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ガザに地下鉄が走る日|岡 真理
¥3,520
みすず書房 2018年 ハードカバー 312ページ 四六判 - 内容紹介 - イスラエル建国とパレスチナ人の難民化から70年。高い分離壁に囲まれたパレスチナ・ガザ地区は「現代の強制収容所」と言われる。そこで生きるとは、いかなることだろうか。 ガザが完全封鎖されてから10年以上が経つ。移動の自由はなく、物資は制限され、ミサイルが日常的に撃ち込まれ、数年おきに大規模な破壊と集団殺戮が繰り返される。そこで行なわれていることは、難民から、人間性をも剥奪しようとする暴力だ。 占領と戦うとは、この人間性の破壊、生きながらの死と戦うことだ。人間らしく生きる可能性をことごとく圧殺する暴力のなかで人間らしく生きること、それがパレスチナ人の根源的な抵抗となる。 それを教えてくれたのが、パレスチナの人びとだった。著者がパレスチナと関わりつづけて40年、絶望的な状況でなお人間的に生きる人びととの出会いを伝える。ガザに地下鉄が走る日まで、その日が少しでも早く訪れるように、私たちがすることは何だろうかと。 - 目次 - 第1章 砂漠の辺獄 第2章 太陽の男たち 第3章 ノーマンの骨 第4章 存在の耐えられない軽さ 第5章 ゲルニカ 第6章 蠅の日の記憶 第7章 闇の奥 第8章 パレスチナ人であるということ 第9章 ヘルウ・フィラスティーン? 第10章 パレスチナ人を生きる 第11章 魂の破壊に抗して 第12章 人間性の臨界 第13章 悲しい苺の実る土地 第14章 ガザに地下鉄が走る日 あとがき - 著者プロフィール - 岡真理 (オカマリ) (著/文) 1960年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科教授。専門は現代アラブ文学、パレスチナ問題、第三世界フェミニズム思想。著書に『記憶/物語』(岩波書店)、『彼女の「正しい」名前とは何か』、『棗椰子の木陰で』(以上、青土社)、『アラブ、祈りとしての文学』、『ガザに地下鉄が走る日』(以上みすず書房)ほか。訳書にエドワード・サイード『イスラム報道 増補版』(共訳、みすず書房)、サラ・ロイ『ホロコーストからガザへ』(共訳、青土社)、ターハル・ベン=ジェルーン『火によって』(以文社)、アーディラ・ライディ『シャヒード、100の命』(インパクト出版会)、サイード・アブデルワーヒド『ガザ通信』(青土社)ほか。2009年から平和を目指す朗読集団「国境なき朗読者たち」を主宰し、ガザをテーマとする朗読劇の上演活動を続ける。
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ぼくの村は壁で囲まれた パレスチナに生きる子どもたち|高橋 真樹
¥1,650
現代書簡 2017年 ソフトカバー 200ページ 四六判 - 内容紹介 - 子どもたちの視点から伝える、パレスチナ問題の新しい入門書! 高橋和夫氏(国際政治学者)推薦! 「文章の中にパレスチナ人の声が響いている。記述からパレスチナの臭気が立ち上って来る。丁寧に取材し、脚で書いたような本である。入門書だが内容には妥協がない。しかも、わかりやすい。やっと本物の入門書が出た。」(高橋氏) 何世代にもわたり、故郷に帰れないパレスチナ難民。700キロにも及ぶ巨大な壁に囲まれ、軍隊に脅されて暮らす子どもたち……。パレスチナの子どもをめぐる状況は、日増しに悪化している。そんな中、新たに誕生した米国のトランプ政権は中東をさらに混迷させるのか? 占領とは何か?エルサレム問題とは?パレスチナで誕生した新しい非暴力ムーブメントとは? イスラエルによる占領が始まって50年、難民が発生して70年を迎える今こそ目を向けたい、中東はもちろん、世界情勢を知るための必読書!
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言葉以前の哲学 戸井田道三論 |今福 龍太
¥2,530
新泉社 2023年 ソフトカバー 240ページ 四六判 縦188mm 横131mm 厚さ19mm - 内容紹介 - 自己のからだを見つめることで、「深層の歴史」を探究した思想家・戸井田道三。 その教えを受け、親交を結んだ人類学者による初の的評伝。 「住」「舌」「母」「性」「時間」「色」「旅」をテーマに、〈言葉以前〉の無意識領域を訪ねる七編の論考。 - 目次 - 1 非土着のネイティヴ ――土地に住むこと 2 言葉以前へのまなざし ――舌でしゃべること 3 乳色の始原へ ――母を思うこと 4 思考のヘルマフロディーテ ――性を超えること 5 翁語りの深淵 ――時間を生きること 6 歴史の昂進 ――色が移ろうこと 7 はるかに、遠くへ ――旅に憧れること あとがき - 著者プロフィール - 今福 龍太 (イマフクリュウタ) (著/文) 文化人類学者・批評家。1955年東京生まれ湘南の海辺で育つ。1980年代初頭からメキシコ、カリブ海、アメリカ南西部、ブラジルなどに滞在し調査研究に従事。その後、国内外の大学で教鞭をとりつつ、2002年より奄美・沖縄・台湾を結ぶ群島に遊動的な学び舎を求めて〈奄美自由大学〉を創設し主宰。 著書に『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』(讀賣文学賞)、『宮沢賢治 デクノボーの叡智』(宮沢賢治賞・角川財団学芸賞)、『ぼくの昆虫学の先生たちへ』など多数。主著『クレオール主義』、『群島―世界論』を含む新旧著作のコレクション《パルティータ》全5巻が2018年に完結。
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メタファーとしての発酵|Sandor Ellix Katz, ドミニク・チェン(監修), 水原 文(翻訳)
¥2,200
オライリー・ジャパン 2021年 ソフトカバー 160ページ 四六判 - 内容紹介 - 『発酵の技法』著者による発酵を通して現代の諸問題を考える! 本書は『発酵の技法』の著者、Sandor Ellix Katzによるエッセイです。発酵料理の専門家という枠を超えて、発酵カルチャーのリーダーとしても知られる著者が、天然の素材を微生物が変容させることで、別のものに作り替えてしまう「発酵」という過程を、政治、宗教、社会、文化、そして個人のアイデンティティ、セクシュアリティ、思考に適用させることを考えていきます。監訳のドミニク・チェン氏の解説も収録。
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なぜ美を気にかけるのか : 感性的生活からの哲学入門|ドミニク・マカイヴァー・ロペス, ベンス・ナナイ, ニック・リグル, 森 功次(翻訳)
¥2,750
勁草書房 2023年 ハードカバー 192ページ 四六判 - 内容紹介 - おしゃれ、ダサい、ステキ、つまらない。こうした日々の感動をなぜ大事にするのか。生活の彩りの意味を問うあたらしい哲学入門。お気に入りの服を着る、おいしいものを食べる、好きな映画をみる――こうした日常のさまざまな美的選択は、人生にどのような意味をもたらすのか。人はなぜ美的な暮らしを送るのか。現代美学を代表する論者たちが3つの答えを提案する、哲学入門の授業向けに書かれた教科書。著者たちによる座談会とティーチングガイドつき。 【原著】Dominic McIver Lopes, Bence Nanay, Nick Riggle, Aesthetic Life and Why It Matters, Oxford University Press, 2022 - 目次 - 教師向けのノート イントロダクション 1 経験を解き放つ[ベンス・ナナイ] 2 美的生活──個性、自由、共同体[ニック・リグル] 3 足を踏み入れる──美的生活における冒険[ドミニク・マカイヴァー・ロペス] ブレイクアウト 訳者あとがき 索引
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暇と退屈の倫理学|國分功一郎
¥880
新潮社 2021年 新潮文庫 ソフトカバー 512ページ 文庫判 縦151mm 横106mm 厚さ19mm - 内容紹介 - 「暇」とは何か。人間はいつから「退屈」しているのだろうか。答えに辿り着けない人生の問いと対峙するとき、哲学は大きな助けとなる。著者の導きでスピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど先人たちの叡智を読み解けば、知の樹海で思索する喜びを発見するだろう――現代の消費社会において気晴らしと退屈が抱える問題点を鋭く指摘したベストセラー、あとがきを加えて待望の文庫化。
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訂正する力|東 浩紀
¥935
朝日新聞出版 2023年 朝日新書 ソフトカバー 248ページ 新書判 - 内容紹介 - ひとは誤ったことを訂正しながら生きていく。哲学の魅力を支える「時事」「理論」「実存」の三つの視点から、現代日本で「誤る」こと、「訂正」することの意味を問い、この国の自画像をアップデートする。デビュー30周年を飾る集大成『訂正可能性の哲学』を実践する決定版!聞き手・構成/辻田真佐憲 帯イラスト/ヨシタケシンスケ保守とリベラルの対話、成熟した国のありかたや老いの肯定、さらにはビジネスにおける組織論、日本の思想や歴史理解にも役立つ、隠れた力を解き明かす。それは過去との一貫性を主張しながら、実際には過去の解釈を変え、現実に合わせて変化する力――過去と現在をつなげる力です。持続する力であり、聞く力であり、記憶する力であり、読み替える力であり、「正しさ」を変えていく力でもあります。そして、分断とAIの時代にこそ、ひとが固有の「生」を肯定的に生きるために必要な力でもあるのです。 (目次) 第1章 なぜ「訂正する力」は必要か 第2章 「じつは……だった」のダイナミズム 第3章 親密な公共圏をつくる 第4章 「喧騒のある国」を取り戻す 日本には、まさにこの変化=訂正を嫌う文化があります。政治家は謝りません。官僚もまちがいを認めません。いちど決めた計画は変更しません。(…)とくにネットではこの傾向が顕著です。かつての自分の意見とわずかでも異なる意見を述べると、「以前の発言と矛盾する」と指摘され、集中砲火を浴びて炎上する。そういう事件が日常的に起きています。(…)そのような状況を根底から変える必要があります。そのための第一歩として必要なのが、まちがいを認めて改めるという「訂正する力」を取り戻すことです。(「はじめに」より)
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暗い時代の人々|ハンナ・アレント, 阿部 斉 (翻訳)
¥1,540
筑摩書房 2005年 ちくま学芸文庫 ソフトカバー 352ページ 文庫判 - 内容紹介 - レッシング、ローザ・ルクセンブルク、ヤスパース、ヘルマン・ブロッホ、ベンヤミン、ブレヒト…自由が著しく損なわれた時代、荒廃する世界に抗い、自らの意志で行動し生きた10人。彼らの人間性と知的格闘に対して深い共感と敬意を込め、政治・芸術・哲学への鋭い示唆を含み描かれる普遍的人間論。『全体主義の起源』、『人間の条件』、『革命について』といった理論的主著を側面から補うにとどまらず、20世紀の思想と経験に対する貴重な証言として読まれるべき好著。
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マルクス・ガブリエルの哲学 ポスト現代思想の射程 | 菅原 潤
¥2,750
人文書院 2023年 ソフトカバー 276ページ 四六判 縦188mm 横132mm 厚さ23mm - 内容紹介 - 未邦訳の主著三冊を読み解き、その思想の全貌を探る初めての試み 『なぜ世界は存在しないのか』がベストセラーとなり、ドイツ観念論から社会事象まで自在に論じる思想界の新星として颯爽と登場したマルクス・ガブリエル。しかし哲学者としての本領を発揮した著作はいまだ日本では読まれていない。本書ではその中でも重要となる三冊の著作(『意義の諸領野』『諸々のフィクション』『暗黒時代における道徳的進歩』)を中心に、いわゆる「現代思想」に収まらない可能性を持つガブリエルの思想を広く紹介する。 「マルクス・ガブリエルはポストモダンの哲学者ではない。ポストモダンが花盛りの時代に青年期を過ごしていたことは事実だが、その思考の方向はポストモダン以前の実存主義、あるいはそれよりも前に流行したドイツ観念論に向かっている。さらには共著本で関わったプリーストとスコーベルにも共通するが、東洋思想に対する興味も認められる。これらの要因を掛け合わせれば京都学派を連想させるものがガブリエル哲学にあると推論することもできる。要するにこの半世紀近く続いたポストモダンの流行にどこか物足りない思いをしていた読者に、ガブリエルは魅力的な議論を提供していると思える。いったんポストモダン的な言説の文脈を括弧に入れて、虚心坦懐にガブリエルの原文に向き合うことを推奨したい。」(本書より) ○目次 序章 主著は三冊 第一章 世界は存在しない――『意義の諸領野』 第二章 ユニコーンは存在する――『諸々のフィクション』 第三章 道徳的事実は存在する――『暗黒時代における道徳的進歩』 終章 現代思想、とりわけハーバーマスとデリダとの関係 目次 序章 主著は三冊 ブームは去ったのか 邦訳が進まない理由 数多くの単著本 主著の見極め方 本書の読み方 第一章 世界は存在しない――『意義の諸領野』 修業時代の模索 構成および緒論 複数の領域を扱う存在論 「領域」と「領野」の違い なぜ「意味の場」ではないのか 世界は存在しない 平坦な存在論 可能世界の否認 偶然性の処理 残された問題 第二章 ユニコーンは存在する――『諸々のフィクション』 難解な書の構成 『あらゆるものと無』との関係 可謬性への着目 フィクションを論じるきっかけ フィクションとは何か 「フィクション的」と「空想的」の区別 非存在論的隔絶主義 総譜とパフォーマンス、解釈と意味づけ 存在論的相関主義と機知 「先回りのできなさ」とシェリング 生活世界への批判 事実性の結合 可謬性の客観性 志向性とモデル化 ドイツ観念論の遺産 不同意について 神話とイデオロギー 理性の社会性 不透明な生き残り 規範の社会性 SNS、つまり「社会的ネットワーク」批判 不合意の共同体 過度な自律性と機知 第三章 道徳的事実は存在する――『暗黒時代における道徳的進歩』 常識的な書の構成 国際政治に対する関心 「暗黒時代」としての二一世紀 基礎づけの必要のない道徳的事実 ステレオタイプ批判 宗教と道徳性は相容れない ロールズへの高い評価 フランス革命に対する評価 定言命法の二つの定式化 アイデンティティというキーワード 「ハビトゥス」への注目 アイデンティティとステレオタイプ 社会構築主義批判 社会の複雑性 ポピュリズム批判 差異政治と女性差別 無差別政治と歴史問題 道徳教育と哲学 身の丈に合った哲学 終章 現代思想、とりわけハーバーマスとデリダとの関係 社会的かつ政治的な傾向 科学哲学、とりわけクリプキとの関係 米国で形成されたカント主義 動物権利論への批判 冷静な判断力の養成の必要性 ベンヤミンおよびアドルノへの批判 ハーバーマスの黒歴史 是々非々なハーバーマスへの評価 脱構築への関心 東浩紀の先駆性 カミュへの傾倒 マルクス(主義)との関係 禅とアナーキズム 人類系の哲学者 あとがき 人名索引 著者プロフィール 菅原 潤 (スガワラジュン) (著) 1963年、宮城県仙台市生まれ。東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、日本大学工学部教授。主な著書・訳書に『シェリング哲学の逆説』(北樹出版)、『京都学派』(講談社現代新書)、『実在論的転回と人新世』、リュディガー・ブプナー『美的経験』、リチャード・J・バーンスタイン『根源悪の系譜』(いずれも法政大学出版局・共訳)など。
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創造性はどこからやってくるか 天然表現の世界 | 郡司ペギオ幸夫
¥1,034
筑摩書房 2023年 ソフトカバー 288ページ 新書判 - 内容紹介 - 考えてもみなかったアイデアを思いつく。急に何かが降りてくる―。そのとき人間の中で何が起こっているのか。まだ見ぬ世界の〈外部〉を召喚するためのレッスン。 何も閃かない、ネタ切れ、考えが浮かばない、アタマが硬い、センスに自信がない……。悩んでいてもいいアイデアは湧いてこない。それはふいに降りてくるものだ。従来の科学モデルでは説明できない想定外で不気味なものを思いつき、作り出そうとする、計算不可能な人間の創造力。それはどこからやってくるのだろうか。生命科学、哲学、文学から芸術理論までを自在に横断し、著者みずからも制作を実践することでみえてきた、想像もつかない世界の〈外部〉を召喚するための方法。 - 著者プロフィール - 郡司ペギオ幸夫 (グンジペギオユキオ) (本文) 郡司ペギオ幸夫(ぐんじぺぎおゆきお):1959年生まれ。東北大学理学部卒業。同大学大学院理学研究科博士後期課程修了。理学博士。神戸大学理学部地球惑星科学科教授を経て、現在、早稲田大学基幹理工学部・表現工学専攻教授。著書『生きていることの科学』(講談社現代新書)、『いきものとなまものの哲学』『生命壱号』『生命、微動だにせず』『かつてそのゲームの世界に住んでいたという記憶はどこから来るのか』(以上、青土社)、『群れは意識をもつ』(PHP サイエンス・ワールド新書)、『天然知能』(講談社選書メチエ)、『やってくる』(医学書院)、『TANKURI』(中村恭子との共著、水声社)など多数。
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つくる人になるために 若き建築家と思想家の往復書簡 | 光嶋裕介, 青木真兵, 青木海青子(イラスト)
¥2,420
灯光舎 2023年 ソフトカバー 260ページ B6変型判 縦180mm 横150mm 厚さ17mm - 内容紹介 - 自分にとって大切だと思うことを、思い切って言葉にする。 誰からも必要とされなくても、見向きもされなくても、声を発し続ける。 それが僕にとっての「つくる」ということ。 建築する日々に励みながら、旅先でのスケッチや執筆活動にも精をだす若き建築家と、奈良の山村に私設図書館をつくり、執筆や自主ラジオなど様々な形でメッセージを発信する若き思想家が、些細な日常の出来事や思索をつぶさにみつめて綴った往復書簡。 私たちにとって「つくる」とはなにかを問いかけ、つくる喜びについて対話を重ねながら、生き物として生きやすい社会を模索していく。 書簡をとおした対話のトピックスはまさに縦横無尽。働くことやお金のこと、ふたつの原理の往還、外と内の自然、そして建築や本の話まで広がっていきます。 ふたりの対話をじっくり観察すると、前提を問い直すこと、自ら思考し行動することは、何かを「つくる」ことへのきっかけにつながるのではないかと感じます。 互いのちょっとした違いを認め合い、相手の言葉を受け止め、内省し、さらに言葉を紡いでいく二人の姿勢は、私たちの日々の生活や思考へのささやかな刺激となり、生き物として少しでも生きやすい社会をつくるヒントになるかもしれません。 また、ふたりの書簡を楽しく彩る青木海青子さんのイラストも見どころです。 対話相手の知性に対する敬意を示すのは容易なことではありません。「打ち返しやすいボール」を打ち込むことではもちろんないし、かといって「打ち返せないボール」を打ち込むことでもない。そのあわいの、相手が最高のパフォーマンスを発揮できる球筋をピンポイントで狙う技術がふたりとも卓越しています。 ――― 内田 樹 初版のみ、浮き出し(エンボス)加工、封蝋に見立てたシール付きの特別仕様です! ※シールは4色ありますが、本の内容はどれも同じです 目次 まえがき LETTER #1 自分の地図をつくる LETTER #2 はじまりを問い直す LETTER #3 建築とは何か LETTER #4 「ちょうどよい」を考える LETTER #5 つくる人になるために LETTER #6 お金とは何か LETTER #7 つくることの喜び LETTER #8 結界が生み出すもの LETTER #9 生きるための建築 LETTER #10 現場に立つ LETTER #11 偶然性を受け入れる LETTER #12 汗水たらして働く LETTER #13 自己変容を楽しむ LETTER #14 分けずに受け取る あとがき 後日譚 前書きなど 【「まえがき」より】 今考えると橋下氏が新自由主義的政策をはじめたのではなく、2002年にはじまる小泉純一郎首相がおこなった「聖域なき構造改革」の延長線上に、橋下氏は戦略的にセンセーショナルな形としておこなっただけだったのでしょう。ただ当時の僕は内田先生や中島さんに対して同意、賛同の声しか上げることができませんでした。もちろんそれで十分だったのかもしれませんが、自分は研究者であり、内田先生の弟子であるという自負のようなものを勝手に背負い、「シュートを打つ」必要があるのだと思いつづけてきました。 でもやっぱり、自分の言葉で声を上げたい。 いわゆるものづくりをするわけではない僕にとって、「つくる」とはこういう心情に基礎づいているのだと思います。それはまったくオリジナルの言い方、語彙を使用しなければならないということではありません。自分にとって大切だと思うことを、思い切って言葉にする。誰からも必要とされなくても、見向きもされなくても、声を発し続ける。とはいえ、いつ他人に聴いてもらってもいいように、その言葉、声自体は丁寧に磨いておく。「つくる」とは最初から完成品を求めることではありません。 【LETTER#5 「つくる人になるために」より】 人間は、誰もが何かを「つくる」ことで生きています。建築という言葉は、動詞だと構築する「つくる」という意味をもちます。食ベることと料理をつくることの関係のように、衣食住という命に近い行為のすべてが他者と協働しながら何かを「つくる」ことで成り立っています。この「つくる」ことを通して感じられる「喜び」があらためて個々人に問われているように思えてなりません。 - プロフィール - 光嶋裕介 (コウシマユウスケ) (著/文) 建築家/一級建築士/博士(建築学) 1979年米国・ニュージャージー州生まれ、小学校2年生の頃日本・奈良に帰国するも、少年野球(5番キャッチャー)に熱中。中学からカナダ・トロントと英国・マンチェスターで過ごし、野球に加えてNBAにハマる。高校で再度帰国し、バスケに明け暮れて、バンド(英語の発音がよくて声がデカイだけのボーカル)をやったり、村上春樹を通して読書に目覚めたり、麻雀を覚えたりする。2004年に早稲田大学大学院を修了し、単身ヨーロッパへ。ドイツ・ベルリンの設計事務所で職を得て、4年間働く。2008年に帰国し、光嶋裕介建築設計事務所を開設。2011年に処女作として、内田樹先生の道場兼自宅《凱風館》を神戸に完成させる。竣工後すぐに入門し、現在は合気道参段。2021年より、神戸大学特命准教授。主な作品に、《旅人庵》(京都)、《森の生活》(長野)、《桃沢野外活動センター》(静岡)など。2015年にAsian Kung-Fu Generationの《Wonder Future》全国ツアーのステージデザインとドローイングを提供。主な著書に、『増補 みんなの家。』(筑摩書房)、『つくるをひらく』(ミシマ社)など多数。最新刊は、『ここちよさの建築』(NHK出版)。 青木真兵 (アオキシンペイ) (著/文) 思想家/社会福祉士/博士(文学) 1983年生まれ、埼玉県浦和(現さいたま)市にて育つ。現在は「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」キュレーターを名乗っている。中学・高校時代は米米CLUBとみうらじゅんに傾倒していた。大学では考古学を専攻し、大城道則先生の研究室と図書館を往復する日々を過ごしながら、長期休みには国内外の発掘調査に出かけていた。大学院進学を機に関西に越し、西洋史を専攻しつつ内田樹先生の大学院ゼミに通う。 専門は古代地中海史(フェニキア・カルタゴ)。2014年より実験的ネットラジオ『オムライスラヂオ』を週一本以上配信し続けている。2016年より奈良県東吉野村在住。現在は障害者の就労支援を主な仕事にしつつ、大学などで講師を務めている。著書に『手づくりのアジール』(晶文社)、妻・青木海青子との共著『彼岸の図書館』(夕書房)、『山學ノオト』シリーズ(エイチアンドエスカンパニー)などがある。
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現代思想 2021年11月号 特集=ルッキズムを考える
¥1,760
青土社 2021年 ソフトカバー 254ページ 四六判 - 内容紹介 - 「見た目」をめぐる倫理を問う 近年「ルッキズム(外見に基づく差別や偏見)」という言葉が急速な広がりを見せている。本特集では「見た目」をジャッジする暴力の問題を、レイシズムなど様々な差別とのかかわりとともに、また美をめぐる私たちの欲望の両義性や、視覚中心的な社会のあり方などについても問い直しながら、広く深く検討することを試みたい。 [目次] 特集*ルッキズムを考える 【討議】 外見に基づく差別とは何か――「ルッキズム」概念の再検討 / 西倉実季+堀田義太郎 【交差し複合するルッキズム】 「障害があるように見えない」がもつ暴力性――ルッキズムと障害者差別が連動するとき / 飯野由里子 ルッキズムとレイシズムの交点――「ハーフ」表象をめぐる抑圧と対処 / ケイン樹里安 移住家事労働者から考える、「らしさ」の境界線 / 小ヶ谷千穂 キャスター・セメンヤと大坂なおみとルッキズム――黒人女性アスリートのジェンダーとセクシュアリティ / 山本敦久 「どんな見た目でもいいじゃない、LGBTの人たちみたいに」 / 森山至貴 可視化か不可視化か――トランスジェンダーのパスの経験におけるジレンマ / 山田秀頌 【まなざしの坩堝のなかで】 ままならない交差点――ジェンダークィアのボクが生きてきたこの身体について / 古怒田望人/いりや 都市の骨を拾え / 高島鈴 【メディアの〈目〉を問い直す】 脱毛広告観察――脱毛・美容広告から読み解くジェンダー、人種、身体規範 / 小林美香 娯楽と恥辱とルッキズム / 田中東子 男性身体とルッキズム / 北村匡平 ルッキズムの解毒剤――ブサイク女子マンガについて / トミヤマユキコ 「ことば」からルッキズムを揺さぶる――もっと多様な容姿の基準を! / 中村桃子 【日常を覆う「見た目」の政治】 雇用の入口、「番兵」としてのルッキズム / 栗田隆子 感情知と感情資本――アンガーマネジメントの社会学 / 山田陽子 差別と侮辱――ルッキズムとメタ倫理学 / 奥野満里子 【インタビュー】 目で見るものが全てではない――視覚中心の社会をほぐすために / 広瀬浩二郎 【美──この両義的なるもの】 女性の外見的魅力をめぐるフェミニズムのポリティクス / 高橋幸 自分を美しく見せることの意味――ルッキズム、おしゃれ、容姿の美 / 筒井晴香 エンハンスメントとしての美の実践 / 飯塚理恵 【異他なる身体のエステティクス】 受肉した肌をみる痛み――現代日本におけるイレズミと身体の感性学的受容論 / 大貫菜穂 ラブドールの「見た目」に関するいくつかの覚書 / 関根麻里恵 【ルッキズムの奥底へ】 現れる他者との向き合い方――現象学の立場から / 鈴木崇志 連載●「戦後知」の超克●第一五回 柄谷行人における「日本」の問いかた 中・4――その「起源」と「構造」 / 成田龍一 連載●タイミングの社会学●第一二回 レジリエンス 下・2――〈貧困・時間・疲れ〉の連なりへ / 石岡丈昇 【研究手帖】 眼に見えて分かるこの眼について / 辰己一輝
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生きることの意味を問う哲学 森岡正博対談集 | 森岡正博
¥2,200
SOLD OUT
青土社 2023年 ハードカバー 224ページ 四六判 - 内容紹介 - 「生まれてこないほうが良かった」と言われたとき、 あなたは何を語ることができるだろうか 反出生主義はほんとうに自殺を導かないのか? 加害者であることは引き受けられるのか? 日本語で哲学することは可能か? 対話によって開かれる哲学とはどういうものか?――戸谷洋志、小松原織香、山口尚、永井玲衣とともに、生きることの深淵を覗き込む。現代における重要テーマをめぐって重ねてきた言葉たちを結晶化した対談集。
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現代思想2023年5月臨時増刊号 総特集=鷲田清一 ―ふれる・まとう・きく―
¥1,980
青土社 2023年 ソフトカバー 360ページ - 内容紹介 - 臨床哲学からファッション論まで…鷲田清一のすべて 親しみをこめてワッシーと呼ばれるその哲学者の足跡をたどれば、切り開いた領野の広さに目をみはらざるをえない。自由で軽やかな言説は、気取りがなく、深みをたたえ、いつまでも瑞々しさを失わない。本特集では、アカデミズムにとどまらない多彩なジャンルの執筆陣により、いまだ十分に語りつくされていない鷲田清一の全体像に迫る。 line2.gif 【目次】 総特集*鷲田清一――ふれる・まとう・きく 【インタビュー】 哲学を汲みとる / 鷲田清一(聞き手=永井玲衣) 【ポートレートⅠ】 鷲田さんとの交流 / 植島啓司 ふれること、見守ること。――鷲田清一との三十五年 / 佐々木幹郎 「ワシダさん」のいる風景 / 森村泰昌 鷲田さんの「授業」を受けた / 高橋源一郎 【耳を傾ける哲学】 鷲田さん、とのこと / 西川勝 哲学の臨床、そして大学行政へ / 中岡成文 「臨床哲学」以前・以後 / 野家啓一 臨床哲学の肺活量 / 小林傳司 臨床哲学研究室と〈私〉――拝啓、鷲田清一さま / 小西真理子 これは臨床哲学ではない――鷲田清一のメタ哲学をめぐる〈思考の試み(エッセイ)〉 / 奥田太郎 【傍らに立つ思想】 co-presence――ともにあることへの根源的な敬意 / 西村ユミ ことばの人 / 柏木哲夫 老い、営みの不在――鷲田清一『老いの空白』に寄せて / 小泉義之 「傾聴」の進化、祈りへ / 柳田邦男 所有論をケアの視点から考える――『ロビンソン・クルーソー』から『わたしを離さないで』まで / 小川公代 【アルバム】 哲学者の足あと 【ポートレートⅡ】 やわらかい思考と実践の哲学者 / 山極寿一 哲学とアンドロイド / 石黒浩 鷲田さんと京都 / 吉岡洋 鷲田さんの哲学 / 内田樹 【装うことの美学】 哲学者の柔らかな感性 / コシノヒロコ 「装う」は新しい次元に / 森永邦彦(ANREALAGE) ここにいてもいい――ファッションと臨床 / 山縣良和(writtenafterwards.coconogacco) 鷲田清一氏をめぐる私的断章 / 堀畑裕之(matohu) 鷲田清一以降の「ファッション学」 / 平芳裕子 鷲田清一とは別の仕方で、あるいは鷲田清一の彼方へ / 蘆田裕史 夢を紡がれた皮膚――手繰り寄せられる我の標、イレズミ / 大貫菜穂 【ポートレートⅢ】 しなやかな武器 / 甲斐賢治 京都市立芸術大学・美術工芸高校 新キャンパスについて / 大西麻貴+百田有希/o+h まなざしと記憶 / 鈴木理策 【もつれ広がる探究】 鷲田清一とメルロ=ポンティ 「スティル」の現象学 / 加國尚志 鷲田清一と離一の現象学 / 谷徹 はじまりの鷲田清一――臨床哲学への一批判 / 檜垣立哉 他なるものとの「共存」を求めて――二つの質疑応答から / 松葉祥一 九鬼周造の「メロス」をめぐって / 藤田正勝 【響きあうことば】 言語表現としての「折々のことば」 / 鈴木一平 異なる「生」を摺りよせる――鷲田清一と哲学対話 / 戸谷洋志 散種されることば、依代となることば――教材としての鷲田清一 / 五味渕典嗣 鷲田清一と石原吉郎の《位置》――老アーキビストの断想 / 川本隆史 【資料】 アンチ・セオリーとしての哲学――鷲田清一ブックガイド / 山口尚
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実践 日々のアナキズム 世界に抗う土着の秩序の作り方|ジェームズ・C・スコット, 清水 展(翻訳), 日下 渉(翻訳)
¥3,080
岩波書店 2017年 ハードカバー 216ページ 四六判 縦200mm - 内容紹介 - はじめに アナキストの懐疑の眼,もしくはアナキストのように眺めること 組織の逆説 社会科学の実践に対するアナキストの懐疑の眼 一つ,もしくは二つのご注意 第一章 無秩序と「カリスマ」の利用 断章1 アナキスト柔軟体操というスコットの法則 断章2 不服従の重要性について 断章3 さらに不服従について 断章4 広告「リーダーがあなた方の導きに喜んで従うつもりで,支持者を求めています」 第二章 土着の秩序と公式の秩序 断章5 土着と公式,二つの「知る」方法 断章6 公的な知と管理の風景 断章7 土着的なるものの柔靱な反発 断章8 無秩序な都市の魅力 断章9 整然さの裏の無秩序・混沌 断章10 アナキスト不倶戴天の敵 第三章 人間の生産 断章11 遊びと開放性 断章12 なんて無知でばかげているんだ! 不確実性と適応性 断章13 GHP :総人間生産量 断章14 介護施設 断章15 制度のなかの人生という病理 断章16 穏やかな,直感に反した事例――赤信号の除去 第四章 プチ・ブルジョアジーへの万歳二唱 断章17 中傷されてきた階級を紹介する 断章18 軽蔑の病因論 断章19 プチ・ブルジョアジーの夢――財産という魅惑 断章20 プチ・ブルジョアジーのさほど小さくはない機能 断章21 「無料の昼食」,プチ・ブルジョアジーの親切 第五章 政治のために 断章22 討論と質――質の計量的測定に対する反論 断章23 もしそうなったら……? 監査社会の夢想 断章24 当てにならず,必然的に劣化する 断章25 民主主義,業績,政治の終焉 断章26 政治を弁護する 第六章 個別性と流動性 断章27 小口の善意と同情 断章28 個別性,流動性,そして偶発性を取り戻す 断章29 歴史の虚偽をめぐる政治学 注 訳者あとがき・解題(清水 展)
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贈与をめぐる冒険 新しい社会をつくるには|岩野卓司
¥2,090
SOLD OUT
ヘウレーカ 2023年 ソフトカバー 182ページ 四六判 縦188mm 横128mm 厚さ15mm - 内容紹介 - 栗原康さん推薦! 「こいつはどっこい革命の書だァ! 義務も制裁もない道徳をいきろ。 プレゼントをなめるな。」 貧困や格差の拡大、つながりの喪失による孤立や無縁化、生態系の破壊……、わたしたちの社会は大きな困難に直面している。 このままでは世界はいったいどうなるのか、そんな不安を感じながら生きている人は少なくないだろう。 こうした課題の根本的な原因といえるのが、資本主義の行き過ぎである。 しかし、わたしたちは資本主義の恩恵も受けており、資本主義を何かほかのものに変えれば問題が解決するということではない。そもそも貨幣とモノとの交換である経済の前には、何かを与えてお返しを受け取ることで交換が成立する経済があった。 これが本書のテーマである「贈与」である。 資本主義社会では何よりも経済的な利益が優先されるのに対して、贈与の大きな特徴は、モノの移動にともなって人と人、人とモノのあいだに精神的な交流が生まれることである。 では、このような贈与の考え方を現代社会に活かし、行き過ぎた資本主義を「変質」させることはできるのだろうか。 古典的な贈与の理論をふまえながら、同時に現代社会でおこなわれている贈与の考えを取り入れたさまざまな取り組みを読み解き、わたしたちがこれからの人間どうしの関係、自然と人間との関係を問い直し、新しい社会をつくるための手がかりを探る。 目次 プロローグ オンラインと格差/混沌とした時代と揺らぐ価値観/贈与の可能性/贈与のいま 第1章 贈与をめぐる日常――プレゼントはなぜうれしいのか 1 あげる人、もらう人 子供と大人の違い/友達どうしの水平な関係 2 贈与とお返し 悩ましいバレンタインデー/お祝いにお返しは不文律 3 贈り物をするわけ 人間関係をつくるための手段/記念日とプレゼントは切り離せない 4 贈与の力学 贈る側がつねに優位/ポトラッチと朝貢貿易/贈与と権力 5 贈与の毒 悪意の贈与もある/無意識にひそむ贈与の毒 第2章 与えられているもの――贈与と他者 1 校 則 校則に反発したくなる理由 2 法 律 一方的に与えられているわけではない/贈与としての憲法/アンガージュマン 3 文 法 自覚しないで従うルール 4 言語のシステム ラング(言語)による支配 5 結婚のシステム 現代に残る慣習/インセスト(近親相姦)はなぜタブーか 6 知 識 他者から与えられるもの/情報・資料・所与/贈与と哲学/他者とのかかわり 第3章 贈与の慣習――贈与と資本主義Ⅰ 1 贈与と社会的慣習 面倒なコミュニケーション/世間と「村八分」 2 贈与と村社会/村社会の掟/商業的交換の功罪 3 資本主義 金がすべて?/贈与につきまとう不平等/広がる格差/「無縁社会」の到来 第4章 新しい贈与のかたち――贈与と資本主義Ⅱ 1 社会保険 セーフティネットの役割/モースの着眼 2 ギフト・エコノミー 「カルマ・キッチン」と贈与の連鎖/ギフト・エコノミーの弱点/クルミドコーヒーによる「ゆっくり、いそげ」の冒険/「消費者的な人格」と「受贈者的な人格」 3 ボランティア ゆるやかな自己贈与/ボランティア精神の根底にあるもの/贈与によるつながり 第5章 自然の贈与――感謝するということ 1 気候変動 加速する温暖化/自然の支配 2 自然の恵み 「生態系サービス」「自然資本」という考え/太陽の贈与/太陽に由来するハロウィンとクリスマス/「いただきます」/草木塔/鯨供養 3 宮沢賢治と自然 「よだか」の苦悩/蝎の願い/狼森と笊森、盗森 エピローグ ブックガイド あとがき - 著者プロフィール - 岩野卓司 (イワノ タクジ) (著/文) 東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。パリ=ソルボンヌ大学大学院博士課程修了。博士(哲学)。現在、明治大学教授(教養デザイン研究科・法学部)。主な著書に、『ジョルジュ・バタイユ─―神秘経験をめぐる思想の限界と新たな可能性』(水声社)、『贈与の哲学─―ジャン=リュック・マリオンの思想』(明治大学出版会)、『贈与論─―資本主義を突き抜けるための哲学』(青土社)、主な訳書に、ジャック・デリダ『そのたびごとにただ一つ、世界の終焉 Ⅰ・Ⅱ』(共訳、岩波書店)、『バタイユ書簡集 一九一七―一九六二年』(共訳、水声社)などがある。
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ハンナ・アーレント、三つの逃亡|ケン・クリムスティーン, 百木漠(翻訳)
¥3,960
みすず書房 2023年 ハードカバー 248ページ 菊変型判 - 内容紹介 - ユダヤ人として戦争の世紀に生まれ落ち、 現実に向かって“なぜ?”と問いつづける少女ハンナ。 『全体主義の起原』『活動的生』を著した 不世出の政治哲学者の生涯を 繊細に、大胆に、描ききる名作グラフィックノベル。 〈これから語られるのは、 ハンナ・アーレントという人物の 生涯についての物語である。 別の時代の、失われた世界の、 失われた国に生まれ落ちた亡命哲学者。 その名前を聞いたことがある人も いるかもしれない。 最後に残る(そして最初からある)疑問。 なぜこの人物は、 おそらく20世紀の最も偉大な哲学者は、 哲学を捨てたのだろうか? それにもかかわらず、なぜ彼女の思考は、 人類が前に進むための生きた道筋を 示してくれるのだろうか?〉 目次 若きハンナの悲しみ――東プロイセン 割れ目を踏む スピロヘータ 癒しの錬金術 マールブルクの魔術師 恍惚とした真理 1925 「誓います」 1929 ハンナ、第一の逃亡――ベルリン ロマーニッシェス:1933 黒いハバナの葉巻 いかさま裁判開廷中 1933年2月27日 われわれがこの世界の邪魔をする 私に罪を着せないで(その朝帰りのあとで) 無垢の終わり ごく形式的なものです(正午) お断りします(二日後) 無国籍 ハンナ、第二の逃亡――パリ パリで三方面から真理へ迫る 1933 ハンナのパリ、三枚続きの絵――一枚目:愛する人 1936 ハンナのパリ、三枚続きの絵――二枚目:思考する人 ハンナのパリ、三枚続きの絵――三枚目:行動する人 ゲームは進行中 1939年9月1日 1940年5月5日 冬季自転車競技場、フランステクノロジーの勝利! ギュルスへ 1940年5月23日 1940年6月14日 大混乱の崇高さ 徒歩で 地中海で運が尽きたアテネ 隠れ家を去る 1940年 鍵作戦 午前4時 ポルトボウにて 今がそのときだ 楽園から嵐が吹いてくる ハンナ、第三の逃亡――ニューヨーク 新世界 1941 眉をひそめる 新たなユダヤ的任務完了 この種の真実の語りは 深淵 1943 アーレント主義の起源 ハイデガーの山小屋 マルタの最期と無数の「なぜ」 1951 ヴァルターの染み 1955 メアリー、メアリー:1958 時代の現存在 1958(15分後) リバーサイドのカディッシュ 手すりなき思考――エルサレムとその後 宇宙時代の思想家 市民第1号? 悪魔とタンゴを踊る:ブエノス・アイレス 1961 複数性にむかってうつむきながら歩く:1968 そして、始まりにおいて エピローグ 読書案内 謝辞 訳者あとがき - 著者プロフィール - ケン・クリムスティーン (ケンクリムスティーン) (著/文) (Ken Krimstein) 漫画家。『ニューヨーカー』『ウォール・ストリート・ジャーナル』『ニューヨーク・タイムズ』『シカゴ・トリビューン』などで漫画を発表。デポール大学やシカゴ美術館附属美術大学で講師を務める。これまで、Kvetch as Kvetch can: Jewish Cartoon(Potter Style, 2010)、『ハンナ・アーレント、三つの逃亡 The Three Escapes of Hannah Arendt』(本書。全米ユダヤ図書賞ファイナリスト、Bloomsbury Publishing, 2018)、When I Grow Up: The Lost Autobiographies of Six Yiddish Teenagers(ワシントン・ポストのグラフィッ クノベル部門年間ベスト10ブック、Bloomsbury Publishing, 2021)の三作を出版、いずれもユダヤ人というテーマにとりくみ、高い評価を受けている。イリノイ州エヴァンストン在住。 *ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。 百木漠 (モモキバク) (翻訳) (ももき・ばく) 1982年奈良県に生まれる。専門は政治思想史・社会思想史。現在、関西大学法学部准教授。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。単著に、『アーレントのマルクス――労働と全体主義』(人文書院、2018年)、『嘘と政治――ポスト真実とアーレントの思想』(青土社、2021年)、共著に『現代社会理論の変貌――せめぎあう公共圏』(日暮雅夫・尾場瀬一郎・市井吉興編、ミネルヴァ書房、2016年)、『生きる場からの哲学入門』(大阪哲学学校編、新泉社、2019年)、『漂泊のアーレント、戦場のヨナス――ふたりの二〇世紀 ふたつの旅路』(慶應義塾大学出版会、2020年)、『アーレント読本』(日本アーレント研究会編、法政大学出版局、2020年)などがある。 *ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。
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暗闇のなかの希望 増補改訂版 語られない歴史、手つかずの可能性|レベッカ・ソルニット, 井上 利男(翻訳), 東辻 賢治郎(翻訳)
¥1,100
筑摩書房 2023年 ちくま文庫 ソフトカバー 256ページ 文庫判 - 内容紹介 - イラク戦争下で「希望を擁護する」ために刊行され、二〇一六年に加筆された改訂版を文庫化。アクティヴィズムと思想を往還する名著。解説 小川公代 ソルニット、初文庫化 直接行動(アクティヴィズム)と思想を自在に往還する現代の名著 解説 小川公代 2003年、イラク戦争が始まった時期に、「希望を擁護する」ために本書は書かれた。あの時代は過ぎ去ったが、あらたな戦争が生じ、破壊的な気候変動が到来している。絶望と冷笑主義が残りつづける現代に、希望をもつことはいかに可能なのか。「希望は光を浴びた舞台の真ん中ではなく、周縁の暗がりにある」(本文より)。2016年に改訂され、直接行動と思想を往還する現代の名著を文庫化。 解説 小川公代 【目次】 日本のみなさんへ 第三版への序文(二〇一五年) 希望が拠って立つもの 1 暗闇を覗きこむ 2 私たちが敗北したとき 3 私たちが勝ち取ったもの 4 偽りの希望と安易な絶望 5 影の歴史 6 千年紀の到来 ―― 一九八九年一一月九日 7 千年紀の到来 ―― 一九九四年一月一日 8 千年紀の到来 ―― 一九九九年一一月三〇日 9 千年紀の到来 ―― 二〇〇一年九月一一日 10 千年紀の到来 ―― 二〇〇三年二月一五日 11 変革のための想像力を変革する 12 直接行動の間接性について 13 もうひとつの歴史の天使 14 カリブーのためのバイアグラ 15 楽園からの脱出 16 大いなる分断を越えて 17 イデオロギーの後に ―― あるいは時間の変容 18 グローバルなローカル ―― あるいは場所の変容 19 テキサスの三倍大きな夢 216 20 疑い 21 世界の中心への旅 振り返る平凡な人びとの非凡な偉業(二〇〇九年) すべてがばらばらになり、すべてがまとまりつつある(二〇一四年) あとがき後ろ向きに、前向きに 謝辞 巻末注記 訳者あとがき 東辻賢治郎 解説 ネガティヴ・ケイパビリティのなかの希望 小川公代 - 著者プロフィール - レベッカ・ソルニット (レベッカ ソルニット) (著/文) (Rebecca Solnit):1961年生まれ。作家、歴史家、アクティヴィスト。カリフォルニアに育ち、環境問題・人権・反戦などの政治運動に参加。アカデミズムに属さず、多岐にわたるテーマで執筆をつづける。主な著書に、『ウォークス歩くことの精神史』(左右社)、『オーウェルの薔薇』(岩波書店)がある。 井上 利男 (イノウエ トシオ) (翻訳) 1944-2019年。翻訳家。奄美で石油基地反対運動に参加後、福島第一原発事故に遭遇。 東辻 賢治郎 (トウツジ ケンジロウ) (翻訳) 1978年生まれ。翻訳家、文筆家。関心領域は近代の技術史、建築史、紀行、地図制作。
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岡潔の教育論 |中沢新一, 岡潔, 森本弘
¥2,750
コトニ社 2023年 ソフトカバー 272ページ 四六判 - 内容紹介 - 「教育はどうすればよいのだろう」 暗記と論理の偏重、効率主義と個人主義を超えてーー 世界的数学者がとく、「自然」にそくした「正しい心」の育て方、その「論理」と「直観」を統合する考え方と実践がここによみがえる!! 【中沢新一「はじめに」より】 《『岡潔の教育論』は、岡潔の教育に関するエッセイと、岡潔と森本弘が五十年ほど前に、阿吽の呼吸で繰り広げた教育をめぐる問答の記録を、一冊にまとめたものです。(…)森本弘さんは、地元和歌山で小学校の先生をされていた方です。教育の現場で成長していく子供のこころを長きにわたって見つめ続けていた人です。(…)岡潔と数学が出会って現代数学に新しい世界が開かれたように、森本弘と岡潔が出会って新しい教育の理念がつくられたように、この本が多くの人のこころに届いて、そこから新しいものの考え方や感じ方や未来への指針が生まれてくることを、私たちは願ってやみません。》 目次 はじめに(中沢新一) 第1章 小学校以前ーー教育はどうすればよいのだろう1(岡潔) 第2章 情緒の教育ーー教育はどうすればよいのだろう2(岡潔) 第3章 知性と意志の教育ーー教育はどうすればよいのだろう3(岡潔) 第4章 教育に東洋の秋をーー構造学習と大脳生理の一思案(森本弘) 解説(中沢新一) 解説 情緒と微笑(唐澤太輔) 前書きなど はじめに 中沢新一 『岡潔の教育論』は、岡潔の教育に関するエッセイ(「教育はどうすればよいのだろう1~3」)と、岡潔と森本弘が五十年ほど前に、阿吽の呼吸で繰り広げた教育をめぐる問答の記録を、一冊にまとめたものです。本書成立のきっかけは小さな偶然によるものでした。数年前岡潔についての講演を頼まれて和歌山県橋本市を訪れた際、森本弘の義理の娘さんである森本和子さんから、こんなものが遺されているのですがといってみせていただいたのが、岡潔と森本によるその問答の記録でした。妙に揃った几帳面な文字で、何度も書き直し、清書されたであろうその原稿には不思議な熱がこもっていました。その内容を一読して、これはとても貴重な価値をもつもので、このまま埋もれさせてはならない、と私は思いました。 森本弘さんは、地元和歌山で小学校の先生をされていた方です。教育の現場で成長していく子供のこころを長きにわたって見つめ続けていた人です。その中で、子供のこころと実直に向き合えば向き合うほど、日本人のこころはこれからどうあるべきなのか、自分は教育者として、それをどう果たせばよいのかという思いが強くなっていったことでしょう。それは戦後教育の課題そのものでもありました。 敗戦後の日本は民主主義国家となり、自由と平等を掲げた教育がはじまりました。激しい変化を体験して、どの教師も迷いを抱えていました。彼らの大半は戦前の日本の教育を受けて育っています。新しい教育の中では、昔からの「日本のこころ」のあり方は否定的に扱われていましたが、それに変わる価値や思想は、まだ育っていませんでした。 国の体制や教育の形が変わっても、変わらない「日本のこころ」というものがあるのか。そこには目には見えないけれど、私たちを生かすなにかとても大切なものが潜んでいたようだが、それを次の世代、若い皆さんへどう伝えていけばいいのか。その切実な想いが、当時自分たちの身近に住んでいて、日本人のこころのあり方を必死に説いていた高名な数学者に、向かっていったのです。森本さんは岡潔に必死の思いで、自分たち教師は子どもたちに「日本のこころ」の何を伝えていけばよいのか、と問うたことでしょう。その熱意に打たれた岡潔は胸襟を開いて、両者の対話がはじまりました。その対話の過程でわかってきたことを森本さんが記録し、まとめられたものを今度は訂正したり、詳細に膨らませたりしながら、この原稿はできあがっていきました。そのときの熱気が、いまでも伝わってくるようです。 本書に収められた両名の文章は、一九六〇~一九七〇年代に書かれたものです。日本が敗戦の傷から立ち直り、高度経済成長へと向かっていくその中で、「日本のこころ」も大きな変化を遂げてきました。合理主義と効率が重視され、そうでないものはだんだんと隅においやられるようになっていきました。しかし、人間のこころはそれだけではない。表面は変化したかにみえてもこころの奥に変わらないものがある、「日本のこころ」はそこに深く根ざしているはずである。岡潔の教育や日本人の思想風潮への警鐘はそのような確信からきています。 岡潔は世界的な数学者で、その当時の日本でもよく知られる人物でした。しかし、彼自身の人生は順風満帆というわけではありません。若き日からおたがいを切磋琢磨してきた無二の親友を留学中のパリで失い、帰国後は精神衰弱におちいり、大学の職を失って何年ものあいだ世間から隔絶した暮らしをしたこともありました。友人たちの助けでようやく奈良女子大学に職を得たのは、敗戦を経て四十八歳になった頃のことでした。しかし、どんな困難に出会っていても、岡潔は少しも自分を不幸とは思いませんでした。それは、いつでも彼が全身全霊をこめて純粋一途に追求できる数学の世界があったからです。 岡潔は「数学とは、自らの情緒を外に表現することによって作り出す学問芸術の一つである」と考えていました。情緒の表れは数学に限りません。俳句や和歌でも、音楽や絵画にも情緒は宿ります。野に咲く一輪のスミレに、ああキレイだな、と思うこころが情緒だと、岡潔は言っています。日本の自然豊かな風土が日本人のこころをはぐくみ、その「情緒」が自分と数学のこころを通わせたのです。数学は一見、冷たい論理や数式によって表されているように見えるかもしれませんが、じつはその背後に、目に見えない情緒の世界が動いている、それが彼の確信でした。 岡潔は人間には「第一の心」と「第二の心」があると考えていました。論理や数式の世界は「第一の心」にあたります。理性や論理を働かせ、世界中の数学者の誰にでもわかるように論文を書いて成果をあげることができます。それによって社会の中で職を得て、豊かで安定した生活を送ることができます。この「第一の心」を教育で身につけることは、大切なことです。理性や自制心を身につけることによって、人間としての社会生活を送る能力を得る。それを子供達に身につけさせることが、教育のひとつの使命と、岡潔も考えていました。 一方で、私たちのなかには、「第二の心」も保存されています。この「第二の心」というのが「情緒」というものに深いつながりを持つ、もう一つの心の働きです。これは合理的な論理を超えて、心の奥のほうで行われている心の活動です。ものごとの全体的なつながりを直感的にとらえながら、たんなる論理を超えてこの世界の真実をつかむことを可能にする心の働きです。日本文化の中で、この「第二の心」はとても大きな働きをしてきました。ところが現代生活においては、「第二の心」が「第一の心」にひどく抑圧されていると、岡潔は考えました。 「第一の心」と「第二の心」を協働して存分にはたらかせること。そこから人と人とをつなぐよりよい社会がつくられていくはずだというのが、岡潔の基本的な考えでした。そのためにも日本人のこころに、情緒をよみがえらせていかなければならないのです。現代の私たちからみると、いささか素朴でロマンチックな考えのように見えるかもしれません。岡潔と森本弘がそういうことを考えていた頃に比べても、いまはものごとが複雑に絡まりあい、情緒も世界の全体像もみえなくなっているように思えるからです。しかしだからこそ、岡潔のまっすぐな確信と森本弘の渾身の挑戦は、私たちに大きな勇気と示唆を与えてくれます。現代の世界がどんなに混迷を深め、純粋なこころの働きが見えにくくなっているとはいえ、人間の本質は変わっていないからです。 橋本市で起こったひとつの原稿との出会いをきっかけに、「日本のこころとは何か」を考えようという本書は生まれました。岡潔と数学が出会って現代数学に新しい世界が開かれたように、森本弘と岡潔が出会って新しい教育の理念がつくられたように、この本が多くの人のこころに届いて、そこから新しいものの考え方や感じ方や未来への指針が生まれてくることを、私たちは願ってやみません。 - 著者プロフィール - 中沢新一 (ナカザワシンイチ) (著/文 | 編集) 1950年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。京都大学特任教授、秋田公立美術大学客員教授。人類学者。著書に『増補改訂 アースダイバー』(桑原武夫賞)、『カイエ・ソバージュ』(小林秀雄賞)、『チベットのモーツァルト』(サントリー学芸賞)、『森のバロック』(読売文学賞)、『哲学の東北』(斎藤緑雨賞)など多数。 岡潔 (オカキヨシ) (著/文) 1901年生まれ。三高をへて、京都帝国大学理学部卒業。多変数解析函数の世界的権威者。理学博士。奈良女子大名誉教授。学士院賞・朝日文化賞・文化勲章。仏教・文学にも造詣が深く、『春宵十話』『風蘭』『紫の火花』『月影』『日本民族の危機』などの随想も執筆。晩年は教育に力を注いだ。 森本弘 (モリモトヒロム) (著/文) 1911年生まれ。和歌山県内の小・中学校の校長を経て、橋本市教育委員会教育長を務める。晩年の岡潔と親交が深く、岡から学んだ「情緒教育」を実際の教育現場で実践しつづけた稀有な教育者。
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はたらかないで、たらふく食べたい 増補版 「生の負債」からの解放宣言|栗原 康
¥902
SOLD OUT
筑摩書房 2021年 ちくま文庫 ソフトカバー 288ページ 文庫判 - 内容紹介 - カネ、カネ、カネの世の中で、ムダで結構。無用で上等。爆笑しながら解放される痛快社会エッセイ。文庫化にあたり50頁分増補。解説 早助よう子
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アナーキズム: 政治思想史的考察|森政稔
¥2,970
作品社 2023年 ソフトカバー 321ページ 四六判 縦188mm 横128mm 厚さ19mm - 内容紹介 - アナーキズム思想研究の決定版!! 近年の民主主義への鋭利な分析で注目されている論者が、これまで長年取り組んできた研究成果を結集させた待望の一冊 私が本書で試みたいことは、アナーキズムに関連する思想を、実践的な運動としてのアナーキズムから相対的に距離を設けて、政治思想や政治理論の歴史のなかで「アナーキズム的モーメント」が果たしてきた役割を学問的に明らかにしようとすることである――「まえがき」より アナーキズム的モーメントとは? 狭義のアナーキズムのように正面から統治や支配を否定しようとする考え方に限らず、統治することにはたとえ民主主義であっても深刻な限界や自己矛盾、正当性の欠如などがあることを明らかにし、またこのような統治の限界や正当性の欠如には理由があることを承認するような、より広い思想的契機のこと。
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くらしのアナキズム|松村圭一郎
¥1,980
ミシマ社 2021年 ソフトカバー 240ページ 四六判 縦188mm 横128mm 厚さ19mm - 内容紹介 - 国家は何のためにあるのか? ほんとうに必要なのか? 「国家なき社会」は絶望ではない。 希望と可能性を孕んでいる。 よりよく生きるきっかけとなる、 〈問い〉と〈技法〉を 人類学の視点からさぐる。 本書でとりあげる「人類学者によるアナキズム論」とは… ・国家がなくても無秩序にならない方法をとる ・常識だと思い込んでいることを、本当にそうなのか? と問い直す ・身の回りの問題を自分たちで解決するには何が必要かを考える アナキズム=無政府主義という捉え方を覆す、画期的論考! *** この本で考える「アナキズム」は達成すべき目標(・・)ではない。むしろ、この無力で無能な国家のもとで、どのように自分たちの手で生活を立てなおし、下から「公共」をつくりなおしていくか。「くらし」と「アナキズム」を結びつけることは、その知恵を手にするための出発点(・・・)だ。(「はじめに」より) *** ミシマ社創業15周年記念企画 目次 はじめに 国家と出会う 第一章 人類学とアナキズム 第二章 生活者のアナキズム 第三章 「国家なき社会」の政治リーダー 第四章 市場(いちば)のアナキズム 第五章 アナキストの民主主義論 第六章 自立と共生のメソッド――暮らしに政治と経済をとりもどす おわりに - 著者プロフィール - 松村圭一郎 (マツムラケイイチロウ) (著/文) 1975年熊本生まれ。岡山大学文学部准教授。専門は文化人類学。所有と分配、海外出稼ぎ、市場と国家の関係などについて研究。著書に『うしろめたさの人類学』(ミシマ社、第72回毎日出版文化賞特別賞)、『はみだしの人類学』(NHK出版)、『これからの大学』(春秋社)など、共編著に『文化人類学の思考法』(世界思想社)、『働くことの人類学』(黒鳥社)。
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人新世の人間の条件|ディペシュ・チャクラバルティ, 早川健治(翻訳)
¥1,980
晶文社 2023年 ソフトカバー 180ページ 四六判 - 内容紹介 - 「人新世」の正体を、あなたはまだ何も知らない――。 人文学界で最も名誉ある「タナー講義」を、読みやすい日本語へ完訳。 地質学から歴史学まで、あらゆる学問の専門家の知見を総動員し、多くの分断を乗り越えて環境危機をファクトフルに考えるための一冊。かりそめの答えに満足できない現実派の読者におくる。 山崎直子さん(宇宙飛行士)推薦 「我々はどこへ向かうのか、その考え方の土台となる本。宇宙に学校が出来たら、この本はきっと人類共通の教科書となるでしょう」 ◆そもそも地質年代は誰がどう決める? ◆「大加速グラフ」が示す未来とは? ◆途上国と先進国の分断は乗り越えられる? ◆立場を超えてもつべき新たな「時代意識」とは? ◆人間は技術圏(テクノスフィア)の部品にすぎない? ◆地球の半分からヒトを撤退させるべき? ◆大きな歴史(ビッグ・ヒストリー)は人類を結束させる? 目次 講義1 時代意識としての気候変動 講義2 人間が中心ではなくなるとき、あるいはガイアの残り 日本版特別インタビュー 『人新世の人間の条件』に寄せて 訳者あとがき - 著者プロフィール - ディペシュ・チャクラバルティ (ディペシュチャクラバルティ) (著/文) 1948年生。インド出身の歴史学者。シカゴ大学教授。専門は歴史学方法論、ポストコロニアル理論、サバルタン研究、南アジア史など。ベンガル地方の労働史の研究から出発し、1980年にはサバルタン研究の最重要組織であるSubaltern Studiesをラナジット・グハらと共同創設した。その後2000年には主著Provincializing Europeを発表。西洋を起源とする歴史学のカテゴリーを西洋以外の文脈へと開いていくための道を模索し、歴史学の方法論に大きな影響を与えた。2021年発表の最新作The Climate of History in a Planetary Ageでは、人文学者が人為的な地球環境改変とどう向き合っていくべきかという問題を丹念に探究した。トインビー賞、タゴール賞など受賞多数。 早川健治 (ハヤカワケンジ) (翻訳) 1989年生。ダブリン在住の翻訳家。哲学修士。CplとGoogleで人材あっ旋担当者として働いた後、独立して現職。和訳にチョムスキー&ポーリン『気候危機とグローバル・グリーンニューディール』(2021)、バルファキス『世界牛魔人』(2021、いずれも那須里山舎)など、英訳に多和田葉子『Opium for Ovid』(Stereoeditions)。一般向け配信番組「フィネガンズ・ウェイクを読む」主催者。公式ウェブサイト:kenjihayakawa.com
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地に呪われたる者 【新装版】|フランツ・ファノン, 鈴木道彦 (翻訳), 浦野衣子 (翻訳)
¥4,180
みすず書房 2015年 ハードカバー 328ページ 四六判 - 内容紹介 - 民族とは、国家とは、文化とは。ファノニズムとは何か。 植民地主義に抗し36年の生涯を闘争に捧げた著者が遺した、ポスト・コロニアル批評の原点。 「ひとつの橋の建設がもしそこに働く人びとの意識を豊かにしないものならば、 橋は建設されぬがよい、市民は従前どおり、泳ぐか渡し船に乗るかして、 川を渡っていればよい。橋は空から降って湧くものであってはならない、社会の 全景にデウス・エクス・マキーナ〔救いの神〕によって押しつけられるものであっては ならない。そうではなくて、市民の筋肉と頭脳とから生まれるべきものだ。(…) 市民は橋をわがものにせねばならない。このときはじめて、いっさいが可能となるのである。」(本書より) [初版「現代史・戦後篇」16『フランツ・ファノン集――黒い皮膚・白い仮面、地に呪われたる者』1968年刊、 『フランツ・ファノン著作集』3『地に呪われたる者』1969年刊、〈みすずライブラリー〉版1996年刊] - 著者プロフィール - フランツ・ファノン (フランツファノン) (著/文) 1925-61。フランス領マルチニック島で黒い皮膚をしたマルチニック人として生まれる。第二次大戦中、「自由フランス」に志願して参加し、各地で戦った。戦後はフランス本国に学び、リヨン大学で精神医学を専攻して学位を取得、この頃白い皮膚のフランス人と結婚した。1952年『黒い皮膚・白い仮面』を刊行。1953年11月フランス領アルジェリアにある精神病院に赴任。翌年、アルジェリア独立戦争が勃発。戦争初期は民族解放戦線(FLN)の活動を密かに助けていたが、1957年以来病院の職を辞し全面的にFLNに身を投じる。FLNの機関誌『エル・ムジャヒド』に精力的に寄稿するなど、アルジェリア革命のスポークスマン的役割を果たした。1958年には『アルジェリア革命第五年』(後に『革命の社会学』と改題)を発表、そして1961年には、白血病に冒されつつも『地に呪われたる者』をわずか10週間で執筆。闘争の総決算である同書が刊行されてからわずか数日後の1961年12月6日、ファノンは息を引き取った。36歳の若さであった。死後、『エル・ムジャヒド』その他に書かれた文章を集めた『アフリカ革命に向けて』が出版された。