ、男同士のケアの不在……。どうして男はそうなんだろう? 6人のゲストと語り合って見えてきた、男の今とこれから。 - 著者プロフィール - 澁谷 知美 (シブヤ トモミ) (編集) 1972年、大阪市生まれ。東京大学大学院教育学研究科で教育社会学を専攻。現在、東京経済大学全学共通教育センター教授。博士(教育学・東京大学)。ジェンダーおよび男性のセクシュアリティの歴史を研究。共著に『性的なことば』 (講談社現代新書)など、単著に『日本の童貞』(河出文庫)、『平成オトコ塾――悩める男子のための全6章』『日本の包茎――男の体の200年史』(以上、筑摩書房)、『立身出世と下半身――男子学生の性的身体の管理の歴史』(洛北出版)がある。 清田 隆之 (キヨタ タカユキ) (編集) 1980年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。文筆業、恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。恋愛とジェンダーの問題を中心に執筆活動を展開。桃山商事としての著作に『モテとか愛され以外の恋愛のすべて』(文庫ぎんが堂)、共著に『大学1年生の歩き方――先輩たちが教える転ばぬ先の12のステップ』(左右社)、単著に『よかれと思ってやったのに――男たちの「失敗学」入門』(晶文社)、『さよなら、俺たち』(スタンド・ブックス)、『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』(扶桑社)などがある。
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断片的なものの社会学 | 岸政彦
¥1,716
朝日出版社 2015年 ソフトカバー 244ページ 四六判 - 内容紹介 - ★紀伊國屋じんぶん大賞2016受賞! ------------------------------ 一生に一度はこういう本を書いてみたいと感じるような書でした。――星野智幸さん この本は、奇妙な「外部」に読者を連れていく。 大冒険ではない。奇妙に断片的なシーンの集まりとしての社会。一瞬きらめく違和感。 それらを映画的につないでいく著者の編集技術には、ズルさを感じもする。美しすぎる。 ――千葉雅也さん これはまず第一に、無類に面白い書物である。(…) 語る人たちに、共感ではなく理解をベースにひたすら寄り添おうとするスタンスは、 著者が本物の「社会学者」であることを端的に伝えている。─―佐々木敦さん(北海道新聞) 読み進めてすぐに、作者の物事と出来事の捉え方に、すっかり魅せられた。――唯川恵さん(読売新聞) 社会は、断片が断片のまま尊重されるほど複雑でうつくしい輝きを放つと 教わった。─―平松洋子さん(東京人) ------------------------ 「この本は何も教えてはくれない。 ただ深く豊かに惑うだけだ。 そしてずっと、黙ってそばにいてくれる。 小石や犬のように。 私はこの本を必要としている」――星野智幸さん ------------------------ どんな人でもいろいろな「語り」をその内側に持っていて、その平凡さや普通さ、その「何事もなさ」に触れるだけで、胸をかきむしられるような気持ちになる。 梅田の繁華街ですれちがう厖大な数の人びとが、それぞれに「何事もない、普通の」物語を生きている。 小石も、ブログも、犬の死も、すぐに私の解釈や理解をすり抜けてしまう。それらはただそこにある。[…] 社会学者としては失格かもしれないが、いつかそうした「分析できないもの」ばかりを集めた本を書きたいと思っていた。(本文より)
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脱コルセット:到来した想像 | イ・ミンギョン(著/文), 生田美保(翻訳), オ・ヨンア(翻訳), 小山内園子(翻訳), 木下美絵(翻訳), キム・セヨン(翻訳), すんみ(翻訳), 朴慶姫(翻訳), 尹怡景(翻訳)
¥2,200
タバブックス 2022年 ソフトカバー 336ページ 四六判 - 内容紹介 - 脱コルセット運動は、苦痛や搾取、虐待を今、この場所で経験している女性たちの人生を変える最適のツールだった 韓国フェミニズム、最大のムーブメント「脱コルセット」とは何か。 『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』『失われた賃金を求めて』に続く、イ・ミンギョン第3弾。 ルックス至上主義、規範的女性性に抵抗する脱コルセット運動。韓国の若い女性たちが化粧品を捨て、髪を短くした写真をSNSにアップ、急速に広まった。女性らしさを「電撃的に打ち切る」強いアプローチを取った背景とは。イ・ミンギョンが「脱コル」実践者たちと対話し、読解を試みた渾身の1冊。 目次 日本の読者のみなさんへ イ・ミンギョン 0 観念から感覚へ 1 女から人へ 2 する自由からしない自由へ 3 努力から忘却へ 4 美しさから痛みへ 5 平面的な自我イメージから立体的な自分へ 6 美の観点から機能の観点へ 7 男性の他者から、女性として同一視された女性へ 8 画一的な日課から多様な日常へ 9 順応から違反へ 10 分裂から統合へ 11 今、ここから、別の世界へ 12 死から生へ 13 さあ、次の世代へ 版元から一言 韓国フェミニズム、最大のムーブメント「脱コルセット」とは何か。 著者イ・ミンギョンは、本書のために脱コルセット実践者100名ほどにコンタクトを取り、17名に数時間のディープインタビューを実施。本書に収録したインタビューには重いことばが続きますが、そこから脱コルセットへの理解を深めた過程もまた、胸に迫ります。 日本版は、多くの女性たちの声からなるこの本の特徴をふまえ複数の訳者が参加。韓国・日本在住の女性8人のチームによって韓国の女性たちの行動の意味、思いを届けます。 - 著者プロフィール - イ・ミンギョン (イ ミンギョン) (著/文) 延世大学校仏語仏文学科、社会学科を卒業後、韓国外国語大学校通訳翻訳大学院韓仏科で国際会議通訳専攻修士学位を取得。ENSパリ・サクレー校博士課程在籍中。フェミニストのためのことばを物し、訳す活動を行う。 著書に『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』『私たちにも系譜がある』『失われた賃金を求めて』、共著に『ヨーロッパ堕胎旅行』など。訳書に『妊娠中止(임신중지)』『母の国(어머니의 나라)』『国家ではなく女性が決めなければならない(국가가 아닌 여성이 결정해야 합니다)』『私、シモーヌ・ヴェイユ(나, 시몬 베유)』『すべての女性が同じ闘争をしているのではない(모든 여성은 같은 투쟁을 하지 않는다)』『ホイッスルが鳴ったら(휘슬이 울리면)』『主たる敵(주적)』などがある。
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歴史を変えた50人の女性アスリートたち|レイチェル・イグノトフスキー, 野中 モモ(翻訳)
¥1,980
創元社 2019年 ハードカバー 128ページ A4変型判 縦235mm 横198mm 厚さ17mm - 内容紹介 - 「女は弱い!」としめ出されていた近代スポーツ界に飛びこみ、圧倒的な能力と粘り強さで記録と歴史をぬりかえてきた女性アスリート50人にスポットをあて、その驚くべき成績やバイタリティあふれる人生をチャーミングなイラストとともに紹介します。 女性には不可能だと言われてきたことの誤りを、鍛えぬいた身体と不屈の精神で堂々と証明したヒロインたちの姿は、若きアスリートのみならず、自分の限界をこえたいと願うすべての人を励ましてくれます。 <本書の見どころ> ●近代スポーツの歴史を切り拓いてきた、パワフルな女性アスリート50人(+α)を紹介 ●競技成績からプライベートな一面まで、エネルギーに満ちた女性アスリートたちの人生の物語を簡潔に学べます ●若手女性イラストレーターによるおしゃれなイラストが満載。ビジュアルブックとしても楽しめます ●歴史年表や筋肉解剖学、男女間の報酬とメディア格差統計など、図解コラムも充実 ●本文のおもな漢字にルビつき。未来のアスリートを応援します ●日本版だけの描きおろしイラストも多数収録! <こんな人が載っています> ガートルード・エダール(長距離水泳選手)、福田敬子 (柔道家)、トニ・ストーン(野球選手)、田部井淳子 (登山家)、ジョディ・コンラッド (バスケットボール監督)、ビリー・ジーン・キング (テニス選手)、フロー・ハイマン (バレーボール選手)、スーザン・ブッチャー (犬ぞり操縦者)、ナディア・コマネチ (体操選手)、アンジャリ・バグワット (射撃選手)、シャンタル・プチクレール (車いす陸上競技選手) 、キム・スニョン (アーチェリー選手) 、クリスティ・ヤマグチ (フィギュアスケート選手)、ミア・ハム (サッカー選手)、セリーナ・ウィリアムズ (テニス選手)、ニコラ・アダムズ (ボクサー)、マリアナ・パホン (BMX自転車選手)、シモーネ・バイルズ (体操選手)など… 目次 False - 著者プロフィール - レイチェル・イグノトフスキー(Rachel Ignotofsky) アメリカ・ニュージャージー出身、カンザス在住の若手女性イラストレーター。2011年にアート・グラフィックデザインの専門学校タイラー校を優秀な成績で卒業し、その後は特に歴史や科学、また教育、ジェンダーなどをテーマにしたイラストを多く書いている。著書に「Women in Science」「I love Science」「PLANET EARTH」(いずれも10 Speed Press)がある。 野中モモ(のなか・もも) 翻訳者・ライター。訳書にロクサーヌ・ゲイ『飢える私 ままならない心と体』(亜紀書房、2019年)、レイチェル・イグノトフスキー『世界を変えた50人の女性科学者たち』(創元社、2018年)、ダナ・ボイド『つながりっぱなしの日常を生きる ソーシャルメディアが若者にもたらしたもの』(草思社、2014年)など。著書に『デヴィッド・ボウイ 変幻するカルト・スター』(筑摩書房、2017年)、共編著書に『日本のZINEについて知ってることすべて 同人誌、ミニコミ、リトルプレス 自主制作出版史1960 ~ 2010年代』(誠文堂新光社、2017年)がある。
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いいから、あなたの話をしなよ 女として生きていくことの26の物語 | チョ・ナムジュほか25人
¥1,980
アジュマブックス 2022年 ソフトカバー 312ページ 四六判 縦188mm 横128mm 厚さ20mm - 内容紹介 - 20代から60代までのフェミニストによる珠玉のエッセー集!江南でのフェミサイド事件をきっかけにフェミニストたちの声が社会を大きく動かした韓国。しかし女性の日常は具体的に何がどれだけ本当に変わったのか?フェミニスト宣言をしたばかりの者たちは往年のお姉さんたちが今どうしているのか知りたいと言い、一方お姉さんたちは若い世代がどんな過程を経てそんなにも勇敢に激烈に最後までくじけずにフェミニズムを叫び続けているのかを知りたがっていた。 『ハヨンガ』著者チョン・ミギョン、『82年生まれ、キム・ジヨン』著者チョ・ナムジュなど26人が寄稿する得がたい一冊! 目次 プロローグ 大韓民国のフェミニスト、何を、なぜ告白するのか 2017年、26人のフェミニストから告白を受け取ったチョ=パク・ソニョン 第1章「知らない男に後をつけられた」 キム・ソヨン 「京郷新聞」記者。 生き残ったのではなく、生きることを望んだ女性。(潜在的)フェミニストの頼もしい友軍になりたい人。 被害意識ではない、「被害の経験」だ ようやく警察官が真面目な表情になった 被害者意識のせいでフェミニストになった? チェ・ナロ メガリアン、「雑誌サシム」エディター。 ものを書くフェミニスト。 さらに汚くなっている最中です 「メガル*雑誌」を作っている女だと、今なら言える 「メガリアン・フェミニスト」というアイデンティティ 私たち、もっと汚くなれるよ 恐れは勇気となって帰って来た アン・ヒョンジン フェミニズム・アクショングループ「江南駅10番出口」、 ゼロ-ゼロフェミニストたちのネットワーク「汎フェミネットワーク」、「女性環境連帯」活動家。 恐れは勇気となって帰って来た 江南駅殺人事件と15歳の記憶、初めてではないオーバーラップ 頭の中のフェミニズムが行動に、告白に 告白が作り出したフェミニズム・アクション イ・セア 2014年から「女性新聞」の記者として働いている。大学卒業後いくつもの仕事をし、いくつもの壁にぶつかったが、全てが「女性」というキーワードで繋がっていることに気づいてフェミニズムを勉強している。思慮深い猫・ラムと暮らしている。 隠し撮りされたのに、なぜ愛だと言ったのか 「男だもん、しかたないよ」 語れなかったことを語る力、フェミニズム ホン・スンヒ 文章を書き、絵を描くパフォーマンスをしています。主に私の体が記憶していることを記録します。「ハンギョレ」、女性主義ジャーナル「イルダ」にコラムを連載。 クリトリスの感受性 知っても分かち合えなかったオルガスムの経験 「男の子って毎日自慰してるんだってさ」 それを感じてしまった後に知ったこと 向き合い、さすり、撫で合うセックス。クリトリスの感受性 ハ・イェナ DSOチームの代表として働いている。力不足のため、お荷物にならないようあがいている。いつか誰かの力となり、助けとなれる人間になりたい。家と外を行き来して、フェミニズム運動をしている。 ソラネットをアウトさせた 2016年10月、デジタル性犯罪追放運動のため家を出た メガリアンから「デジタル性犯罪アウト」代表になるまで… 私は一体、なぜ? 例のうんざりする、「一部」という言葉 「雑巾」に始まり「レイプ」に至る女性嫌悪の温床、ソラネットをアウトさせる! 第2章「もう常識女ではいられない」 クク・チヘ フェイスブックを基盤に活動しているネットフェミ。ウォーマド系と呼ばれ急進女性主義政治学を実践している。 メガリア、ウォーマド、そしてヘルフェミ ウォーマドには男性がおらず、有名人がおらず、沈黙がない ウォーマド学習効果、態度ではなく内容が問題だ! ホン・スンウン 歌を歌い、文章を書き、絵を描く人。女性嫌悪社会で育つうちに体に深く染みついた自己否定感を克服するため、逃げ隠れせず言葉を発する練習をしているところ。著書に『あなたがずっと不愉快なら、結構なことです』があり、女性主義ジャーナル「イルダ」、「女性新聞」に記事を連載中。 ものを言い続けます もう黙ってない それぞれの監獄 個人的な言葉を政治的に連結する 騒々しい革命のために、ものを言い続けます タルリ 仕事と遊びの間をゆったり行き来しながらも智異山(チリサン)女性主義文化団体「文化企画 月」運営者(?)フェミニスト・タロット・リーダーという職業にしてアイデンティティを作った。サバイバーであることを超え、生きる喜びの舞を探し求める今の時間を楽しんでいる。 私はあなた。あなたは私たち。 大韓民国に生まれて、フェミニストにならずにいられる? 独身であれと教えた母、一人でも大丈夫 性売買の現場、「お姉さん」たち 言葉で囲いと囲いを結びつける「チグルス」の向こう側の生を、ともに想像する チョ・ナムジュ 小説『82年生まれ、キム・ジヨン』の著者。20代でテレビ時事教養番組の台本を書き、30代で子どもを育て、40代では一生懸命小説を書きたい。 娘、母、フェミニスト そうしているうちに、全てが当たり前になった 発表できもしない小説を、こつこつと 戦わないわけにいかなくなった パラン ひょんなことからフェミニズムと出会い、ひょんなことから女性団体で活動している。フェミニズムの実践とは何か、今日も悩んでいる活動家。ひょんなことから出会ったフェミニズムだが、それが偶然なのか必然なのか知りたいフェミニスト。 いいから、あなたの話をしなよ 第3章「黙っているのはもうやめた」 チョン=パク・ミギョン 40代初めまで十二の職業を転々とした。そのうち最も輝かしい履歴はもちろん「イフ」編集長だった。人生がうっすら退屈になっていたある日、とある昔の女が私の元を訪れたことから小説『大雨』を書き、その年小説家として登壇した。 今は小説家として生きており、残りの人生もずっとそうしてゆきたい。生きるのに理由はないが、意味までないとは思わない。素朴すぎて過剰になりがちなその意味を見失わないよう努めながら、気立のよい夫と、その百倍気立のよい動物たちと家族として暮らしている。 私はフェミニスト・ヒンク族です 自然妊娠のための努力が始まった 新劇に浸らない進撃のフェミニズム ピョン・ギョンミ 自称・他称ともに「西大門の美室(ミシル)」。パチパチ弾ける好奇心いっぱいで、お節介で、時にボーイッシュでタフで、時にジャズとカクテル、ロマンチックなものを好んで、テレビを見ながらよく涙を流すロマンチックな感性の持ち主です。 一人だった私を支えてくれる人々の間で 2012年、人生のターニングポイントとなった瞬間 2012年以前 2011年「ノモソ」と出会う そして2012年がやってきた 今、ここ、2017年。 チョ=パク・ソニョン 「イフ」ポッドキャストを2年間続けており、これからも続ける予定。牡羊座、エニアグラム・タイプ2の「人を助ける人」。それゆえせっかちな助力者。せっかちでずぼらだが人を助けることは好き、心意気はよいのだが結果がときどきいまいちなのが惜しい。それでも性格は変わらず結局何でもやってしまわなければ気がすまない。それが長所にしてブラックホール。 膳をひっくり返したやつが整え直すのだ! 整えられた膳をひっくり返した瞬間 道に迷った イフという膳、私がひっくり返したとしよう。ひっくり返したやつが整え直すのだ! パク・チア ソウル女性会・性平等教育センター長。19歳で出会ったかっこいい先輩たちがいわゆる運動圏の人たちで、20歳から本格的にその道に入って行った。進歩派雑誌社記者、市民団体幹部、進歩政党職員、女性団体常勤等、さまざまな仕事をしたが結局はずっと同じ場所に立っていた。講義で生計を立て、講義以外にいくつもの仕事をする忙しい日常を楽しんでいる。これが運動圏に生きる人間の最大の喜びと言うべきか、善良な人々に囲まれて暮らしている。 運動圏フェミニストの夢、そして勝利 今のフェミニストは何が従来どおりで、何が新しいのか ところで「私たち」とは誰だろう 告白その1、私は「圏虫フェミ」である 告白その2、私は正義党で活動している 告白その3、私は女性運動の勝利を夢見ている キム・ヨンラン どんな本でも売って差し上げる伝説のブック・マーケター。1997年、24歳でイフと出会い、ユ・スギョルと出会った。その時ユ先生は私の手帳にこう書いてくださった。「イフの宝、キム・ヨンラン」That’s all! これ以上付け加える必要はない。 イフ・マーケターによる、羽毛のように軽い告白 チョン・ヒョンギョン 募金ノウハウを学んでフェミニズム運動界を潤沢に(?)してやろうと「美しい財団」に入ったが、資金調達法に精通することもできず、利他主義と市民気質を一生の業として背負いながら生きている。それでも肉体と精神がフェミニズムに準拠しているのは相変わらずだ。 毎日、フェミニズムを目撃している 14年間で女が生きる世界は変わったか? 私は? イ・ジノク 社団法人「ジェンダー政治研究所 女勢連」代表を務めており、2人の子どもと多文化家庭を持っている。揺れ動くフェミニズム、しぶといフェミニスト Oscillating feminism, Resilient feminist 26歳の羅針盤、イフ 私のフェミニズムの原型、分断体制で私を育てた女たち フェミニストと政治学者の境界で 倒れては起き上がりを繰り返す、しぶといフェミニストとして生きること 第4章「フェミニズム・コンプレックスがあった」 パク・ミラ 20年前にはフェミニスト・ジャーナル「イフ」の初代編集長。10年前からは瞑想や癒しのための作文を指導し、相談を受けて暮らしている。読者たちが気になっていると思うので付け加えると、あれほど不和になったイフの旧友たちとは、以前と同じでいて違う姿で今もともにいる。私たちの美徳は、いがみ合いながらも最後まで互いを見放さないことだ。そして苦しみながらも葛藤の本質に戻って直視したことだ。あの恐ろしいイフの女たちが今の私を作ってくれた。 私たちはどうしてこんなにケンカしたのか 怯える自分を見るのが一番怖い 私たちはしょっちゅう誤解し、すぐ攻撃的になる 嫌悪という感情の別の姿 クォン・ヒョンナン 自分も世界も人間も一番美しかった時代にフェミニスト・ジャーナル「イフ」の3代目編集長となった。以降波に乗って揺れ、浮き沈みが激しかった。 生まれつきの方向音痴だが、行くべき道を見失ったと思ってことはない。 歩いて行った道はどれもよかった。妙に悲しく愚かな旅行エッセイ『トラベルテラピー』を出してから、外国人のための韓国語教師となり、生存に必要な最低限の韓国語でも純文学が書かれうることを目撃した。「ゲーム・オブ・スローンズ」のアリアが目指すNo Oneの世界を待ちながら修行している。 女に文学を教えてくれる、ですって? 詩のいらない、美しい国で 詩人の代わりにナチュラルボーン・フェミニストになった 文壇内の男性作家たちの性暴力、その低劣な教え チェ・ミラン アート・ワークショップ・リーダー。フェミニスト・ジャーナル「イフ」創刊からアート・ディレクターとして仕事をしていたが、フランスに渡ってパリ8大学女性学科で現代女性美術を学び、博士課程を修了した。 ハサミリチュアル、私は自由を着る ハサミリチュアル 洋服だんす、欲望の年代記 empowering へその緒を切る キム・ミギョン 27年間育って学んで、27年間仕事をし、あとの27年間ほどは画家として生きようと決めた。54歳になった2014年、専業画家宣言をした。ソウル景福宮の隣、西村(ソチョン)の屋上と通りで町の風景をペンで描き、食べて暮らしている。「西村屋上画家」とも呼ばれる。『ブルックリン午後2時』(2010年)、『西村午後4時』(2015年)という本を出し、展示会「西村午後4時」(2015年)と「西村の花畑」(2015年)を開いた。自分を「生活の中でフェミニズムをそっと実践して生きる女」だと思っている。 絵でフェミニズムの自由さを表現できる日を夢見ている。 フェミニズムは、我が人生の羅針盤 フェミニストとして、フェミニストの母に聞きたいことは? お母さんはどうしてフェミニズムに関心を持ったの? 母親として自分のことを話すなら ファン=オ・グミ 25歳で「女性新聞」の記者として女性主義メディアの一員となってから、フェミニスト・ジャーナル「イフ」と「女性新聞」で編集長として働いた。以降6年以上国会で補佐官として仕事をし、国家システムを把握する貴重な経験を積んだ。 2011年9月、ストーリーテリング・コンテンツとキャラクターを開発する「マイ・ストーリー・ドール」を設立。全国自治体を顧客にストーリーテリング・プロジェクトを進行しながら、都市ブランディング、都市マーケティング、観光活性化案を開発している。 ひょんなことからフェミニスト 1990年代、地方大女子学生にとっての就職という高い壁 このお姉さんたちが私の人生に入ってきそうだという、感覚的な感覚! 骨の髄までフェミニズムを刻み込んでこそ「骨フェミ」だ 第5章「狂女とは、時間旅行をする人のことだ」 ユ・ジヒョン 詩集『月の歴史』作者、詩人 美しき女性主義者として生きるのが幸福だ! 平凡なことが自然なこととは限らない こんなにも美しく賢く優しい女性が、この世に二人といるだろうか 利己的な若いフェミニスト妻? 家父長制に告ぐ コ=ウン・グァンスン 韓方医。平和の母の会、東学実践市民行動代表。子どものころから従順だったそうで、トルリム字(一族の世代ごとに共通して名前につける字)「グァン」に「スン(順)」を付けられた。無口で静かだったため子ども時代のあだ名は「ご隠居」、しかし人一倍の正義感のため戦っては逃げられずに戦って戦ってまた戦って深みにはまり、気づけば還暦を越えていた。朝鮮半島統一をこの目で見るためには、もっと戦って深みにはまらなくちゃならないだろうか。 62歳、私の人生のフェミニズム 学生運動から女性運動へ 両親姓併記と戸主制廃止 女性東学ドキュメンタリー小説13巻と平和運動 武器のない世界、平和の母と東学 ユ・スギョル 過ぎたことだから言うのだが、7年以上闘病生活を送っていた。薬の副作用で体重が15kg増えて、久しぶりに会った人が私を見分けられないこともあった。 近頃は気持ちも安定し、健康も取り戻した。今では10余年前の今ごろ病気になってよかったとさえ思う。私はあのとき立ち止まらなくてはならなかった。振り返ってみれば、私は暴走機関車のように生きていた。病気にならず走り続けていたらどこでパンクしていたか。人生とはそういうものだ。立ち戻って鏡の前でお姉さんのように、いやおばあさんのように生きてゆきたい。 やつらが私を狂わせ、母の再婚が私をフェミニストにした 労組の太母、妖女、一介の女子社員… フェミニスト殺しの霊でも憑いてんのか? 5歳の子どもに戻る退行現象 9年間の秘密 訳者あとがき 大島史子 解説 北原みのり 年表 前書きなど 大韓民国のフェミニスト、何を、なぜ告白するのか 1997年に創刊したフェミニスト・ジャーナル「イフ」は、2006年に終刊した。もはやフェミニズムの熱は冷め、現場に残されたフェミニストたちはただ押し寄せる業務と薄給に耐えるだけの歳月を迎えた。それからさらに10年が経った。2015年MERSギャラリー掲示板の「ミラーリング」に始まるメガリアの誕生、そして2016年4月の江南駅殺人事件をきっかけに、2017年にはオンラインでも、テレビでも、広場でも、書店でも、商店でもたやすく「フェミニズム」と「フェミニスト」に出会えるようになり、フェミニズムの再燃とうごめきが全身で感じられるほどだった。しかし大韓民国女性の日常は具体的に何が、どれだけ……本当に、変わったのだろうか? ある者は20年前よりも、あるいは10年前よりも今の大韓民国のほうが女性たちに対して残酷だと言い、その一方で、女たちはあまりに多くの既得権を得ているのに、さらに多くの権利を奪い取ろうと欲を出している、と批判する者もいる。相変わらず「フェミニズム」についてとなると評価が極端に走るんだなあ……そんな共感が広がっていく中で2017年を迎えた。 2017年は、フェミニストたちにとって2015年よりもさらに複雑で、2016年よりもさらに熾烈な年になったようだ。多くのフェミニストたちが息を潜めなから展開し続けていた議論の多様性のために複雑となり、もはや後退しようのない世界の変化を目の当たりにしたために熾烈にならざるを得なかったのだ。そうだ。実のところ私たちの周辺には、思っていたより多くのフェミニストたちが生きていた。あのたくさんのフェミニストたちはみんなどこへ行ってしまったのだろうと思ったら、私たちのそばでちゃんと生きていたのだ。彼らはいったいどうやって逆境を生き抜いていったのだろう? それが知りたい。フェミニスト宣言をしたばかりの者たちは往年の「どぎつい」お姉さんたちが今どうしているのか知りたいと言い、そのお姉さんたちは若い世代がどんな過程を経てそんなにも勇敢に激烈に、最後までくじけずにフェミニズムを叫び続けているのかを知りたがっていた。 この本はそんな好奇心から作られた。心細さを吹っ飛ばすために系譜を語り、賑やかな連帯を夢見る今のフェミニストたちが各自率直に物語れるよう、聴くことができるよう願った。 大韓民国では世代別の経験がはっきりと異なる。20代から60代までのフェミニストたち全世代の経験と物語を盛り込んで、大韓民国フェミニストの地形図を描き出すために執筆者を選んでいった。フェミニストたちの告白に加わろうと積極的に意思表示をし、何度も原稿を直す手間を惜しまず、古傷をえぐることにも自ら意味を見出せる執筆者たちだった。もちろん大いに議論の余地がある告白を残した執筆者もいるだろうし、同意しがたいフェミニズムを実践している者たちもいるだろう。かれらの人生経験について共感すらできない部分もあるかもしれない。 それでも価値があるはずだ。女性とはひっくるめられた単一の主体ではないし、フェミニズムの理想郷は一つだけではない。その多様性を見てほしい。その多様性に戸惑ってほしい。何よりその多様性の共存について悩んでみてほしい。 フェミニズムは常に質問を投げかけ、答えを与えない。その開かれた答えに向かって一歩を踏み出せる勇気を持った者たちがフェミニストであり、特に大韓民国という激動の時間と空間を生きる女性たちの勇気には一層偉大な価値があるはずだ。その偉大な勇気と、わずかにして強大な価値に共感する本を作りたかった。 - 著者プロフィール - チョ・ナムジュ 조남주 小説『82年生まれ、キム・ジヨン』の著者。20代でテレビ時事教養番組の台本を書き、30代で子どもを育て、40代では一生懸命小説を書きたい。 チェ・ナロ (チェ ナロ) (著) メガリアン、「雑誌サシム」エディター。ものを書くフェミニスト。 アン・ヒョンジュン (アン ヒョンジュン) (著) フェミニズム・アクショングループ「江南駅10番出口」、ゼロ-ゼロフェミニストたちのネットワーク「汎フェミネットワーク」、「女性環境連帯」活動家。 イ・セア (イ セア) (著) 2014年から「女性新聞」の記者として働いている。大学卒業後いくつもの仕事をし、いくつもの壁にぶつかったが、全てが「女性」というキーワードで繋がっていることに気づいてフェミニズムを勉強している。思慮深い猫・ラムと暮らしている。 ホン・スンヒ (ホン スンヒ) (著) 文章を書き、絵を描くパフォーマンスをしている。主に私の体が記憶していることを記録。「ハンギョレ」、女性主義ジャーナル「イルダ」にコラムを連載。 ハ・イェナ (ハ イェナ) (著) DSOチームの代表として働いている。力不足のため、お荷物にならないようあがいている。いつか誰かの力となり、助けとなれる人間になりたい。家と外を行き来して、フェミニズム運動をしている。 クク・チヘ (クク チヘ) (著) フェイスブックを基盤に活動しているネットフェミ。ウォーマド系と呼ばれ急進女性主義政治学を実践している。 ホン・スンウン (ホン スンウン) (著) 歌を歌い、文章を書き、絵を描く人。女性嫌悪社会で育つうちに体に深く染みついた自己否定感を克服するため、逃げ隠れせず言葉を発する練習をしているところ。著書に『あなたがずっと不愉快なら、結構なことです』があり、女性主義ジャーナル「イルダ」、「女性新聞」に記事を連載中。 タルリ (タルリ) (著) 仕事と遊びの間をゆったり行き来しながら、智異山(チリサン)女性主義文化団体「文化企画 月」運営者(?)。フェミニスト・タロット・リーダーという職業にしてアイデンティティを作った。サバイバーであることを超え、生きる喜びの舞を探し求める今の時間を楽しんでいる。 キム・ソヨン (キム ソヨン) (著) 「京郷新聞」記者。生き残ったのではなく、生きることを望んだ女性。(潜在的)フェミニストの頼もしい友軍になりたい人。 パラン (パラン) (著) ひょんなことからフェミニズムと出会い、ひょんなことから女性団体で活動している。フェミニズムの実践とは何か、今日も悩んでいる活動家。ひょんなことから出会ったフェミニズムだが、それが偶然なのか必然なのか知りたいフェミニスト。 チョ=パク・ミギョン (チョパク ミギョン) (著) 40代初めまで十二の職業を転々とした。そのうち最も輝かしい履歴はもちろん「イフ」編集長だった。人生がうっすら退屈になっていたある日、とある昔の女が私の元を訪れたことから小説『大雨』を書き、その年小説家として登壇した。今は小説家として生きており、残りの人生もずっとそうしてゆきたい。生きるのに理由はないが、意味までないとは思わない。 素朴すぎて過剰になりがちなその意味を見失わないよう努めながら、気立のよい夫と、その百倍気立のよい動物たちと家族として暮らしている。 ピョン・ギョンミ (ピョン ギョンミ) (著) 自称・他称ともに「西大門の美室(ミシル)」。パチパチ弾ける好奇心いっぱいで、お節介で、時にボーイッシュでタフで、時にジャズとカクテル、ロマンチックなものを好んで、テレビを見ながらよく涙を流すロマンチックな感性の持ち主です。 チョ=パク・ソニョン (チョパク ソニョン) (著) 「イフ」ポッドキャストを2年間続けておりこれからも続ける予定。牡羊座、エニアグラム・タイプ2の「人を助ける人」。それゆえせっかちな助力者だ。せっかちでずぼらだが人を助けることは好きなので、心意気はよいのだが結果が時々いまいちなのが惜しい。それでも性格は変わらず結局何でもやってしまわなければ気がすまない。それが長所にしてブラックホール。 パク・チア (パク チア) (著/文) ソウル女性会・性平等教育センター長。19歳で出会ったかっこいい先輩たちがいわゆる運動圏の人たちで、20歳から本格的にその道に入って行った。進歩派雑誌社記者、市民団体幹部、進歩政党職員、女性団体常勤等、さまざまな仕事をしたが結局はずっと同じ場所に立っていた。講義で生計を立て、講義以外にいくつもの仕事をする忙しい日常を楽しんでいる。 これが運動圏に生きる人間の最大の喜びと言うべきか、善良な人々に囲まれて暮らしている。 キム・ヨンラン (キム ヨンラン) (著) どんな本でも売って差し上げる伝説のブック・マーケター。1997年、24歳でイフと出合い、ユ・スギョルと出会った。その時ユ先生は私の手帳にこう書いてくださった。「イフの宝、キム・ヨンラン」That’s all! これ以上付け加える必要はない。 チョン・ヒギョン (チョン ヒギョン) (著) 募金ノウハウを学んでフェミニズム運動界を潤沢に(?)してやろうと「美しい財団」に入ったが、資金調達法に精通することもできず、利他主義と市民気質を一生の業として背負いながら生きている。それでも肉体と精神がフェミニズムに準拠しているのは相変わらずだ。 イ・ジノク (イ ジノク) (著) 社団法人「ジェンダー政治研究所 女勢連」代表を務めており、2人の子どもと多文化家庭を持っている。 パク・ミラ (パク ミラ) (著) 20年前にはフェミニスト・ジャーナル「イフ」の初代編集長。10年前からは瞑想や癒しのための作文を指導し、相談を受けて暮らしている。読者たちが気になっていると思うので付け加えると、あれほど不和になったイフの旧友たちとは、以前と同じでいて違う姿で今もともにいる。私たちの美徳は、いがみ合いながらも最後まで互いを見放さないことだ。そして苦しみながらも葛藤の本質に戻って直視したことだ。あの恐ろしいイフの女たちが今の私を作ってくれた。 クォン・ヒョンナン (クォン ヒョンナン) (著) 自分も世界も人間も一番美しかった時代にフェミニスト・ジャーナル「イフ」の3代目編集長となった。以降波に乗って揺れ、浮き沈みが激しかった。生まれつきの方向音痴だが、行くべき道を見失ったと思ってことはない。歩いて行った道はどれもよかった。妙に悲しく愚かな旅行エッセイ『トラベルテラピー』を出してから、外国人のための韓国語教師となり、生存に必要な最低限の韓国語でも純文学が書かれうることを目撃した。「ゲーム・オブ・スローンズ」のアリアが目指すNo Oneの世界を待ちながら修行している。 チェ・ミラン (チェ ミラン) (著) アート・ワークショップ・リーダー。 フェミニスト・ジャーナル「イフ」創刊からアート・ディレクターとして仕事をしていたが、フランスに渡ってパリ8大学女性学科で現代女性美術を学び、博士課程を修了した。 キム・ミギョン (キム ミギョン) (著) 27年間育って学んで、27年間仕事をし、あとの27年間ほどは画家として生きようと決めた。54歳になった2014年、専業画家宣言をした。ソウル景福宮の隣、西村(ソチョン)の屋上と通りで町の風景をペンで描き、食べて暮らしている。「西村屋上画家」とも呼ばれる。『ブルックリン午後2時』(2010年)、『西村午後4時』(2015年)という本を出し、展示会「西村午後4時」(2015年)と「西村の花畑」(2015年)を開いた。自分を「生活の中でフェミニズムをそっと実践して生きる女」だと思っている。絵でフェミニズムの自由さを表現できる日を夢見ている。 ファン=オ・グミ (ファンオ グミ) (著) 25歳で「女性新聞」の記者として女性主義メディアの一員となってから、フェミニスト・ジャーナル「イフ」と「女性新聞」で編集長として働いた。以降6年以上国会で補佐官として仕事をし、国家システムを把握する貴重な経験を積んだ。2011年9月、ストーリーテリング・コンテンツとキャラクターを開発する「マイ・ストーリー・ドール」を設立。全国自治体を顧客にストーリーテリング・プロジェクトを進行しながら、都市ブランディング、都市マーケティング、観光活性化案を開発している。 ユ・ジヒョン (ユ ジヒョン) (著) 詩集『月の歴史』作者、詩人 コ=ウン・グァンスン (コウン グァンスン) (著) 韓方医。平和の母の会、東学実践市民行動代表。子どものころから従順だったそうで、トルリム字(一族の世代ごとに共通して名前につける字)「グァン」に「スン(順)」を付けられた。無口で静かだったため子ども時代のあだ名は「ご隠居」、しかし人一倍の正義感のため戦っては逃げられずに戦って戦ってまた戦って深みにはまり、気づけば還暦を越えていた。朝鮮半島統一をこの目で見るためには、もっと戦って深みにはまらなくちゃならないだろうか。 ユ・スギョル (ユ スギョル) (著) 過ぎたことだから言うのだが、7年以上闘病生活を送っていた。薬の副作用で体重が15kg増えて、久しぶりに会った人が私を見分けられないこともあった。近頃は気持ちも安定し、健康も取り戻した。今では10余年前の今ごろ病気になってよかったとさえ思う。 私はあのとき立ち止まらなくてはならなかった。振り返ってみれば、私は暴走機関車のように生きていた。病気にならず走り続けていたらどこでパンクしていたか。 人生とはそういうものだ。立ち戻って鏡の前でお姉さんのように、いやおばあさんのように生きてゆきたい。 大島 史子 (オオシマ フミコ) (訳) 立教大学法学部卒業。イラストレーター、漫画家。ラブピースクラブコラムサイトでフェミニズムエッセイ漫画「主人なんていませんッ!」を連載。翻訳書に『ハヨンガ」『根のないフェミニズム』(アジュマブックス刊)がある。 李 美淑 (イ ミスク) (監修) 立教大学グローバル・リベラルアーツ・プログラム運営センター・助教。専門はメディア・コミュニケーション研究。国境を越える市民連帯、社会運動とメディア、ジェンダーとメディア、ジャーナリズムについて研究。 北原 みのり (キタハラ ミノリ) (解説) 作家、女性のためのプレジャーグッズショップ「ラブピースクラブ」を運営するアジュマ代表。2021年アジュマブックススタート。希望のたね基金理事。デジタル性暴力などの相談窓口NPO法人ぱっぷす副理事長。著書に『日本のフェミニズム』(河出書房新社刊)など多数。
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辺境の国アメリカを旅する 絶望と希望の大地へ | 鈴木 晶子
¥1,980
明石書店 2022年 ソフトカバー 240ページ 四六判 - 内容紹介 - 日本で貧困問題に長年取り組んできた著者がアメリカ全土48州を巡った旅の記録。人種差別、貧困、銃問題といった近年の社会情勢や歴史・文化にも言及しながら、トランプ政権下で対立と分断に揺れるアメリカの等身大の姿を描き出す。 目次 序章 美しきアメリカのカントリーサイド・ケンタッキーへ――もう一つのアメリカへようこそ 憂うつな旧炭鉱町の朝 緑萌える美しきカントリーサイド 活気ある街と郷土料理 バーボントレイルの完成度 旅には良い街、けれど 第1部 いくつかのアメリカを巡って 第1章 暮らすように旅する(1)――マンハッタンでルームシェア型民泊 ルームシェアでマンハッタンのアパート生活を体験 アメリカのオモテ玄関ニューヨーク ニューヨークのもう一つの顔 マンハッタンの週末 小さな暮らしの場を後にして アップデート 空っぽのマンハッタン コラム① ようこそアメリカ!エリス島に降り立つ 第2章 暮らすように旅する(2)――ノースカロライナのファームステイ 何もないから体験型、ファームステイを初体験 地元食材で楽しむ夕食 手作りの暮らしを知って 暮らしの違いに思いを馳せて アップデート ツリーハウスへの再訪 第3章 Make America Great Again?――錆びついたロックンロールの街クリーブランドの今を訪ねて ラストベルトへの旅がトレンド トリエンナーレのオープニングイベントへ 美しきアーケードの空虚 ロックンロールの殿堂を訪ねて アフターアワーズ コラム② 全米一寂れた街の傑作子ども博物館 第4章 アメリカ版町おこし!――グラウンドホッグデーにパンクサタウニーに行ってきた アメリカの町おこし 早朝の大混雑 “No shadow!” パンクサタウニーの町観光 That's Groundhog Day! 第5章 みたび民泊――シアトルでキャンピングカーに泊まる 注目エリアのおしゃれキャンピングカー リベラルな住宅街でホームレスのおっちゃんに出会う ハンドドリップコーヒーで始まるシアトルの1日 一つの街と道の越えがたき壁 アップデート コロナ禍のアメリカ、見えない犠牲者 第6章 欲望と絶望と――既視感と哀しみのラスベガス カジノの街ラスベガス 全てがフェイクとデジャブ 哀しみのラスベガス コラム③ 銃を持つ自由の国アメリカ 第7章 砂漠地帯と消えた町バグダッド――カリフォルニアのもう一つの顔 カリフォルニアの多様な景色 隠れた見所ゴーストタウン 消えた町バグダッド 大都市と郊外と 第8章 見果てぬキューバ――ラティーノのアメリカを巡る旅 近くて遠い国キューバ リトルハバナの昼下がり クルーズ船の旅 要塞都市サンファン上陸 護られざる城壁の向こう側 サンファンを後にして プエルトリコと沖縄と アップデート キューバにもクルーズにも行けなかった話 コラム④ アメリカのラティーノの多様性 第2部 先住民のアメリカを訪ねて 第9章 さよならコロンブス・デー――バケーションランド・メイン州が向き合う先住民の歴史 「コロンブス・デー」から「先住民の日」へ 全米最初の朝日が昇るバケーションランド 先住民のホームランド 「私たちは今もここにいる」 アップデート 倒されるコロンブス像 コラム⑤ 建国の地を歩く――東海岸三都物語 第10章 ルート66エクスカーション――プエブロ族の遺産を巡る アルバカーキの結婚式 サンタフェからチマヨ教会へ 世界遺産タオス・プエブロと先住民の青いマリア 山間のバス停を数えて 土煙を越えてチャコ・カルチャーへ 危機に瀕するチャコ・キャニオン アップデート 新たなステージへ 第11章 大草原地帯を行く――苦難のきた道をたどり希望を見つけて 大草原に音楽の架ける橋 ウィネバゴ族の涙の旅路 アメリカで一番小さな村を目指して 荒野の西部開拓 「聖地」の招かれざるものたち ウィンド・リバー先住民居留地へ 美しきグランド・ティトン バイソンの消えた丘 都市インディアンから居留地の担い手へ 他国と先住民と共に、国立公園の今 継承される文化と誇り アップデート コロナ禍で牙をむく不平等 第3部 南部を歩く 第12章 南部とはなにか?――世界遺産の街ヴァージニア州シャーロッツビルを訪ねて 初めてのアメリカ・ロード・トリップへ 2人の大統領邸と白人ばかりの田舎町 悲劇の現場シャーロッツビル 南部を巡る旅へ アップデート リー将軍像の撤去された日 コラム⑥ ワシントンD.C.の隠れた見どころ「ブラック・ブロードウェイ」 第13章 綿花畑を抜けてディープサウスへ――アフリカ系アメリカ人の歴史をたどって 美食の街チャールストンの休日 美しい街の暗黒の歴史 サヴァンナの「涙の時間」 南部のゲートウェイ・アトランタへ キング牧師歴史地区 歩き続ける非暴力運動 アップデート アトランタの新たなヒーローたち 第14章 アラバマ・フリーダム・トレイル――We shall overcome 「ボミンガム」へようこそ 迫害と抵抗の足跡 ソウル・フードの名店を訪ねて 賑わう南部料理の人気店へ 「ブラザーフットだよ」 悲劇の現場に響くゴスペル 「血の日曜日」から勝利の行進へ 幾千もの無名の犠牲者を称えて モンゴメリーが生んだ2人のヒーロー キング牧師記念日に再びアトランタ アップデート ジョン・ルイス「最後の渡橋」 コラム⑦ アフリカ系アメリカ人の歴史を知る映画三選 終章 ニューオーリンズの聖者の行進――多様性の向かう先 48州目ミシシッピのブルース街道へ 地元の寄り合い所「ジューク・ジョイント」へ ニューオーリンズの音楽葬 欧州の歴史香るジャズの故郷 多様性のガンボ 町の小さなマルディ・グラ 旅の終わりに あとがき 主要参考文献 前書きなど あとがき (…前略…) 連れ合いからアメリカに駐在となると聞いた時、正直それほど楽しみなものではなかった。「端っこ好き」の私にとっては、アメリカは世界の中心のようであり、王道の行き先だった。一度も旅をしようと考えたことがなかった。 十分な渡航準備期間をもらい移住の支度をしていた頃、アメリカでは大統領選挙が行われ、ドナルド・トランプが当選した。そして、アメリカに無事にたどり着いて程なく、シャーロッツビルであの悲劇が起こった。 この国はどんな国なのだろう? 旅をするうちに、アメリカという国そのものが、居場所を失った人々が自由を求めて世界中からやってくる、世界の辺境のように思えてきた。あまりに多様な人々が生きるこの巨大な辺境は、人の営みのあらゆるものが世界中から持ち込まれ、それゆえに必然的に生まれる人々の対立と克服は、まるで世界の縮図のようであり、壮大な社会実験のようですらある。 いかに人は共に生きることができるのか? 気づけばアメリカ中を旅していた。辺境の中のさらに辺境へ。この国の多彩な風景と、そこにある人々の暮らし、歩んできた道のりを追って走ってきた。 ひきこもりの若者と共に過ごすフリースペースから、困難を抱える子どもたちの多く通う高校内の居場所カフェから、困窮者支援の相談室から、あるいは出張相談に訪れた風俗店の待機部屋から……。私は日本で周縁から社会を見てきた。アメリカの辺境性は、私が見てきたそんな日本の風景とどこか地続きのようだった。 この本を通じて描いてきた人々やアメリカの直面している状況は、全く同じではないけれど、日本のどこにでも潜んでいる。多くの人が気にも留めずに通り過ぎていく街中のホームレスの人たち、食べるものにも困る子どもたちの貧困、衰退する地方の経済、トランプ政権顔負けの残酷な入国管理、増え続ける移民たちが抱える暮らしの苦難、外国人や先住民への差別など、日本の抱える課題の多くが、本書で出てくるアメリカの風景と重なるのではないだろうか。その規模や表出の鮮明さ、態様に違いはあれど、読者の皆さんが、苦悩するアメリカの人たちだけではなく、ここ日本で周縁に追いやられている人たちにも、本書を通じて想いを馳せていただけることを願っている。 私たちは、幸運にも2020年2月末に、最後のミシシッピ州に到達し、アメリカ本土48州の旅を終えることができた。その後、周知の通りアメリカは新型コロナウイルス感染拡大によるロックダウン、ブラック・ライブズ・マター運動、歴史に残る大統領選挙と年明けの国会議事堂侵入事件と、息つく暇もない激動であった。今もワクチン接種などをめぐる分断と再度の感染拡大を繰り返しながら国は揺れて続けている。それでも、きっとこれまで同様、アメリカは一歩ずつ、この苦難を乗り越えながら、一つの国として歩んでいくのだと信じている。 (…後略…) - 著者プロフィール - 鈴木 晶子 (スズキ アキコ) (著) NPO法人パノラマ理事、認定NPO法人フリースペースたまりば事務局次長・理事、一般社団法人生活困窮者自立支援全国ネットワーク研修委員。臨床心理士。 1977年神奈川県に生まれ、幼少期を伊豆七島神津島で過ごす。大学院在学中の2002年よりひきこもりの若者の訪問、居場所活動に関わり、若者就労支援機関の施設長などを経て2011年一般社団法人インクルージョンネットかながわの設立に参画、代表理事も務めた。その傍らNPO法人パノラマ、一社)生活困窮者自立支援全国ネットワークの設立に参画。専門職として、スクールソーシャルワーカーや、風俗店で働く女性の相談支援「風テラス」相談員なども経験。内閣府「パーソナル・サポート・サービス検討委員会」構成員、厚生労働省「新たな自殺総合対策大綱の在り方に関する検討会」構成員等を歴任。2017年に渡米。現地の日系人支援団体にて食料支援のプログラムディレクター、理事を務めた。2020年帰国。現職。著書に『シングル女性の貧困――非正規職女性の仕事・暮らしと社会的支援』(共編著、明石書店、2017年)、『子どもの貧困と地域の連携・協働――〈学校とのつながり〉から考える支援』(共編著、明石書店、2019年)他。
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学びのきほん フェミニズムがひらいた道 | 上野千鶴子
¥737
NHK出版 2022年 ソフトカバー 124ページ A5判 - 内容紹介 - その歴史と意義が2時間でわかる、著者初の総合的な入門書。 学校で習った「男女雇用機会均等法」や「男女共同参画社会基本法」。これらは、真の男女平等を実現するものではなかった? フェミニズムはなぜ生まれ、何を変え、何を変えられなかったのか。その流れを「四つの波」に分けてコンパクトに解説する。女性参政権、性別役割の解放、#MeToo……。過去を知り、自分の経験を再定義する言葉を手に入れるために。日本におけるフェミニズムを切り開き続けてきた第一人者が、多くの経験知とともにフェミニズムがたどった道のりを語る。 - 著者プロフィール - 上野 千鶴子 (ウエノ チヅコ) (著/文) 1948年、富山県生まれ。社会学者、東京大学名誉教授。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。専門学校、短大、大学、大学院、社会人教育などの高等教育機関で、40年間教育と研究に従事。主な著書に『近代家族の成立と終焉』『家父長制と資本主義』(岩波現代文庫)、『おひとりさまの老後』(文春文庫)、『ひとりの午後に』(NHK出版/文春文庫)、『在宅ひとり死のススメ』(文春新書)、『おひとりさまの最期』『女ぎらい』(朝日文庫)、『ケアの社会学』(太田出版)など多数。
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男らしさの終焉|グレイソン・ペリー, 小磯洋光(翻訳)
¥2,200
フィルムアート社 2019年 ソフトカバー 208ページ 四六判 - 内容紹介 - どうしたら窮屈な“男らしさ”のスーツを脱げるのか? 男性はどこへ向かうべきなのか? 男性が変われば世界全体がより良い場所になる ──ターナー賞アーティストであり異性装(トランスヴェスタイト)のクレアとしても知られるグレイソン・ペリーが、新しい時代のジェンダーとしなやかな男性のあり方を模索する。 英国生まれのアーティストであり、TVメディアでパーソナリティを務めるグレイソン・ペリーは、12歳の時に自分の男性性に疑問を抱き、やがて女性の服を着ることに魅力を感じるようになりました。 暴力的な継父など周囲の男性たちやジェンダーの縛りのせいで苦しんだ経験をもつグレイソン・ペリーは、男性の最大の敵は、男性自身だといいます。 男性性の被害者は女性だけではありません。 男性自身もまたジェンダーを演じることに駆り立てられている犠牲者といえます。 大抵の男性はいい人で道理をわきまえています。 しかし、乱暴な人間、レイピスト、犯罪者、殺人者、脱税者、汚職政治家、セックス中毒、ディナーで退屈な話をするのは、なぜ男性ばかりなのでしょうか。 世界は絶えず変化しています。男性にも変化が必要です。 マッチョで時代遅れの男らしさと距離を置き、それとは別の男らしさを受け入れることで、世界にポジティブな変化をもららすことができるのです。 本書では主に男性性が支配する四つのエリアについて言及しています。 ・権力(男性が世界を支配する様子) ・パフォーマンス(男性の服装と振る舞い) ・暴力(男性が犯罪や暴力に手を出す様子) ・感情(男性の感情) グレイソン・ペリーは、人種、階級、性別、セクシュアリティ、経済学、人類学、社会学、および心理学など、さまざまな分野を横断しながら、冷静な(時には風刺を交えて)分析をしています。そして、本書の最後に、男性向けの未来のマニフェストを提示しています。 《男性の権利》 傷ついていい権利 弱くなる権利 間違える権利 直感で動く権利 わからないと言える権利 気まぐれでいい権利 柔軟でいる権利 これらを恥ずかしがらないでいい権利 社会で規範とされている男性像、男らしさの固定観念から自由になるために。 世界を少し違った形で見るために。 これからのジェンダー論、ついに刊行。 目次 序:壊れてないなら直すなよ 1章:魚に水のことを聞く 2章:男性省 3章:ノスタルジックマン 4章:客観主義という殻 終わりに:男たちよ、自分の権利のために腰をおろせ - 著者プロフィール - グレイソン・ペリー (グレイソン ペリー) (著/文) 960年イギリス生まれ、ロンドン在住のアーティスト。現代社会におけるアイデンティティやジェンダー、社会的地位、セクシャリティ、宗教など、普遍的に人間的な主題を風刺的に扱い、陶芸作品やタペストリー、彫刻、版画といった伝統的なメディアを使って物語絵的に表現している。2003年にはターナー賞を受賞。日本では2007年に金沢21世紀美術館で個展を開催。2011年の大英博物館、2017年のサーペンタイン・ギャラリーなど個展も多数開催しているほか、作品制作のドキュメンタリーや社会問題を扱ったテレビ番組が英国アカデミー賞を受賞している。著書に『Playing to the Gallery』(Penguin, 2014)。クレアという異性装のキャラクターとしても知られる。 小磯洋光 (コイソ ヒロミツ) (翻訳) 1979年東京都生まれ。翻訳家。イースト・アングリア大学大学院で文芸翻訳を学ぶ。英語圏の文学作品の翻訳のほか、日本文学の翻訳にも携わる。翻訳書にテジュ・コール『オープン・シティ』(新潮社)。「かみのたね」にて「With or Without Dictionaries 日本語を翻訳する人たち」を連載中。
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「家庭料理」という戦場 暮らしはデザインできるか?|久保明教(著)
¥2,200
コトニ社 2020年 ソフトカバー 216ページ 四六変型判 - 内容紹介 - 作って、食べて、考える。 「私、結婚したら毎日違う料理を作るんだ!」ある先輩が発したこの言葉に誘われるように、文化人類学者は「家庭料理」というフィールドにおもむく。 数々のレシピをもとに調理と実食を繰り返し、生活と学問を往復しながら家庭料理をめぐる諸関係の変遷を追跡する。 心を込めた手作りが大事なのか、手軽なアイデア料理が素晴らしいのか、家族がそれぞれ好きに食べる個食はなぜ非難されるのか、市販の合わせ調味料は「我が家の味」を壊すのか、レシピのデータベース化は何をもたらしたのか、私たちは暮らしを自由にデザインできるのか? 家庭料理をめぐる様々な問いと倫理が浮かびあがり、それらが互いに対立しながら部分的につながっていく。 日々の料理を作り食べること、それは暮らしという足下から私たち自身を考えることにつながっている。 【目次】 はじめに――毎日違う料理を作るんだ! 第一章 わがままなワンタンとハッシュドブラウンポテト 暮らし、見えない足下/美味しい時短/消費社会下の家庭料理/ゆとりの天才/静かな戦い 実食! 小林カツ代×栗原はるみレシピ対決五番勝負(前半戦) 第1戦 昼の副菜「キューカンバーサラダ×自家製ピクルスミックス」 第2戦 昼の主菜「じゃが芋スパゲティ×スパゲッティミートソース」 第二章 カレーライスでもいい。ただしそれはインスタントではない 手作りと簡易化/村の味/毎日がごちそう/ねじれた継承/贈与の拠点 実食! 小林カツ代×栗原はるみレシピ対決五番勝負(後半戦) 第3戦 夜の副菜「大根たらこ煮×じゃがいものニョッキ、レンジトマトソース」 第4戦 夜の主菜「食べるとロールキャベツ×煮込みれんこんバーグ」 第三章 なぜガーリックはにんにくではないのか? 正しい料理/脱構築の末路/欲求を知り、満たす/にんにくではダメなんです/「我が家の味」のデータベース/動物的消費の彼方/ホワイトキューブのもそもそメシ 実食! 小林カツ代×栗原はるみレシピ対決五番勝負(最終戦) 第5戦 夜の汁物「なすとそうめんの汁×かぼちゃの冷たいスープ」 レシピ五番勝負を終えて おわりに――暮らしはデザインできるか? 目次 はじめに――毎日違う料理を作るんだ! 第一章 わがままなワンタンとハッシュドブラウンポテト 暮らし、見えない足下/美味しい時短/消費社会下の家庭料理/ゆとりの天才/静かな戦い 実食! 小林カツ代×栗原はるみレシピ対決五番勝負(前半戦) 第1戦 昼の副菜「キューカンバーサラダ×自家製ピクルスミックス」 第2戦 昼の主菜「じゃが芋スパゲティ×スパゲッティミートソース」 第二章 カレーライスでもいい。ただしそれはインスタントではない 手作りと簡易化/村の味/毎日がごちそう/ねじれた継承/贈与の拠点 実食! 小林カツ代×栗原はるみレシピ対決五番勝負(後半戦) 第3戦 夜の副菜「大根たらこ煮×じゃがいものニョッキ、レンジトマトソース」 第4戦 夜の主菜「食べるとロールキャベツ×煮込みれんこんバーグ」 第三章 なぜガーリックはにんにくではないのか? 正しい料理/脱構築の末路/欲求を知り、満たす/にんにくではダメなんです/「我が家の味」のデータベース/動物的消費の彼方/ホワイトキューブのもそもそメシ 実食! 小林カツ代×栗原はるみレシピ対決五番勝負(最終戦) 第5戦 夜の汁物「なすとそうめんの汁×かぼちゃの冷たいスープ」 レシピ五番勝負を終えて おわりに――暮らしはデザインできるか? 前書きなど ※以下は、本書「はじめに――毎日違う料理を作るんだ!」の草稿です。書籍とは細部が異なる場合があります。 一五年ほど前のある日の晩、私は大学院ゼミの飲み会に参加していた。結婚を機に大学院をやめることになった先輩の送迎会だった。「私、結婚したら毎日違う料理を作るんだ!」と彼女は嬉しそうに宣言した。好奇心旺盛で多趣味多芸な人であったから、おそらく先輩は実際に毎日違う料理を作ろうとしたのだろう。 彼女の計画はとても魅力的に思えた。だが、毎日まったく違う料理を作り、食べる暮らしとはどのようなものだろうか。美味しい料理ができたらまた作りたくならないか。昨晩のカレーを朝食に供したらダメだろうか。冷蔵庫に賞味期限まぢかの豆腐を見つけて「今日も冷奴でいいか」とはならないのか。それに、家庭料理には似たような品目が少なくない。ミートボールとハンバーグ、ビーフストロガノフとハヤシライスはまったく別の料理ではないし、細かいアレンジも可能だ。ビーフストロガノフを作ろうとして高い牛肉しか売っていなければ安い豚肉を使えばいい。生活とはそんなものではないだろうか? 先輩の宣言を私がいつまでも忘れられないのは、そこに「暮らしは自由にデザインできる」という新しい発想の輝かしさと苦しさを嗅ぎつけたからだと思う。私自身もまた、学問に携わってきたこの十数年のあいだ、週の半分以上はスーパーに通って夕食を作り、献立に悩んだり、弁当のおかずに苦慮してきた。料理研究家の本やレシピ投稿サイトを調べて目先の変わった料理を作ることは楽しいし、「美味しい」と言われれば嬉しい。だが、毎日まったく違う料理を作ることはなかった。 近所のスーパーで野菜売り場から入りつつ夕飯の献立を考えるとき、私は微かな喜びと確かな苦痛を感じる。さぁ、今日も楽しい料理の時間だ。売り場にはまだ試したことのない多様な商品が並んでいる。スマホを使えば膨大なレシピを検索できる。頑張ればなんでも作れるし、きっと新しい味と出会えるだろう。 だがそれは、限られた予算と時間と疲れた身体が許すかぎりでしかない。目先の変わったレシピは親しい人の口にあわないかもしれない。定番の一品はそろそろ飽きられるかもしれない。生ごみの日はもう過ぎたから骨が残る魚は買いにくい。レタスかキャベツが残っていた気がするが、あれはもう腐っていないか……。あぁ、もう疲れた、今夜は居酒屋にでも行こうか。だけど最近外食が続いたから家で食べたいしなぁ……。 自らの些細な選択が、暮らしに緩慢な亀裂を刻んでいく。やっぱり毎日ちがう料理を作るなんて無茶な話だ。暮らしとは同じことの繰り返しを丁寧にやりくりしていくことではないのか。だが、それもまた膨大な選択肢のなかで特定の「ルーティン」を選びとることでしかないように思える。微かな希望と絶望を伴って家庭料理が作られ、食べられる場。それは、自らの一挙一動が、極めて間接的な仕方であれ、生と死に関わる戦場である。 本書は、家庭料理をめぐる学問的な考察と日常的な経験を横断しながら綴られている。それは、一面において科学技術の人類学を専門とする筆者が身につけてきた学問的観点から一九六〇年代から二〇一〇年代に至る家庭料理の変遷を記述するものであるが、社会的・文化的背景を周到に配置することでそれを外側から客観的に分析しようとするものではない。本書における題材の選択や考察の切り口は、前述した筆者に固有の日常的経験によって規定されている。だが、それは一人の生活者としての経験に根ざした主観的な観察に研究者としての知識を添えた学術的エッセイでもない。 本書執筆に先立って、私は一九六〇~二〇一〇年代に刊行された様々なレシピ本を収集し、実際にそれらを参考にしながら多くの料理を作っている。世界各国のマイナーな料理を扱う近年のレシピ本よりも、自分が生まれる前に刊行された料理書のほうが新奇な味に出会うことが多かった。例えば、『江上トミの材料別おかずの手本』(一九七四年、世界文化社)に収められた「小あじのムニエル」は、茹でて裏ごししたジャガイモにバターで炒めた玉ねぎとパセリを混ぜ、生卵を加えて四角に成型してから、背開きにして中骨をとり小麦粉をまぶした小あじに挟んでバターで焼き、茹でたシェルマカロニと輪切りトマトをバターで焼いて添えた料理である。「小あじ、ジャガイモ、トマト」という入手しやすい食材を用いながらもバターを多用した重厚な洋風魚料理であり、焼き付けたトマトのすっぱさとシェルマカロニのもちゃもちゃした触感があわさって大変に美味しい一品となっている。 しかしながら、その「美味しさ」は二〇一〇年代末における筆者の暮らしの中では極めてすわりの悪いものでもあった。手間も時間もかかるわりに見た目は地味だし、副菜や汁物をどうあわせてよいかも分からない。「小あじのムニエル」が御馳走でありえた一九七〇年代前半の状況(高速道路やスーパーによる流通の発展、洋食への憧れ、魚屋の全国的増加など)から遠く離れた現代の食卓において、その味わいはどこか的外れに感じられてしまう。 「小あじのムニエル」を現代風にアレンジすれば、小あじを骨のないサーモンに替え、ジャガイモはレンジで加熱して裏ごしは省き、焼きトマトとシェルマカロニの代わりにミニトマトとベイビーリーフを添え、粒マスタードにマヨネーズを和えたソースをかけた「サーモンのポテトサンド焼き」になるかもしれない(一度試したが調理も簡単で美味しかった)。 だが、この料理は江上レシピのまま何度か食卓に上った。スパイスカレーのような新奇な題材を扱っていても現代に即した調整が施されたレシピと比べて、江上トミの料理には特異な味わいがあり、筆者の暮らしはその味わいを通じて慣れ親しんだものとは異なる諸要素と結びつくことになる。 暮らしも研究も、諸々の要素と多様な関係を結ぶことによって進行する。文献やレシピ本や調理を通じて、筆者は家庭料理をめぐる諸関係の網の目(ネットワーク)をたどってきた。 研究者としても生活者としても、私はそのネットワークに内在しており、外側からそれを客観的に分析することはできない。たしかに、様々な要素と新たな関係をむすぶことを通じてそれらの諸関係を外側から捉える認識は生じる。だが、それは私=観察者が内在するネットワークの運動が産出する一時的な把握に他ならない。新たな関係をたどることで競合する外在的認識が浮上し、それらの齟齬が新たな要素との関係を導く。私が親しんできた現代の家庭料理レシピは多種多様に思われたが、「小あじのムニエル」の特異な味わいに触れることでそれらの均質性が見えてくる。「サーモンのポテトサンド焼き」は簡単で美味しいが、味の広がりは限定されている。その認識は、さらに、細やかな下ごしらえ(小あじの中骨をとって背開きにし、ジャガイモを裏ごしするといった作業)が「料理を美味しくするひと手間」とはされ難くなってきた家庭料理をめぐる諸関係の歴史的変容へ観察者を誘っていく。 このように、本書の記述は、客観的観察や主観的経験に基づくものではなく、関係論的に構成されている。ネットワークに内在する観察者が様々な要素と結びつくことによって、そこで生じる外在的な認識が共立し共振しながら変容し、新たな関係性の組み替えが喚起される。学問的論述でもエッセイでもなく、絶えず両者の狭間を動き続けるような本書の記述に対して、困惑や違和感を覚える読者もいるだろう。そもそも家庭料理をめぐる経験や認識は人によって極めて多様であり、それは「これが一般的な家庭料理だ」という認識自体の差異を伴っている。筆者がたどる諸関係が、読者になじみのある諸関係と完全に一致することはないだろう。取り上げる事柄が断片的だと思われるかもしれないし、記述を通じて浮かびあがる価値判断のいくつかは受け入れがたいと思われるかもしれない。 だが、本書は家庭料理という事象をそのような異議や議論を呼ぶものとして提示するために書かれている。各章のあいだに置かれた「実食! 小林カツ代×栗原はるみレシピ対決五番勝負」もまた、具体的なレシピと筆者や友人たちのコメントを通じて――もちろん共感できる箇所も違和を感じる箇所もあるだろうが――本文の記述と読者の経験を関係づけてもらうためのものである。記述を通じて諸関係が組み替えられ、相異なる価値や倫理が浮上し共立し互いに変容していく。そうしたプロセスを通じて、料理や暮らしや学問をめぐる思考と実践を再考し、再構成していく媒介として本書は読者の前に提示されることになる(前著『ブルーノ・ラトゥールの取説』の読者には意外と思われるだろうが、本書は、同書で構想した方法論、とりわけ終盤で素描した「汎構築主義」をめぐる論点を具体的事例に即して展開したものである)。 「毎日違う料理を作るんだ!」という先輩の宣言から一五年ほど経過した現在、「暮らしは自由にデザインできる」という発想はより一般的になったように思われる。「自己分析」や「拡張現実」や「ライフハック」といった言葉の広まりは、「自己」や「現実」や「生活」が所与の条件(出身地や階級や社会構造など)によって規定されるものとはみなされなくなってきたことを示している。もちろん、そうした条件がまったく影響力を失ったわけではないが、それらを対象化して分析し拡張し改変することによって、私たちはより自由に自分らしく生きていくことができる。こうした発想が普及し称揚され規範化されるにつれて、「生活」は逃れえない必要性の源泉ではなく、自由なデザインの対象として把握されるようになる。 その結果、生活は学問的分析へと接近する。近年ではインターネットやスマートフォンを通じて専門的知識へのアクセスがより簡易化され、客観的な事実だけでなく学問的な視角自体を生活に導入することが容易になってきた。家事の見える化、鍵付きアカウントによる同調圧力への抵抗、消費社会批判としてのミニマリスト的消費。暮らしを対象化しデザインしていく実践において、生活を分析する学問的視角自体が生活の一部に組み込まれる。社会を外側から観察できるはずの社会科学的知は、それ自体が社会の内部に浸透することによってその俯瞰性を失っていく。だが、外在的な知もまた内在的な諸関係の暫定的産出物だと考えれば、知の再帰性を通じた俯瞰性の喪失は諸関係の内在的な組み替えの可能性へと変換される。家庭料理をめぐる諸関係の変遷をたどることによって異なる認識が共立し、それらの対立や摩擦を伴う相互作用が新たな諸関係の組み替えを喚起していく。その運動の只中において、自らの感覚や思考や営為を捉え直し、再構成してもらう踏み台となるために本書は書かれている。 では、記述をはじめよう。 版元から一言 前著『ブルーノ・ラトゥールの取説』(月曜者、2019)で構想した方法論を「家庭料理」という身近で具体的な事柄に即して展開しながら、「暮らしをデザインすること」について問います。 また、江上トミ、土井勝、小林カツ代、栗原はるみ、土井善晴ら著名な料理研究家の系譜も辿りながら、家庭料理60年の栄光と挫折をあぶり出します。 学術論文とエッセイのあいだのような文体と構成になっています。 - 著者プロフィール - 久保明教 (クボアキノリ) (著) 一橋大学社会学研究科准教授。1978年生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科単位取得退学。博士(人間科学)。専攻は、文化/社会人類学。主な著書に、『ブルーノ・ラトゥールの取説ーーアクターネットワーク論から存在様態探求へ』(月曜社、2019年)、『機械カニバリズムーー人類なきあとの人類学へ』(講談社、2018年)、『ロボットの人類学ーー二〇世紀日本の機械と人間』(世界思想社、2015年)など。
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海をあげる|上間 陽子
¥1,760
筑摩書房 2020年 ソフトカバー 256ページ 四六判 - 内容紹介- Yahoo!ニュース|本屋大賞2021 ノンフィクション本大賞受賞! 第7回沖縄書店大賞 沖縄部門大賞受賞! 第14回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞受賞! 「海が赤くにごった日から、私は言葉を失った」 おびやかされる、沖縄での美しく優しい生活。 幼い娘のかたわらで、自らの声を聞き取るようにその日々を、強く、静かに描いた衝撃作。 ――― ねえ、風花。海のなかの王妃や姫君が、あの海にいる魚やカメを、どこか遠くに連れ出してくれたらいいのにね。赤くにごったあの海を、もう一度青の王国にしてくれたらいいのにね。 でもね、風花。大人たちはみんな知っている。護岸に囲まれたあの海で、魚やサンゴはゆっくり死に絶えていくしかないことを。卵を孕んだウミガメが、擁壁に阻まれて砂浜にたどりつけずに海のなかを漂うようになることを。私たちがなんど祈っても、どこからも王妃や姫君が現れてくれなかったことを。だから私たちはひととおり泣いたら、手にしているものはほんのわずかだと思い知らされるあの海に、何度もひとりで立たなくてはならないことを。そこには同じような思いのひとが今日もいて、もしかしたらそれはやっぱり、地上の王国であるのかもしれないことを。 だから、風花。風花もいつか、王国を探して遠くに行くよ。海の向こう、空の彼方、風花の王国がどこかにあるよ。光る海から来た輝くあなた、どこかでだれかが王妃の到着を待っているよ。(「アリエルの王国」より) ――― 最後に知るタイトルの意味―― その時、あなたは何を想うか。 ブックデザイン=鈴木成一デザイン室 装画・挿画=椎木彩子 【目次】 美味しいごはん ふたりの花泥棒 きれいな水 ひとりで生きる 波の音やら海の音 優しいひと 三月の子ども 私の花 何も響かない 空を駆ける アリエルの王国 海をあげる 調査記録 あとがき 目次 【目次】 美味しいごはん ふたりの花泥棒 きれいな水 ひとりで生きる 波の音やら海の音 優しいひと 三月の子ども 私の花 何も響かない 空を駆ける アリエルの王国 海をあげる 調査記録 あとがき - 著者プロフィール - 上間 陽子 (ウエマ ヨウコ) (本文) 1972年、沖縄県生まれ。琉球大学教育学研究科教授。普天間基地の近くに住む。 1990年代から2014年にかけて東京で、以降は沖縄で未成年の少女たちの支援・調査に携わる。2016年夏、うるま市の元海兵隊員・軍属による殺人事件をきっかけに沖縄の性暴力について書くことを決め、翌年『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版、2017)を刊行。ほかに「若者たちの離家と家族形成」『危機のなかの若者たち 教育とキャリアに関する5年間の追跡調査』(乾彰夫・本田由紀・中村高 康編、東京大学出版会、2017)、「貧困問題と女性」『女性の生きづらさ その痛みを語る』(信田さよ子編、日本評論社、2020)、「排除Ⅱ――ひとりで生きる」『地元を生きる 沖縄的共同性の社会学』(岸政彦、打越正行、上原健太郎、上間陽子、ナカニシヤ出版、 2020)など。現在は沖縄で、若年出産をした女性の調査を続けている。
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モヤる言葉、ヤバイ人 自尊心を削る人から心を守る「言葉の護身術」|アルテイシア
¥1,540
大和書房 2021年 ソフトカバー 256ページ 四六判 - 内容紹介- 「いい奥さんになりそうだね」「私だったら笑顔でかわすけど」 ジェンダーの押し付け・マウンティング・セクハラ・パワハラ…… 女子を困らせる「モヤる言葉」を元気よくバットでかっとばす、痛快エッセイ! 「モヤる言葉に言い返す方法」や「ヤバイ人から身を守る方法」など、言葉の護身術が詰まった一冊! 明菜返し、エジソン返し、哲学返し、猫&BL返し、ナイツ返し、ネズミ返し、 マンスプ返し、イキリオタク返し、オカルト返し、エシディシ返し、アナル返し… その他、あらゆるシチュエーションに対処する方法が満載。 弁護士の太田啓子さんとの対談「法律の護身術」も収録。 セクハラやパワハラに遭ったら?モラハラやDVを受けたら?性被害に遭ってしまったら? ネットで嫌がらせをされたら?…等、法律の知識も詰まった、 女子がサバイブするための必読書。 目次 【目次】 はじめに 1章 悪気はないかもしれないが 誉めるフリをした「モヤる言葉」 「いい奥さんになりそうだよね」押しつける人 「あなたは強いからいいよね」決めつける人 「おじさん転がすの上手いよね」ミソジニーな人 「子どもがいるようには見えない! 」見た目をジャッジする人 「優しい旦那さんだね」良妻賢母を求める人 「彼氏できた? 彼氏の影響?」モテ教を引きずる人 「幸せ太り?」ルッキズムに加担する人 「私は〇〇に偏見がないから」無意識に踏む人 2章 女子を狙うクソバイス アドバイス型「モヤる言葉」 「子どもを産めば、仕事の幅が広がるんじゃない?」子育て教の人 「夫の浮気を許すのがいい女」ケアを求める人 「私だったら笑顔でかわすけど」女王蜂になる人 「女子力磨けば結婚できるよ」マウンティングする人 「もう許してあげたら?」二次加害する人 コラム うっかりやりがちな善意ハラスメント 3章 セクハラ・パワハラのセパ両リーグ開幕! 女子を標的にする「ヤバイ人」 「君は才能があるから●●してあげるよ」立場を利用する人 「Hな話がしたいな~ナンチャッテ」勘違いする人 「きみが悪い、きみが間違ってる」モラハラする人 「妻と別れてきみと結婚したいよ」不倫する人 「ナンパされて喜ぶ女もいるだろ」ナンパする人 「セックスの相性を確かめるって大事だよ」ヤリチンな人 4章 言葉の護身術でブロックしよう! 距離をとるべき「ヤバイ人」 「最近の若い奴は甘すぎる」体育会系な人 「失礼だろう! どういうつもりだお前! 」逆ギレする人 「子宮の声を聞かなきゃダメよ」トンデモ系の人 「ポテサラぐらい作ったらどうだ」説教する人 「友達なのに聞いてくれないの?」愚痴を言う人 「冗談なのにマジギレすんなよ(笑)」イジる人 「私なんてもうおばさんだし」自虐する人 特別対談 太田啓子×アルテイシア 今、知っておきたい「法律の護身術」
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おやときどきこども | 鳥羽和久
¥1,760
ナナロク社 2020年 ソフトカバー 272ページ 四六判 縦185mm 横133mm 厚さ190mm - 内容紹介 - 「正しさ」を手放したところから始まる、 新しい人間関係のあり方をリアルな事例とこれまでにない考察でつづる本。 福岡市のど真ん中で小中高生たち150余名の子どもたちと日々奮闘する著者が、 まさにいまの親子が抱えるリアルな問題を、子どもたち自身の生き生きとした語りを通して描き出します。 - 著者プロフィール - 鳥羽和久 (トバカズヒサ) (著/文) 1976年福岡県生まれ。学位は文学修士(日本文学・精神分析)。 大学院在学中に中学生40名を集めて学習塾を開業。 現在は、株式会社寺子屋ネット福岡代表取締役、唐人町寺子屋塾長、 及び単位制高校「航空高校唐人町」校長として、小中高生(160名)の学習指導に携わる。 教室の1Fには書店「とらきつね」があり、主催する各種イベントの企画や運営、 独自商品の開発等を行う。 著書に『親子の手帖』(鳥影社)など。
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私はいま自由なの? 男女平等世界一の国ノルウェーが直面した現実 | リン スタルスベルグ(著/文)枇谷 玲子(翻訳)
¥2,420
柏書房 2021年 ソフトカバー 406ページ 四六判 - 内容紹介 - ジェンダー先進国とされるノルウェー。 だが、そこに住む女性たちは幸福なのか。 労働問題を扱うジャーナリストが、 「先進国」ができるまでの過程を点検し、 仕事と家事、両方の負担に押しつぶされそうな ノルウェー女性たちの肉声を拾い集める。 「ジェンダーギャップ」を埋めただけでは解決しない、 日本もいずれ直面する本質的な課題を 浮かび上がらせる渾身のレポート。 目次 はじめに 胸騒ぎ 第一章 「仕事と家庭の両立」という難問 第二章 70年代の神話と社会変革の夢 第三章 仕事をすれば自由を得られる? 第四章 キャリア・フェミニズムと市場の力学 第五章 可能性の時代は続く 謝辞 原注 - 著者プロフィール - リン スタルスベルグ (リン スタルスベルグ) (著/文) 1971年ノルウェー生まれ。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで社会学の修士号を取得。アムネスティ・ノルウェー、ノルウェー国営放送NRK、新聞「階級闘争」などの媒体でジャーナリスト、コラムニストとして活躍。2013年に本書『私はいま自由なの?』を発表。アラビア語にも翻訳され、特にジェンダー・ギャップ指数ランキング134位のエジプトで、女性読者から大きな反響を得た。共著に、赤十字から出された『戦争のルール』(2012年、未邦訳)。単著は本作のほかに『もう飽き飽き――新自由主義がいかにして人間と自然を壊してきたか』(2019年、未邦訳)がある。
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アンチレイシスト・ベビー|イブラム・X・ケンディ, アシュリー・ルカシェフスキー(イラスト), 渡辺由佳里(翻訳)
¥1,980
合同出版 2021年 ハードカバー 32ページ 縦230mm 横230mm - 内容紹介- 全米図書賞ノンフィクション部門受賞(2016年)の気鋭の歴史家が、 反差別の時代の子どもたちにおくる、 アンチレイシスト(反差別主義者)になるための9つの方法。 年齢のうえでの子どもだけでなく、すべての年代の人が、 ともにアンチレイシスト・ベビーとなるよう、学び、育っていく必要があります。 この本の原書は、3歳から読めるボードブックとして2020年6月にアメリカで出版され、刊行前から大きな話題を呼び、教育現場にも広く普及しています。 Black Lives Matter運動の建設的な議論にも寄与し、ニューヨーク・タイムズベストセラー1位にもなったこの本が掲げるアンチレイシストになるための方法には、日本国内の差別構造を考えるためのエッセンスも凝縮されています。 日本語版となる本書には、日本のレイシズムにも見識の広い、明戸隆浩先生にご寄稿いただきました。 現代をうつすポップ&ストロングなイラストで展開され、子どもも大人も楽しめる1冊です。 - 著者プロフィール - イブラム・X・ケンディ (イブラム ケンディ) (著/文) 【作】イブラム・X・ケンディ 歴史家、ボストン大学教授、ボストン大学反人種主義研究・政策センター所長 2016年に刊行した『Stamped from Beginning: The Definitive History of Racist Ideas in America』で全米図書賞ノンフィクション部門受賞、ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストで1位を獲得。その後も『The Black Campus Movement』や『How to Be an Antiracist』も大きな反響を呼んだ。 https://www.ibramxkendi.com/ Instagram @ibramxk Twitter @DrIbram 【絵】アシュリー・ルカシェフスキー イラストレーター ハワイ出身、ロサンゼルス在住。反人種差別、反性差別のメッセージを力強く表現する作品を発表し、アート・カルチャー業界で注目を集めている。 http: //www.ashleylukashevsky.com Instagram @ASHLUKADRAWS 【訳】渡辺由佳里 アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、書評家、翻訳家 兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説 『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・Vスナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)などがある。
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生きるためのフェミニズム パンとバラと反資本主義|堅田香緒里
¥1,870
タバブックス 2021年 ソフトカバー 192ページ 四六判 縦188mm 横128mm 厚さ14mm - 内容紹介 - 私たちはみな、資本主義という恒常的な災害の被災者である。 パン(金)も、バラ(尊厳)も、両方よこせ! 蔓延する新型ウィルス、パンデミック下で強行される五輪、そして顕在化する不平等や分断。私たちが直面している危機は、COVID-19 によるというよりは元来グローバル資本主義ないしネオリベラリズムという災厄によるものであるー 女性の活躍、ケア労働、路上生活、再開発、生活保護...あらゆる格差、貧困、分断の問題を最新のフェミニズムの視点から読み解き、国内外の事例から日常的で具体的な抵抗の方法を探る。気鋭の社会学者、初の単著。 目次 Ⅰ パンとバラのフェミニズム/私たちはみな、資本主義という恒常的な災害の被災者である パンとバラのストライキ―ローレンスの移民女性労働者たちのストライキ 「活」という名の妖怪―パンを食わせずバラ(のようなもの)を差し出すネオリベラリズム 魔女は禁欲しない―パンもバラもよこせ! パンデミックにおけるケアインカムの要求 Ⅱ 個人的なことは政治的なこと/路上、工場、周辺の場から 紙の味 現代の屑拾い 無菌化された労働力商品たちの夜 「声」をきくことの無理 Ⅲ ジェントリフィケーションと交差性/日常の抵抗運動 クレンジングされる街で 猫のように体をこすりつけろ 抵抗する庭 「開発」と家父長制 差別の交差性(インターセクショナリティ) 路上のホモソーシャル空間 夜を歩くために 前書きなど 女だからといって、派遣労働者だからといって、仕事や収入を失ったからといって、野宿者だからといって、トランスジェンダーだからといって、殺されてたまるか。誰かの「安全」のために、別の誰かの命や尊厳が犠牲にされるような社会はもうごめんだ。ーこの本は、こうした思いに共鳴して書かれたものである。(「はじめに」より) 版元から一言 『仕事文脈』に連載していた、堅田香緒里「さわる社会学」が本になります! 女性の活躍、ケア労働、路上生活、再開発、生活保護...あらゆる格差、貧困、分断の問題を最新のフェミニズムの視点から読み解き、国内外の事例から日常的で具体的な抵抗の方法を探る。気鋭の社会学者、初の単著です。 - 著者プロフィール - 堅田香緒里 (カタダカオリ) (著/文) 静岡県生まれ。東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程修了。博士(社会福祉学)。現在、法政大学社会学部教員。専門は社会福祉学、福祉社会学、社会政策。主な論文・著書に、エノ・シュミット/山森亮/堅田香緒里/山口純『お金のために働く必要がなくなったら、何をしますか?』(光文社新書、2018年)、「対貧困政策の新自由主義的再編:再生産領域における『自立支援』の諸相」(『経済社会とジェンダー』第2巻、2017年)、堅田香緒里/白崎朝子/野村史子/屋嘉比ふみ子『ベーシックインカムとジェンダー』(現代書館、2011年)など。
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痴漢とはなにか 被害と冤罪をめぐる社会学|牧野 雅子
¥2,640
エトセトラブックス 2019年 ソフトカバー 256ページ 四六変型判 縦188mm 横131mm 厚さ17mm - 内容紹介 - なぜ日本では「痴漢」という性犯罪が、こんなにも日常化しているのか? そして、「被害」の対で語られるべき「加害」ではなく、なぜ今「冤罪」ばかりが語られるのか? 戦後から現在までの雑誌や新聞記事を分析し、これまで痴漢がどう捉えられ、社会の意識がどうつくられてきたか読み解く、これまでなかった画期的な「痴漢」研究書。前提を共有し、これから解決策を考えていくために必読の一冊。 (主なトピック) 痴漢事件はどれくらい起こっているのか/夏は痴漢が増える、という思い込み/痴漢被害者に求められる「羞恥心」とは?/「痴漢は犯罪です」――は本当か?/女性専用車両は誰のために生まれたか/痴漢が娯楽になっていく過程/痴漢ブームは終わらない/たかが痴漢、されど痴漢冤罪の矛盾/痴漢=性依存というアプローチが注目される理由…etc. 目次 第1部 事件としての痴漢 1.痴漢事件はどのくらい起こっているのか 2.痴漢事件はどう捜査される 3.痴漢を取り締まる条例 第2部 痴漢の社会史~痴漢はどう語られてきたのか 1.戦後から1960年代まで~電車内痴漢という被害 2.1970年代~悩まされる女性たち 3.1980年代~文化と娯楽としての痴漢 4.1990年代~痴漢ブームと取締り 5.2000年以降~痴漢冤罪問題と依存症 第3部 痴漢冤罪と女性専用車両 1.痴漢冤罪ばかりが語られる理由 2.女性専用車両をどう考えるか 前書きなど メディアでは、痴漢被害をいかに防ぐか、痴漢冤罪に巻き込まれないためにはどうしたらいいのか、女性専用車両は男性差別ではないのかといったことが問題にされているが、対策を講じるためには、これまでに何が起こり、何が語られてきたのかという前提を共有する必要がある。/過去を知ること、共有すること。性暴力をなくすための議論のために、本書は書かれた。(本文より) - 著者プロフィール - 牧野 雅子 (マキノ マサコ) (著) 1967年、富山県生まれ。龍谷大学犯罪学研究センター博士研究員。警察官として勤めたのち、 京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学。博士(人間・環境学)。 専門は、社会学、ジェンダー研究。 著書に、『刑事司法とジェンダー』(インパクト出版会)、 『生と死のケアを考える』(共著、法蔵館)がある。
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エトセトラ VOL.5|小山内園子(責任編集), すんみ(責任編集)
¥1,430
エトセトラブックス 2021年 ソフトカバー 128ページ A5判 縦210mm 横148mm 厚さ6mm - 内容紹介 - フェミニストが韓国ドラマを語り、 フェミニズムで韓国ドラマを知る 韓国ドラマは一体なぜこんなにも私たちを熱くするのか? 数々の名ドラマが生まれてきた背景を探り、文化をアップデートしてきた女性たちのことばを聴く。進みつづける韓国ドラマに、私たちも続けるはず。 目次 特集:私たちは韓国ドラマで強くなれる はじめに 小山内園子 【韓国ドラマの今】 オ・スギョン「#MeToo運動後に韓国ドラマで描かれた女性の物語」(承賢珠訳) ファン・ギュンミン「進化するヒロインたち:韓国ドラマにおける女性像の変遷」 【読者アンケート】 あなたがフェミニズムを感じるドラマ 【韓国ドラマを知る】 韓国ドラマと韓国社会・女性史年表(作成:山下英愛) 金香清「韓国ドラマと言論弾圧の歴史ーー『砂時計』が週4放送だった理由」 成川彩「視聴者の声に敏感な韓国のドラマ作り」 木下美絵「飾らない、飾る必要もない、女性たちの結婚・出産ストーリー」 韓国の女性たちが選ぶ〈両性平等メディア賞〉とは 韓国ドラマの「企画意図」を読む 【インタビュー】 チョン・セラン「ドラマ『保健教師アン・ウニョン』について一問一答」 山下英愛「韓国フェミニズム研究者が語る、ドラマと女性たちの結びつき」 イ・ラン「固定観念をひっくり返してみたくて私はドラマをつくってきた」 【私が好きなドラマと台詞】 松田青子✕『ハイエナ』 小林エリカ✕『愛の不時着』 今井亜子✕『椿の花咲く頃』 アンティル✕『宮廷女官チャングムの誓い』 温又柔✕『愛の不時着』 金承福✕『美しき人生』 【コラム】 河野真理江「『メロ』と『悪女』――韓国宮廷時代劇についての覚書」 西森路代「韓国ドラマのビジュアルは、なぜ日本でラブコメ風になってしまうのか」 【対談】 田房永子✕柚木麻子「私たちは日本のドラマでも強くなれる?」 【編集部座談会】 変化し続ける韓国ドラマにこれからもついていきます! おわりに すんみ 【連載】 編集長フェミ日記 2020年11月~2021年4月 小山内園子・すんみ (新連載!)ふぇみで大丈夫 ナガノハル/vol.1:女は経済的自立で自由になるか? ここは女を入れない国 伊藤春奈(花束書房)/第3回:甲子園と女人禁制 Who is she? 大橋由香子/第3回:乳を売る彼女 LAST TIME WE MET彼女たちが見ていた風景 宇壽山貴久子 私のフェミアイテム 森本優芽 NOW THIS ACTIVIST 津賀めぐみ etcbookshop通信 【寄稿】 いちむらみさこ「感動ビジネスと家父長制組織のオリンピック・パラリンピック」 岩川ありさ「呼びかけと応答――フェミニズム文学批評という革命」 - 著者プロフィール - 小山内園子 (オサナイ ソノコ) (責任編集) 1969年生まれ。東北大学教育学部卒業。NHK報道局ディレクターを経て、延世大学などで韓国語を学ぶ。訳書に、姜仁淑『韓国の自然主義文学』(クオン)、キム・シンフェ『ぼのぼのみたいに生きられたらいいのに』(竹書房)、チョン・ソンテ『遠足』(クオン)、ク・ビョンモ『四隣人の食卓』(書肆侃侃房)、キム・ホンビ『女の答えはピッチにある 女子サッカーが私に教えてくれたこと』(白水社)、イ・ミンギョン『私たちにはことばが必要だ』『失われた賃金を求めて』(すんみとの共訳・タバブックス)、チョ・ナムジュ『彼女の名前は』(すんみとの共訳・筑摩書房)、カン・ファギル『別の人』(エトセトラブックス)がある。 すんみ (スンミ) (責任編集) 翻訳家・ライター。早稲田大学大学院文学研究科修了。訳書にキム・グミ『あまりにも真昼の恋愛』(晶文社)、チョン・セラン『屋上で会いましょ う』(亜紀書房)、共訳書にリュ・ジョンフン他『北朝鮮 おどろきの大転換』(河出書房新社)、イ・ミンギョン『私たちにはことばが必要だ フェ ミニストは黙らない』『失われた賃金を求めて』(タバブックス)、チョ・ナムジュ『彼女の名前は』(筑摩書房)などがある。
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エトセトラ VOL.4|石川優実(責任編集)
¥1,430
エトセトラブックス 2020年 ソフトカバー 128ページ A5判 縦210mm 横148mm 厚さ6mm - 内容紹介 - フェミマガジン4号目のテーマは「女性運動とバックラッシュ」! #KuToo運動の石川優実とともに、女性の運動を知る特集号。 70年代ウーマンリブ以降日本で運動してきた女性たちの話に耳を傾け、エッセイや漫画で女性運動史を学び、そして女性が声をあげる度に毎度起きてきた「バックラッシュ」とは一体何か考える論考も充実。600人の読者が参加した「あなたの#MeTooと怒りをきかせてください」アンケートをはじめ、ハイヒール着用について大手企業25社へのアンケート、漫画表現について出版各社へも質問しています。 声をあげ立ち上がってきた女性たちと連帯し、運動を実践する一冊です! 目次 特集:女性運動とバックラッシュ 声をあげ立ち上がった女たちの年表(作成:大橋由香子) 【インタビュー:運動の女性たちにきく】 米津知子 山田満枝 高木澄子 福島みずほ 正井禮子 【写真・エッセイ】 松本路子 【コラム:女たちの運動史】 佐藤繭香/サフラジェット 大島史子/女性参政権運動 柚木麻子/青鞜 伊藤春奈(花束書房)/炭鉱女社会 大橋由香子/中ピ連 斉藤正美/メディアの中の差別を考える会 小川たまか/性暴力を許さない女の会 【論考:運動とバックラッシュ】 斉藤正美・山口智美 三浦まり 飯野由里子 北原みのり 【#MeTooアンケート】 600人が答えた「あなたの#MeTooと『怒り』についてのアンケート」 【#KuTooアンケート】 職場でのヒール着用について企業25社にアンケート 【対談】 伊藤詩織✕石川優実 【鼎談】 飯田光穂✕遠藤まめた✕石川優実 【表現とジェンダーバイアスを考える】 論考:楠本まき「言葉/思考/記録/行動」 出版社アンケート 【アンケート】 疲れないで運動をつづけていく方法 【連載】 編集長フェミ日記 石川優実 ここは女を入れない国 伊藤春奈(花束書房)/第2回:歌舞伎と女人禁制 Who is she? 大橋由香子/第2回:捕まってしまった彼女 LAST TIME WE MET彼女たちが見ていた風景 宇壽山貴久子 私のフェミアイテム nichinichi NOW THIS ACTIVIST 女たちの戦争と平和資料館(wam) etcbookshop通信 Feminist Report 塚原久美「アフターコロナの世界の中絶」 【詩】 モジャ・カーフ/相川千尋訳 「ヒジャブ・シーン#7」「食器を洗ってくれる男が好きだ」 前書きなど はじめに 石川優実 「バックラッシュ」という言葉を私が知ったのは、#KuTooという運動を始めた頃だろうか。 「フェミニズムが盛り上がった後には必ずと言っていいほど揺り戻しがある、それが私は怖い」 そう言っている女性がいて、私はその日初めてバックラッシュというものの存在を認識した。2019年6月、まさに私はそのバックラッシュ真っ最中だったように思う。 「#KuTooは女性差別に対する運動です」そう明言して以降、私や#KuTooにはずっとバックラッシュが起こっている。デマをばらまく、孤立させようとする、嫌がらせリプライを毎日送る、運動が失敗したということにする(厚労省のパンフに掲載され、企業も運動の影響を受けフラットシューズもありにした、という報道があったにもかかわらず……!)、私の性格が悪いから賛同者が増えないということにする(署名は3万集まったにもかかわらず……!)、「死ね」という言葉を投げつける……。 でも、なんだろう。これってあんまり、「初めての経験」という感じがしない。これまでにもこんなようなことは薄っすらと、しかしずっと経験してきたような気がする。 女だという理由で嫌がらせをされたり、セクハラを受けたり、噓をついていると決めつけられたり、男に性的に見られたいに決まっていると思われたり、仕事の能力がないということにされたり。思い返せば、生きてきた33年間ずっとバックラッシュ的なものに苦しめられていたような気がしてならない。 さて、ではそのバックラッシュにはどんな効果(?)があるのだろうか? 私がフェミニズムに出会い、性差別への反対活動を始めた頃、応援してくれる知人にこう言われたことがある。 「これからは自分自身との戦いになると思う。いつでも自分自身を信じて頑張って」と。 今になってとてもその言葉の意味を痛感する。バックラッシュには、自分を信じさせなくなる効果があると思う。自分は間違っているんじゃないかと思わせる効果があると思う。自分のことを大嫌いにさせる効果があると思う。そして、もしその効果通りに私自身がなったとしたならば、私は女性運動の全てをやめるだろう。私自身をもやめてしまうかもしれない。 でも、もう一度よくよく考えてみよう。フェミニズムに出会うまでの約30年間、私はずっと自分を信じられなかったし、自分は間違っているんじゃないかと思ってきたし、自分のことが大嫌いだった。ずっとずっと、女性差別というバックラッシュを受け、まんまとその効果通りの自分で生きてきたのだった。 でも、フェミニズムと出会った今はもう違う。 #KuTooで受けたバックラッシュとずっと受けてきた性差別がほぼ重なるように、これらは奴らの「いつものやり口」なのだ。 女性を自分たちの都合の良い存在でいさせるため、自信を無くさせ、主体性を無くさせるためのいつものやり口。 ウーマンリブの田中美津さんは著書の中で、「リブは『男は敵だ』と煽っているとよく報じられました。そんなこと一度だって言ったことないのに」と書いていた。ほら、ここでもおんなじ、「いつものやり口」が使われている。#KuTooだって、一度も男が悪いと言ったことはないのに石川優実は男性差別主義者だ、とか言われている。 「なんだよ、こいつら誰が何やっても女性運動にはおんなじこと言ってんじゃん」と知った私は、とても心が楽になった。むしろ、これは付き物だ。私が正しいことをしている証拠のようにも思えた。 これって、#MeTooをした時の「私も同じように自分を責めていました」と同じ現象なのではないか。その事実を知ることによって、みんな同じなんだということを知ることによって、これは私側の問題じゃないんだということに気がつくことができた。 問題はいつでも、嫌がらせやハラスメント、性暴力や性差別をする側にある。 私のせいでバックラッシュや性差別は行われているのではない。それに気がついた時の安心感、心強さ。それをもうすでに#MeTooをはじめとする様々な連帯で体験していたではないか。 ということで、そんな例を、たくさん集めてみようと思う。これまでの女性運動にはどんなことがあって、どんなバックラッシュがあったのか。知識は勇気になる。知識は優しさになる。知識は自分を助けてくれる。知識は他の誰かのことを助けることができる。 フェミニストは過激だから賛同が得られない? 日本のフェミニズムは本質からずれている? そんな攻撃的な言葉遣いじゃ誰も聞いてくれない? 認めてもらうには配慮を? これまで言われてきたことは、本当にそうなのだろうか。 歴史と事実をぜひ、知りたい。それを知ることによって、私は、私たちは自分自身を信じることをやめずに、時に楽しく、時に激しく、女性運動をし続けていくことができるのではないかと思う。 - 著者プロフィール - 石川優実 (イシカワ ユミ) (責任編集) 1987年生まれ、愛知県出身。俳優、アクティビスト。18歳から芸能活動を開始。2017年、グラビアアイドル時代に受けた性被害を告発し、#MeTooムーブメントの中で話題となる。2019年、職場で女性のみにヒールやパンプスを義務付けることは性差別であるとして#KuToo運動を展開、厚生労働省へ署名を提出した。この運動は世界中のニュースで取り上げられ、同年10月英BBCにより世界の人々に影響を与えた「100 Women」に選出された。著書に『#KuToo : 靴から考える本気のフェミニズム』(現代書館)。
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エトセトラ VOL.2|山内 マリコ(責任編集), 柚木 麻子(責任編集)
¥1,320
エトセトラブックス 2019年 ソフトカバー 112ページ A5判 縦210mm 横148mm 厚さ6mm - 内容紹介 - “日本でいちばん有名なフェミニスト”田嶋陽子を大特集! 世代を超えて集結した執筆陣によるエッセイ・書評や、一般投稿「田嶋陽子さんへの手紙」、そして、田嶋陽子本人へのロングインタビューなどで構成。現代のフェミ作家たち=山内マリコ&柚木麻子責任編集による、最強のフェミ・アイコン田嶋陽子へのリスペクトに満ちた一冊。あの頃、テレビで田嶋先生を観ていた、すべての少女たちへ捧げます! 目次 特集/We Love 田嶋陽子! 【寄稿】 津村記久子/扉の存在を知らせる人 石川優実/田嶋さんの「自分の足を取り戻す」と#KuTooのこと 荒木美也子/前略、田嶋陽子さま 【書評】書く女~田嶋陽子を読む 王谷晶/ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ジャパニーズ・カルチャー 斎藤美奈子/空気を読まない彼女の直球ド真ん中な「愛情」論 北村紗衣/田嶋陽子を取り戻す カナイフユキ/恋愛は親離れの始まり?家族という足枷をはずして…… 若竹千佐子/ 女の人生はいつだって面白い 北原みのり/田嶋陽子が教えてくれた優しいフェミニズム 伊藤春奈(花束書房)/どん詰まりの国に突き刺さる女たちの言葉 堀越英美/やんちゃでかわいい「僕」たちの世界で 田嶋陽子出演映像全レビュー(柚木麻子) 田嶋陽子ロングインタビュー〈私〉が生きるためのフェミニズム 【マンガ】 松崎りえこ 知りたい!田嶋陽子さんの“Her"ストーリー 【座談会】 斉藤正美✕山口智美✕山内マリコ✕柚木麻子「私たちが田嶋陽子を好き」な理由 【インタビュー】 板本洋子「花婿学校」とはなんだったのか 【TVと田嶋陽子】 武田砂鉄/キレさせていたのは誰で、何を言っていたのか 柚木麻子 /12歳が出合ったフェミニズム 山内マリコ/ 『そこまで言って委員会NP』観覧記 投稿コーナー「田嶋陽子さんへの手紙」 連載 編集長フェミ日記 2019年7~8月 LAST TIME WE MET 彼女たちが見ていた風景/宇壽山貴久子 私のフェミアイテム/河村敏栄 etc.bookshop通信 エッセイ ユン・イヒョン「女性について書くこと――多すぎる質問と少しの答え」(すんみ 訳) - 著者プロフィール - 山内 マリコ (ヤマウチ マリコ) (責任編集) 1980年富山県生まれ。大阪芸術大学映像学科卒業。2008年「16歳はセックスの齢」で「女による女のためのR‐18文学賞読者賞」を受賞。2012年、同作を含む初の単行本『ここは退屈迎えに来て』を刊行、地方に生きる若い女性のリアルを描いた。小説『アズミ・ハルコは行方不明』『かわいい結婚』『あのこは貴族』『選んだ孤独はよい孤独』、エッセイ『皿洗いするの、どっち? 目指せ、家庭内男女平等』、短篇&エッセイ『あたしたちよくやってる』など著書多数。 柚木 麻子 (ユズキ アサコ) (責任編集) 1981年東京都生まれ。立教大学文学部フランス文学科卒業。2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞、同作を含む連作短篇集『終点のあの子』でデビュー。以後、女性同士の友情や関係性をテーマにした作品を数多く発表。2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞受賞。同作は、高校生直木賞も受賞した。他の著書に「ランチのアッコちゃん」シリーズ、『本屋さんのダイアナ』『BUTTER』『デートクレンジング』『マジカルグランマ』など多数。