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民主主義の非西洋起源について 「あいだ」の空間の民主主義|デヴィッド・グレーバー, 片岡 大右(訳)
¥1,870
平凡社 2026年 平凡社ライブラリー ソフトカバー 216ページ B6変型判 - 内容紹介 - 私たちが「西洋」と呼んできたものは、いつ、どのようにしてかたちづくられたのか――。国家による統治の外に広がる空間に民主主義の萌芽を見いだし、多種多様な人びとの衝突と対話から立ち上がるもうひとつの世界史を描き出す。「啓蒙の脱植民地化」の出発点にして、最良のグレーバー入門。 《民主主義は、生身の人間がぶつかり合い、泥臭く生きている空間で立ち上がってきた。必ず読んでおくべき、これからの政治を考えるための1冊》――ブレイディみかこ推薦!! ☆★片岡大右「訳者あとがき」(じんぶん堂)★☆ https://book.asahi.com/jinbun/article/16458861 ☆★宇野重規「書評 民の自己統治 ギリシャ外でも」(じんぶん堂)★☆ https://book.asahi.com/article/13414357 ☆★ブレイディみかこ「常識破りの問いを立て民主主義を考えつくす」(『週刊エコノミスト』)★☆ https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20200616/se1/00m/020/013000c *** ☆★片岡大右「コロナ下に死んだ人類学者が残したもの デヴィッド・グレーバーの死後の生」上・下(岩波書店編集部note「コロナの時代の想像力」)★☆ https://note.com/iwanaminote/n/n5c07d2eb495a https://note.com/iwanaminote/n/n1856cd0effdf ☆★片岡大右「人類学者デヴィッド・グレーバーさんを悼む 人間の本性、対立超えると信じた」(好書好日)★☆ https://book.asahi.com/article/13735729 --- 【目次】 序論 第一章 「西洋的伝統」という概念の一貫性のなさについて 補足的覚え書き──西洋的眼差しの欺瞞性について 世界システム論を再構成する 第二章 民主主義はアテネで発明されたのではない 第三章 「民主主義的理想」の発生について 第四章 相互になされる回収 「影響論争」──アメリカ民主主義とイロコイ諸族 終わりなき再創設の営みとしての伝統 アフリカのフェティシズムと社会契約の理念 中国とヨーロッパ国民国家 結論 国家の危機 民主主義と国家の不可能な結合 原注 訳注 フランス語版のためのまえがき アラン・カイエ 【付録】惜しみなく与えよ──新しいモース派の台頭 D・グレーバー 「あいだ」の空間と水平性──以文社版訳者あとがき(二〇二〇年) 六年後の春に──平凡社ライブラリー版に寄せて 書誌
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機械カニバリズム 人間なきあとの人類学へ|久保 明教
¥1,815
講談社 2026年 講談社選書メチエ ソフトカバー 224ページ 四六判 - 内容紹介 - 「シンギュラリティ」「IoTで豊かな未来」「鉄腕アトム」「ターミネーター」……私たちは、機械を愛し、憎んでいる。では機械のほうから「私たち」を見たらどうなる? テクノロジーと深く結びつく人間は、あらたな存在に生まれ変わっているのかもしれない。 人類学者カストロは、アマゾンにおける食人=カニバリズムを、「他者の視点から自らを捉え、自己を他者としてつくりあげるための営為」として描き出した。「機械カニバリズム」は、テクノロジーによって私たちが変容ゆくことを捉える試みである。将棋ソフトによってプロ棋士と将棋が、SNSによってコミュニケーションと社会が、いままさに変容しているなか、「人間」観そのものが刷新されていくべきなのだ。気鋭の人類学者が、「現在のなかにある未来」を探る、痛快かつ真摯な思考! 川上量生氏コメント―― わたしたちはAIが人間の能力を凌駕しつつある歴史的過程の中にいます。AIと人間とどちらが優れているのか、そういう問いが日常的に飛び交う世の中で過ごすのも、この時代に生を受けた運命としてはやむを得ないことでしょう。 しかしながら実際にはこの問いは、そもそも正しくなかったことが明らかになってきました。いったい「優れている」とはなにか? AIとはなにか? そしてなによりも人間とはなにか? という、より大きな疑問が頭をもたげてきたからです。人間とはそもそも優れているのか、機械とは、そしてAIとはなにが違うというのか。そして真実が明るみになったときに、人類ははたして結果を受け入れることができるのでしょうか。 いささか大袈裟ではありますが、人間社会がAIの時代を受け入れるための礎石にならん、という決意で始めた将棋電王戦を、本書はAI時代における社会的な役割から解き明かしてくれました。また、より大きな視点で、ニコニコ動画を含めたネット社会についても、人間と技術の関わりから、どう捉えるべきかを示してくれています。 こういう議論はまだまだ始まったばかりで、21世紀の人類の最大の哲学的テーマであると思う次第です。 【本書の内容】 現在のなかの未来 ソフトという他者 探索から評価へ 知性と情動 強さとは何か 記号の離床 監視からモニタリングへ 生きている機械 - 著者プロフィール - 久保 明教 (クボ アキノリ) (著) 1978年生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科単位取得退学。博士(人間科学)。現在、一橋大学大学院社会学研究科准教授。科学技術と社会の関係について文化/社会人類学の観点から研究を行う。著作に『ロボットの人類学―20世紀日本の機械と人間』(世界思想社)、『現実批判の人類学--新世代のエスノグラフィへ』(世界思想社、共著)、「知能機械の人類学―アクターネットワーク論の限界を超えて」(『現代思想』2015年12月号、青土社)などがある。
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死ってなんだろう。死はすべての終わりなの?|フランソワーズ・ダステュール, アンネ・ヘムステッヘ(絵), 伏見 操(訳)
¥1,430
岩崎書店 2016年 ソフトカバー 72ページ 四六判 - 内容紹介 - どうして死ぬの?死んだらどうなるの?じっくり「死」について考えてみましょう。「死」のさまざまな側面が見えてきます。
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江藤淳と加藤典洋 戦後史を歩きなおす|與那覇 潤
¥2,090
文藝春秋 2025年 ソフトカバー 320ページ 四六判 - 内容紹介 - 戦後80年間の日本人の魂の遍歴を、江藤淳・加藤典洋とともにたどる試み。小林秀雄賞の歴史家が放つ、初めての「文芸批評」。 *上野千鶴子さん推薦 「戦後批評の正嫡を嗣ぐ者が登場した。文藝評論が政治思想になる日本の最良の伝統が引き継がれた思いである。」 *東畑開人さん評(読売新聞2025年6月22日付) 「戦後史についての本であるけれども、それ以上の本だ」「文学とは時代の苦悩を物語る営みに他ならない。そこに時代を生きた心が浮かび上がる」 国破れて小説あり ――敗けてから80年、 再生する日本が「青春期」に悶えた記憶を 老いたいま、どう受けとるのか。 文芸評論の巨人ふたりに倣いつつ 太宰治から村上龍、春樹まで、 戦後文学の最も高い尾根から見晴らす 私たちの ”魂” の現代史。 目次 ベース・キャンプにて 歴史が消えてからのまえがき 戦後史の峰に登る 人間宣言――太宰治『斜陽』 社会党政権――椎名麟三『永遠なる序章』 六全協――柴田翔『されど われらが日々――』 ふたつの安保――庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』 沖縄返還――村上龍『限りなく透明に近いブルー』 ヒュッテでの一夜 「満洲国」のあとで 大佛次郎から村上春樹へ 現在への坂を下る 江藤淳小伝 轟轟たる雷鳴に死す 「喪の作業」が消えた平成 書評 平山周吉『江藤淳は甦える』 「歴史」の秩序が終ったとき 三島事件後の歴史家たち 書評 風元正『江藤淳はいかに「戦後」と闘ったのか』 瓦礫の掃き寄せ WGIP史観のあとさき 書評 赤坂真理『箱の中の天皇』 批評家の最後の闘争 ふたたびの『妻と私』 ねじれとの和解の先へ 『敗戦後論』後の加藤典洋 歴史がこれ以上続くのではないとしたら 加藤典洋の「震災後論」 最後の文芸評論家 加藤典洋さんを悼む 帰りの汽車のなかで 終わらない対話のあとがき
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「できなさ」からはじまる倫理学|野崎 泰伸
¥2,200
大月書店 2026年 ソフトカバー 216ページ 四六判 縦190mm 横135mm 厚さ15mm - 内容紹介 - 能力や生産性が高いという尺度を捨てて、「できなさ」から社会を見てみると…。生きづらさを生み出す分断の時代だからこそ、「生の無条件の肯定」を掲げ、「共に生きる」社会と人の関係を考える。 目次 序章 わたしの身体、わたしの倫理─当事者として考える出発点 第1章 「他者」とは誰か──「支える/支えられる」を超えて コラム1 「命を選ぶ」とは、どういうことだろう? 第2章 「共に」とはどういう状態か?──分断社会における共生のリアリティ コラム2 「もっと努力しろ」って、誰のため? 第3章 「豊かに」とは何か?――障害の経験が開く価値の地図 コラム3 「できない」を分かち合う社会へ 第4章 「生きる」とはどんなことか?――困難のなかにある倫理的主体 コラム4 障害者は生まれないほうがよかったのか? 第5章 「掟」はどこから来るのか? コラム5 「掟」について考える――地動説の誕生について 6章 判断するということ――生の肯定と応答の倫理 コラム6 「トロッコ問題」から「ふだんの倫理」へ――すべての命を大切にするという考え方 終章 倫理とは、未来に向けた対話である――「問いつづけること」の重要性 - 著者プロフィール - 野崎 泰伸 (ノザキ ヤスノブ) (著) 立命館大学非常勤講師。哲学・倫理学を専門とする研究者であると同時に、先天的な脳性マヒを抱え、二次障害により車イスを使用しながら生活する「当事者」。
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犀の教室 批判的日常美学について 来たるべき「ふつうの暮らし」を求めて | 難波 優輝
¥1,980
晶文社 2026年 犀の教室 ソフトカバー 256ページ 四六判 - 内容紹介 - 強烈にシニカルな議論の中から、迷える人たちへのまっすぐな応援歌が立ち上がってくる。──帯文・鷲田清一 現代は「ちゃんとする時代」。「ちゃんと働く」「ちゃんとした格好をする」……私たちはいつのまにか、ちゃんとすることを当然視し、それができない自分を責めながら生きている。だが、本当にちゃんとしなければならないのだろうか。 社会が要請する「ちゃんとしなければならない」に対して、自分の理由で反抗し、受け流し、交渉するための「道具」を追求すること。それが「批判的日常美学」の試み。 生活にまつわる様々なアイテム──料理、労働、ファッション、清潔感、コミュニケーション、性愛──などを題材に、「丁寧な暮らし」の呪縛から逃れ、いまだ到来しない「ふつうの暮らし」を模索する哲学的考察。他人と世界と自分をより自由に愛せるようになるためのメソッド。 "この本では、「ちゃんとする」という言葉に代表されるような、倫理的なものと美的なものの癒着を見つけ出し、それを断ち切っていく。(…)日常にある美的とされているものに実は倫理的なものが潜んでいることを暴き出す。そして、倫理と美のつながりを健全なしかたで再構成する。この手法を「批判的日常美学」と私は呼ぶ。(…)社会が要請する「ちゃんとしなければならない」に対して、あなたがあなたの理由で反抗し、受け流し、交渉するための「道具」を追求する試み。それが本書で私がやりたいことだ。"(「はじめに」より) 【目次】 はじめに 序章 来たるべき「ふつうの暮らし」を求めて 第1章 自炊と恥──料理道徳から距離をとる 第2章 労働廃絶宣言──労働を解体するための感性論 第3章 反ファッション論──みせかけ美徳消費の悪徳 第4章 「性格が悪い人」を差別してもいいのか──「清潔感」からはじめる性格差別の哲学 第5章 分かり合わないことの美学──不同意コミュニケーション論 第6章 愛し方のあいいれなさ──手元規範と共同規範づくり 第7章 被害者サディズムの吹き荒れる時代に、スピリチュアリティにできること? 第8章 新しい快楽主義者たち──猫と廃墟とアナキズム 第9章 陰部の日常──マスターベーションとセックスの美と倫理について 第10章 抑圧に感謝する──奴隷根性と弱さの美学 第11章 夕焼けと電流──生誕した私たちの美的義務について あとがき - 著者プロフィール - 難波優輝 (ナンバユウキ) (著) 1994年生まれ。美学者、会社員。神戸大学大学院人文学研究科博士前期課程修了。専門は分析美学とポピュラーカルチャーの哲学。著書に『物語化批判の哲学──〈わたしの人生〉を遊びなおすために』(講談社現代新書、2025年)、『なぜ人は締め切りを守れないのか』(堀之内出版、2025年)、『性的であるとはどのようなことか』(光文社新書、2025年)、『SFプロトタイピング』(共編著、早川書房、2021年)がある。
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本質観取の教科書 みんなの納得を生み出す対話 | 苫野 一徳, 岩内 章太郎, 稲垣 みどり
¥1,056
SOLD OUT
集英社 2025年 集英社新書 ソフトカバー 256ページ 新書判 - 内容紹介 - 自分とは異なる立場や考えの人と、いかに対話し、合意形成していけばよいのか分からない。 それどころか、深刻な信念対立を目の当たりにし、対話への希望を失ってしまう。そんな人は多いのではないだろうか。 本書は、「本質観取」と呼ばれる哲学の思考法・対話法を、誰もが実践できるようになるための入門書である。 分断をのりこえ、民主主義を成熟させるための対話の極意とは? 実践で活用できるワークシートや、ファシリテーションのコツなども収録。 社会学者 橋爪大三郎氏 とにかくわかりやすくて面白い。実例が豊富なので、 本質観取の哲学対話が、これで誰でもすぐできる。 独立研究者・著作家 山口周氏 対話を通じて、多様な他者と相互承認・共通了解へと至る「本質観取」の方法は、 多数の関係者を束ねるビジネスリーダーにこそ求められます。 苫野一徳 (とまの いっとく) 熊本大学大学院教育学研究科准教授。 著書に『「自由」はいかに可能か』『はじめての哲学的思考』『愛』など多数。 岩内章太郎 (いわうち しょうたろう) 豊橋技術科学大学准教授。 著書に『新しい哲学の教科書 現代実在論入門』『〈私〉を取り戻す哲学』など。 稲垣みどり (いながき みどり) 順天堂大学国際教養学部准教授。 著書に『共生社会のためのことばの教育 自由・幸福・対話・市民性』など。
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資本主義を半分捨てる | 青木 真兵
¥990
筑摩書房 2026年 ちくまプリマー新書 ソフトカバー 176ページ 新書判 - 内容紹介 - 生きづらさに満ちた社会で、資本主義の価値観に縛られず多様なありかたを模索する。都市と山村を行き来して考えた、自分が心地よく生きるための方法とは。 お金になりにくい文化や教育的営みは役に立たないのか? 資本主義的な都市とそこから離れた山村の二つの場所を行き来しながら、自分の感覚にしっくりくる言葉や表現を磨き、自分らしく生きるための道筋を探っていく──。他人の評価や市場のものさしにとらわれず、自分だけの生き方をみつけよう。私たちが抱える「生きづらさ」から抜け出してちょうどよく生きるためにどうすればいいのか。現代を生きる私たちがどうすれば人間らしく暮らせるのか、自分に合った答えを見つけるためのヒントがここにある。 - 目次 - はじめに 「ちょうどよく生きる」とは/「生きづらさ」はどこからくるのか/テクノロジーの発展は悪くない/「自己ニーズ」を大事にできるかどうか 第一章 僕たちが山村に越して分かったこと──二つの原理を行ったり来たり 東吉野村へ移住/なぜ過疎地を選んだのか/合理性と効率性を第一とする社会で/資本の原理に支配される危うさ/あらゆるものを商品とみなす社会/消費社会は快適/生きるとは労働力を商品化すること/数値化することで失われてゆくもの/二つの原理を行き来する柔軟さが必要 第二章 社会全体を学びの場としてとらえる──脱学校、脱病院の思想 都市と山村では自然とのつき合い方が違う/近代と前近代/学校は子どもたちを序列化する制度/学びを学校に限定しない/本来の学びとは何か/社会的価値という物差しから離れる/障がいは社会との関係性の中で生じる/障がいにおける「医学モデル」と「社会モデル」/医学的、社会的評価に委ねすぎてはいけない/数値ではなく自分にとってのちょうどよさを基準にする 第三章 働くとはなにか──ルチャ・リブロとヴァナキュラー なぜ図書館活動をするのか/市場原理に縛られない場所をつくる/「おすそ分け」が活動の原点/生きづらさと向き合いプロセスを「ひらく」試み/労働=賃金なのか?/ヴァナキュラーな営みとは/自然のリズムを無視しない働き方/人間の精神や文化の持続のために大切なものはなにか 第四章 数値化できないものについて語る──「オムライスラヂオ」 互いに関わり合い、支え合う関係/全体を整える││流動的知性/テクノロジーは大事だが支配されてはいけない/人間らしく生きるために生活を手づくりする/自己ニーズを認め合う関係は互いの尊厳を認め合う関係/素朴な疑問について語り合う雑談の場としてのラジオ/余白の時間と空間をとり戻す/生き物としての感受性を回復する 第五章 尊厳を認め合いながら生きるには──『ジェンダー』 自己ニーズはとても繊細なもの/男性は社会的に優位な側に属している/平等な社会を目指すには/近代社会が理想とした「単一の性」の不自然さ/「他者ニーズ」と「自己ニーズ」を往復しながら生きる/前近代的共同体に潜む抑圧/マイノリティを孤立させない/自ら作った制度や装置に支配されずに生きる - 著者プロフィール - 青木 真兵 (アオキ シンペイ) (著) 1983年埼玉県生まれ。「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」キュレーター。思想家。古代地中海史(フェニキア・カルタゴ)研究者。博士(文学)。社会福祉士。2014年より実験的ネットラジオ「オムライスラヂオ」の配信をライフワークとしている。2016年より奈良県東吉野村に移住し、自宅を私設図書館として開きつつ、就労支援や若者支援、企業の組織文化づくりなどに携わっている。著書に『手づくりのアジール──「土着の知」が生まれるところ』(晶文社)、『武器としての土着思考』(東洋経済新報社)、共著に『彼岸の図書館──ぼくたちの「移住」のかたち』(夕書房)、『山學ノオト』シリーズ(エイチアンドエスカンパニー)、『つくる人になるためにーー若き建築家と思想家の往復書簡』(灯光舎)など。
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すごい古典入門 ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』の基本 言語化できないことに意味はないの? | 古田 徹也
¥1,100
中央公論新社 2026年 ソフトカバー 104ページ A5判 - 内容紹介 - 私たちは何を言語化することができ、あるいは言語化することができないのか――。20世紀哲学の金字塔『論理哲学論考』をウィトゲンシュタイン研究の第一人者が解説。よくある誤解を丁寧に解きほぐしながら、『論理哲学論考』に挑戦するための準備運動をこの一冊で。入門書の入門を意識した平易さが嬉しい決定版。 【目次】 はじめに 何のために書かれた本なの? 第1章 哲学を終わらせる企み 第2章 世界とは何か? 言語とは何か? 第3章 語りえないことが浮かび上がる 終 章 読んだ後は投げ捨てるべき本か 『論理哲学論考』の翻訳について/次に読みたい本/ 現代の論理学を知るための入門書 ウィトゲンシュタイン略年譜 - 著者プロフィール - 古田徹也 (フルタテツヤ) (著) 1979年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科准教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。言語、心、行為の各概念を手掛かりに、主に現代の哲学・倫理学を研究する。 著書に、『言葉の魂の哲学』 (講談社選書メチエ、サントリー学芸賞受賞)、『はじめてのウィトゲンシュタイン』(NHKブックス)、『ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考』(角川選書)、『不道徳的倫理学講義』(ちくま新書)ほか、多数。
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それでも民主主義を信じる | 宇野 重規
¥1,980
青土社 2026年 ソフトカバー 224ページ 四六判 - 内容紹介 - 手放すのか、選び続けるのか――。 日本の、世界の民主政治が大きく揺れている。人口減少、安全保障、そして排外主義の台頭。果たして私たちの社会はどこへ向かうのか? 政治学を牽引してきた第一人者が、混迷する政治情勢をていねいに読み解き、未来への展望を示す51篇。
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眼がスクリーンになるとき ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』 | 福尾 匠
¥1,430
河出書房新社 2024年 ソフトカバー 368ページ 文庫判 - 内容紹介 - 映画の新しさはいかにして哲学の新しさへと跳ね返るのか。『シネマ』の緻密かつ明快な読解からドゥルーズ哲学の創造の原理が明かされる。 『非美学』の福尾匠のデビュー作、ついに文庫化。 - 著者プロフィール - 福尾 匠 (フクオ タクミ) (著) 1992年生まれ。哲学者、批評家。博士(学術)。著書に『非美学』、『眼がスクリーンになるとき』、『日記〈私家版〉』、共訳書にアンヌ・ソヴァニャルグ『ドゥルーズと芸術』がある。
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非美学 ジル・ドゥルーズの言葉と物 | 福尾 匠
¥2,970
河出書房新社 2024年 466ページ 四六判 縦189mm 横129mm 厚さ37mm - 内容紹介 - ドゥルーズにとって諸芸術はどんな意味を持つのか。美学を適用するための倫理を探りながら、日本批評の「否定神学批判」の射程距離をも探る。俊英による日本現代思想の新たな展開がここに! - 著者プロフィール - 福尾 匠 (フクオ タクミ) (著) 1992年生まれ。哲学者、批評家。博士(学術)。著書に『非美学』、『眼がスクリーンになるとき』、『日記〈私家版〉』、共訳書にアンヌ・ソヴァニャルグ『ドゥルーズと芸術』がある。
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置き配的 | 福尾 匠
¥2,310
講談社 2025年 ソフトカバー 240ページ 四六判 - 内容紹介 - コロナ禍以降、社会は置き配的なものとなった―― 「紀伊國屋じんぶん大賞2025 読者と選ぶ人文書ベスト30」の1位に輝いた気鋭の批評家が放つ最初にして最高の2020年代社会批評! 群像連載の「言葉と物」を単行本化。酷薄な現代を生き抜くための必読書! 「外出を自粛し、Zoomで会議をし、外ではマスクを着け、ドアの前に荷物が置かれるのに気づくより早く、スマホで通知を受け取る。個々人の環境や選択とはべつに、そのような生活がある種の典型となった社会のなかで、何が抑圧され、何が新たな希望として開かれているのか。そうした観点から、人々のありうべきコミュニケーションのかたちを問うこと、それがこの本のテーマです。(中略) つまり、狭義の置き配が「届ける」ということの意味を変えたのだとすれば、置き配的なコミュニケーションにおいては「伝える」ということの意味が変わってしまったのだと言えます。そして現在、もっとも置き配的なコミュニケーションが幅を利かせている場所はSNS、とりわけツイッター(現X)でしょう。保守とリベラル、男性と女性、老人と若者、なんでもいいですが、読者のみなさんもいちどは、彼らの論争は本当に何かを論じ合っているのかと疑問に思ったことがあるのではないでしょうか。 (中略)置き配的な社会を問うことは、書くことの意味を立ち上げなおすことにも直結するはずです。」(本文より) - 目次 - 序文 第1回 郵便的、置き配的 第2回 出来事からの隔離生活、あるいは戦争の二重否定 第3回 「たんなるパフォーマンス」とは何か 第4回 ネットワークはなぜそう呼ばれるか 第5回 フーコーとドゥルーズの「言葉と物」/青森で石を砂にした話 第6回 いま、書くことについて 第7回 置き配写真論、あるいは「コンテンツ」時代の芸術作品 第8回 ポジションとアテンション 第9回 サイボーグじゃない、君は犬だ、と私は言う 第10回 私でなくもない者たちの親密圏 第11回 暴力的な平等性と創造的な非対称性 あとがき - -著者プロフィール 福尾 匠 (フクオ タクミ) (著) 一九九二年生まれ。哲学者、批評家。博士(学術)。『非美学――ジル・ドゥルーズの言葉と物』で紀伊國屋じんぶん大賞2025受賞。その他の著書に『ひとごと――クリティカル・エッセイズ』、『眼がスクリーンになるとき――ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』、共訳書にアンヌ・ソヴァニャルグ『ドゥルーズと芸術』がある。
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オノマトペの現象学 新版 「ぐずぐず」の理由 | 鷲田 清一
¥1,386
KADOKAWA 2025年 角川ソフィア文庫 ソフトカバー 304ページ 文庫判 右開き - 内容紹介 - その強度に言葉が追いつかないときに、ひとは音に音を重ねるのだろうか。それとも、言葉が足りないときにそれをぴたり言い当てようとして、ひとはこのように音感でいっきに意味を凝集させようとするのだろうか。あるいは、どこか逸脱しているところがあるという、そんな違和感をさりげなく表明しておこうとして、ひとはこのように特徴ある音を反復するのだろうか。「へとへと」「よれよれ」「だらだら」「ぞくぞく」「ぎすぎす」……けっして鳴っていないはずの音を言い表す言葉たちが、わたしたちの様子を表現して、読めばすとんと腑に落ちる。そんな不思議な「オノマトペ」を、現象学の視点から解きほぐす鷲田哲学の傑作エッセイ。「文庫版のための、やや長いあとがき」を増補した決定版。 - 目次 - 言葉の感触 序にかえて 第一部 声のふるまい オノマトペのさまざまな顔 ぎりぎり/ぐずぐず/ちぐはぐ/ゆらゆら/ふわふわ/ほっこり/ぼろぼろ/なよなよ/にやにや/ねちゃねちゃ 第二部 音の絵 オノマトペの構造 1 音の絵 2 言葉の内臓感覚 3 律動と情調 4 感覚の越境 5 意味の内と外 6 魂の言葉 結びにかえて あとがき 文庫版のための、やや長めのあとがき - 著者プロフィール - 鷲田 清一 (ワシダ キヨカズ) (著) 1949年、京都生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得。大阪大学総長、京都市立芸術大学理事長・学長を歴任。大阪大学、京都市立芸術大学名誉教授。専門は臨床哲学・倫理学。著書に『モードの迷宮』(サントリー学芸賞)、『「聴く」ことの力』(桑原武夫学芸賞)、『「ぐずぐず」の理由』(読売文学賞)、『死なないでいる理由』『〈ひと〉の現象学』『所有論』など多数。
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君たちの記念碑はどこにある? カリブ海の〈記憶の詩学〉 | 中村 達
¥2,530
柏書房 2025年 ハードカバー 352ページ 四六判 - 内容紹介 - 西洋列強による植民地支配の結果、カリブ海の島々は英語圏、フランス語圏、スペイン語圏、オランダ語圏と複数の言語圏に分かれてしまった。そして、植民地支配は、被支配者の人間存在を支える「時間」をも破壊した。 つまり、カリブ海の原住民を絶滅に近い状況まで追い込み、アフリカから人々を奴隷として拉致し、アジアからは人々を年季奉公労働者として引きずり出し、かれらの祖先の地から切り離すことで過去との繋がりを絶ち、歴史という存在の拠り所を破壊したのである。 西洋史観にもとづくならば、歴史とは達成と創造を巡って一方通行的に築き上げられていくものだ。ゆえに、過去との繋がりを絶たれたカリブ海においては、何も創造されることはなかったし、「歴史のない」もしくは「世界史的に重要でない」地域としてしか表象されえない。 ……本当だろうか? “海が歴史であります” ――デレック・ウォルコット “「目に見える」歴史でなくとも、ここには歴史がある” ――エドワード・ボウ 本書は、『私が諸島である』で「第46回サントリー学芸賞(思想・歴史部門)」を受賞した著者が、カリブ海の風景に沈む地域的記憶を訪ねゆく試みをまとめた一冊である。 西洋の思想家が信奉する歴史の「外」に置かれてきた、カリブ海作家たちが想像/創造するオルタナティヴな思想の精華は、どのような姿をしているだろうか? “日本には、西洋社会の外から発信される記憶の思想を紹介する本はいまだ少ない。本書は、西洋の直線的な記録に抗い、海のような風景のプリズムを通して屈折し、反射し、揺らぎ重なり合い、形を変えながらも消えることのない記憶の光を描き出す、カリブ海の「記憶の詩学」を紹介する。カリブ海作家たちは、文学を通して歴史を再訪し、解体し、再構築し、そしてその記憶を想像/創造し直す。単線的な時間軸に縛られず、歴史を編み直すことで、かれらは過去へ未来へと縦横無尽に航海する多層的な記憶の物語を紡ぎ出すのである。[…]私がカリブ海のアカデミアに身を浸し、読み続けたカリブ海文学が持つ豊饒さを、読者のみなさんにも体験していただきたい。”――「序章 私たちがいなくなることはない」 かれらの詩学的挑戦に、今こそ刮目されたい。 - 目次 - 序 章 私たちがいなくなることはない 第1章 カリブ海作家と「記憶」との諍い 第2章 ホモ・ナランス――「遭遇」の記憶を物語ること 第3章 中間航路を読む――奴隷船と底知れぬ深淵の記憶 補 論 逃走/闘争の記憶――奴隷制とポスト西洋的な自由概念としての「マルーン化」 第4章 カリブ海の偉大な叙事詩――革命闘争の記憶 第5章 フラクタル・ファミリーズ――家族と記憶の倫理学 第6章 音楽という記憶装置――植民地支配の傷としてのトラウマ 第7章 植民地の教育と記憶――未来のために振り返る力 第8章 共に祝うために――国家としての記憶 第9章 革命は男の顔をしているか――カリブ海の女性の記憶 おわりに 参考文献 - 著者プロフィール - 中村 達 (ナカムラ トオル) (著) 1987年生まれ。専門は英語圏を中心としたカリブ海文学・思想。西インド諸島大学モナキャンパス英文学科の博士課程に日本人として初めて在籍し、2020年PhD with High Commendation(Literatures in English)を取得。現在、千葉工業大学准教授。主な論文に、“The Interplay of Political and Existential Freedom in Earl Lovelace’s The Dragon Can’t Dance”(Journal of West Indian Literature, 2015)、“Peasant Sensibility and the Structures of Feeling of ‘My People’ in George Lamming’s In the Castle of My Skin”(Small Axe, 2023)など。日本語の著書に『私が諸島である――カリブ海思想入門』(書肆侃侃房、2023)。2024年11月、同書で第46回サントリー学芸賞(思想・歴史部門)を受賞。
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私が諸島である カリブ海思想入門|中村 達
¥2,530
書肆侃侃房 2025年 ハードカバー 344ページ 四六判 - 内容紹介 - この海の下で我々は手を取り合う━━。 カリブ海思想について新たな見取り図をえがく初の本格的な入門書。 西洋列強による植民地支配の結果、カリブ海の島々は英語圏、フランス語圏、スペイン語圏、オランダ語圏と複数の言語圏に分かれてしまった。それらの国々をそれぞれ孤立したものとしてではなく、諸島として見るということ。カリブ海をひとつの世界として認識し、その独自の思想を体系化する画期的著作。これからのカリブ海思想研究のためのリーディングリストを付す。 「web侃づめ」の大好評連載が大幅増補され、ついに書籍化! カリブ海思想研究の俊英による待望のデビュー作。 「私が目指すのは、「カリブ海思想には独自の歴史がある」ということをお見せすることだ」(中村達) - 目次 - 序章 冒険の季節 第1章 ひとつの世界としてのカリブ海 第2章 1492を越えて、人間であること 解呪の詩学 第3章 カリブ海を定義する者へ 存在論的不純性 第4章 神話とカリブ海 悲しくも希望に満ちた叙事詩 第5章 出会いを押し進めるために 相互歓待 第6章 カリブ海の社会モデル論 プランテーション、多元、クレオール 第7章 環カリブ海的経験のクレオライゼーション この海の下で我々は手を取り合う 第8章 カリブ海によるクレオール的時政学 海が歴史である 第9章 ミサイルとカプセル 円環性の実践としての弁潮法 第10章 ニヒリズムに抗うクロス・カルチュラルな想像力 カリブ海的身体と幻肢 第11章 カリブ海のポストモダンの地平 カリビアン・カオス(前編) 第12章 カリブ海のポストモダンの地平 カリビアン・カオス(後編) 第13章 押し付けられた言語は誰の存在の家か 私ー像を描く言語 第14章 クレオール礼賛の裏で カリビアン・フェミニズム 第15章 クレオールの精神 カリビアン・クィア・スタディーズ 終わりに 参考文献 カリブ海思想研究リーディングリスト - 著者プロフィール - 中村達 (ナカムラ トオル) (著) 1987年生まれ。専門は英語圏を中心としたカリブ海文学・思想。西インド諸島大学モナキャンパス英文学科の博士課程に日本人として初めて在籍し、2020年PhD with High Commendation(Literatures in English)を取得。現在、千葉工業大学助教。主な論文に、“The Interplay of Political and Existential Freedom in Earl Lovelace's The Dragon Can't Dance”(Journal of West Indian Literature, 2015)、“Peasant Sensibility and the Structures of Feeling of "My People" in George Lamming's In the Castle of My Skin”(Small Axe, 2023)など。
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内在的多様性批判 ポストモダン人類学から存在論的転回へ|久保 明教
¥2,970
作品社 2025年 ハードカバー 328ページ 四六判 - 内容紹介 - ★作品社公式noteで「序論」公開中→「内在的多様性批判 試し読み」で検索! 「みんなちがって、みんないい」とは、いかなることでありうるのか? 最注目の俊英による人類学的考察。 ■國分功一郎(哲学者) 「かつて、多くの者たちがその問いについて悩んでいた。だが、あきらめずに最後まで考えようとする者は少なかった。いま、あきらめずに考え続けた者たちからの贈りものがここに一冊の書物として現れる。現代の隘路から決して目をそらさなかった著者による渾身の一冊。」 ■松村圭一郎(人類学者) 「文化相対主義は、なぜ人類学のテーゼではなくなったのか? 人類の多様性という視点に潜む矛盾はどう克服できるのか? 本書は、ポストモダン人類学から存在論的転回までの歩みを独自に転回しなおすことで、人類学者自身も言語化してこなかった難問に挑む。現代人類学がたどりついた理論的地平の最前線がここにある。」 SNSを中心に多様性の尊重が規範化された現代社会で、私たちは「多様性による統治」という新たな不自由を獲得しつつある――バラバラな世界をバラバラなまま繋げるための思考はどのように可能なのだろうか? 多様性批判の学として人類学を捉え直し、二〇世紀末からポストモダン人類学にいたる軌跡をたどり、二一世紀に提唱された存在論的転回までの学問的潮流を再考したうえで、「転回」のやりなおしとして「内在的多様性批判」を提示し、私たちにとって多様性というものがいかなるものであり、いかなるものでありうるかを思考する。 「本書の目的は、二〇世紀後半から現在までの文化・社会人類学の軌跡、とりわけポストモダン人類学から存在論的転回にいたる主な人類学者の議論を、多様性についての内在的な批判として提示することである。ここで言う「批判」とは、多様性を否定して同質性に回帰することを意味するものではなく、カントが「理性」に対して、あるいはむしろニーチェが「道徳」に対して行ったように、私たちにとって「多様性」というものがいかなるものであり、いかなるものでありうるかについて思考し記述することを意味する。」――本書「序論」より ******** 【目次】 序論 このバラバラな世界をバラバラなままつなぐために 第1章 「彼ら」の誕生 第2章 「私たち」の危機 第3章 ポストモダンを超えて――ラトゥール×ストラザーン 第4章 創作としての文化――ギアツ×ワグナー 第5章 関係としての社会――ジェル×ストラザーン 第6章 多なる自然――デスコラ×ヴィヴェイロス・デ・カストロ 第7章 「転回」をやりなおす あとがき 注/参照文献/索引 - 著者プロフィール - 久保 明教 (クボ アキノリ) (著) くぼ・あきのり 1978年生まれ。一橋大学社会学研究科教授。大阪大学大学院人間科学研究科単位取得退学、博士(人間科学)。主な著書に、『現実批判の人類学――新世代のエスノグラフィへ』(世界思想社、分担執筆、2011年)、『ロボットの人類学――二〇世紀日本の機械と人間』(世界思想社、2015年)、『機械カニバリズム――人間なきあとの人類学へ』(講談社、2018年)、『ブルーノ・ラトゥールの取説――アクターネットワーク論から存在様態探求へ』(月曜社、2019年)、『「家庭料理」という戦場―――暮らしはデザインできるか?』(コトニ社、2020年)など。
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オックスフォードの女性哲学者たち もうひとつの20世紀哲学史 | クレア・マックール(著), レイチェル・ワイズマン(著), 木下頌子(訳)
¥4,950
青土社 2025年 ソフトカバー 608ページ 四六判 - 内容紹介 - 戦時下の大学で哲学に再び命を吹き込んだのは、4人の女性たちだった。 第二次世界大戦前夜、4人の女性たち――アンスコム、マードック、ミッジリー、フット――が大学で哲学を学びはじめる。男性の学者や学生が次々に召集されるなか、4人は、戦争の悲惨に直面しつつ、それでも客観的な道徳の基礎を求めて、新たな哲学のあり方を模索しつづけた。困難な問いに挑んだ女性たちの姿をいきいきと描き出した、圧巻の哲学ノンフィクション。 2022年英国歴史作家協会(HWA)ノンフィクション賞受賞、2022年全米批評家協会賞最終候補、『ニューヨーク・タイムズ・ブックレビュー』など多数の有力紙誌で年間最優秀書籍に選出。
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現代日本哲学史 | 山口 尚
¥3,300
青土社 2025年 ソフトカバー 360ページ 四六判 - 内容紹介 - まったく新しい日本哲学の見取り図 哲学者を記述することは、たんなる思想の列挙ではない。本書で描き出されるのは、1970年代から現代において活躍する日本の哲学者たちの思索であり、それは同時にそれ自体が哲学であるような哲学史でもある。純粋思考、ア・プリオリな理論、歴史との対決を鍵概念につむがれる、現在進行形の哲学史。 本書に登場する哲学者:廣松渉・大森荘蔵・埴谷雄高・池田晶子・永井均・小泉義之・左近司祥子・鷲田清一・中島義道・野矢茂樹・浅田彰・田島正樹・河野哲也・鷲田清一・中岡成文・村上靖彦・大越愛子・森岡正博・竹村和子・柄谷行人・入不二基義
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裸のネアンデルタール人 人間という存在を解き明かす | リュドヴィック スリマック, 野村 真依子(訳)
¥2,420
柏書房 2025年 ソフトカバー 272ぺージ 四六判 - 内容紹介 - かつて地球には、 私たちとはまったく異なる人類が生きていた―― かれらはなぜ滅んだのか? 美意識はあったのか? その精神構造とは? 現生人類(サピエンス)に都合のいい幻想から脱却し、人間という存在を「ありのまま」に理解しようとする情熱的探究の成果! 赤道直下から北極圏まで駆けまわり、30年にわたり洞窟の地面を掘り続けた、第一人者にして考古学界の異端児による初の一般書。 “この先で、もうネアンデルタール人を同類とみなさないこと、つまりかれらは私たちの諸側面を投影した存在ではないのだと考えることが、なぜ重要なのかを説明しよう。完全に絶滅したこの人類は、私たちの抱く幻想をすべて足し合わせても及ばない存在なのに、私たちの視線でがんじがらめにされてしまった。私たちはかれらを同類に仕立てあげ、ありもしない姿に作りあげた挙げ句、無理やり歪めている。だから、ネアンデルタール人に固有の異質さを取り戻すためにも、私たちが抱いているおなじみの親しみやすさを取り除かなければならない。”(「はじめに」より) - 目次 - はじめに 第一章 ネアンデルタール人の正体 もう一つの知的生命体/ネアンデルタール人に立ち向かう/ネアンデルタール人の魂を探る/人間にとってオオカミはあくまでオオカミ……/絶滅/美術は時代の架け橋/さようなら、わが伴侶。大好きだったよ…… 第二章 北極圏の冒険譚――マンモスの民からクジラの民まで 氷の世界?/寒さを生きる/広大な北の大地を前に/時間との戦い/極地方初の入植者の足跡/見えざる極地の狩猟民/氷に閉ざされた未知の北極圏文明/極北のエデン?/世界の果てへの逃避?/東方と西方からの北進/極地に避難した最後のネアンデルタール人?/マンモスの民からクジラの民へ 第三章 森の食人種? 皆、これを食べなさい……/髄まで食べ尽くされた遺骸が出土/食欲とは無関係のカニバリズム/六年の発掘を経て現れた食人の跡が残る遺体/愛、飢え、貪食/数千年来の知識と戦略/逃げて! 逃げて! あれは人間じゃない!/ネアンデルタール人の儀礼? 第四章 儀礼と象徴?――疑問を検証する ヒト上科の死。先入観を手放す/時間的断絶/森の民からシカの民へ/ネアンデルタール人の成人儀礼? 第五章 ネアンデルタール人の美意識 ネアンデルタール人の芸術、儚い思考/幻想の残骸/落書きと意味のない模倣/最後のネアンデルタール幻想の崩壊?/不格好なかかし 第六章 人間という存在を解き明かす 自己認識について/火の記憶について/愛してる、でも私はそうじゃない……/谷から谷への追跡/歴史の断片的な繰り返し/武器を取れ! 相違の出現/二つの人類の基本的構造が明らかに…… 結論 この生き物を解放せよ 参考文献 - 著者プロフィール - リュドヴィック スリマック (リュドヴィック スリマック) (著) 世界的に有名な先史学者。ネアンデルタール人社会に関する研究の第一人者であり、現在この分野で最も活発に重要な発見を行っている研究者でもある。CNRS(フランス国立科学研究センター)在任。ローヌ渓谷のマンドラン洞窟をはじめ、赤道直下から北極圏までの発掘調査を指揮。「最後のネアンデルタール人社会」に焦点を当て、これらの集団に関する数百の研究論文を著している。その研究は『ネイチャー』、『サイエンス』、『ニューヨーク・タイムズ』、『エル・パイス』などでも紹介されている。本作『裸のネアンデルタール人』は、2022年にフランスで出版されるや否や話題を呼んだ。 野村 真依子 (ノムラ マイコ) (訳) フランス語・英語翻訳者。東京大学文学部卒、同大大学院人文社会系研究科修士課程修了。訳書に『こころを旅する数学』(晶文社)、『問題解決のための名画読解』(早川書房)、『フォト・ドキュメント 世界の母系社会』、『ミューズと芸術の物語 上』(ともに原書房)、『アートからたどる 悪魔学歴史大全』(共訳、原書房)など。
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怪異から妖怪へ | 東アジア恠異学会(編), 大江 篤, 久禮 旦雄, 化野 燐, 榎村 寛之, 佐々木 聡, 久留島 元, 木場 貴俊, 村上 紀夫, 佐野 誠子, 南郷 晃子, 笹方 政紀, 陳 宣聿, 京極 夏彦
¥1,870
文学通信 2024年 ソフトカバー 240ぺージ 新書判 縦195mm 横135mm 厚さ27mm - 内容紹介 - 「妖怪」はなぜ生まれたか。「妖怪」の見かたが変わる! 人は何かに出会ったとき、それを「怪異」と認識し記録に残す。そういった記録されたことばを分析することを重視してきたのが怪異学であり、本書の編者、東アジア恠異学会(ひがしあじあかいいがっかい)である。 動物の異常行動や異常気象など、もとは現象だった「怪異」を起こしていた存在は、時の経過とともに姿形などの輪郭を得て、すこしずつ私たちが知る「妖怪」に変容してきた。 本書はそんな「妖怪」の来歴を丁寧に読み解くことで、より探究心を得、新たな専門知を学ぶことができる入門書であり、近年になり語られるようになった新しい存在、むかしは起きなかった異常な現象についても、怪異学の技法でどう論じていけばいいか、ヒントも得られる実践の書でもある。 第1部「怪異学総説」では、「怪異」と「神」、「妖怪」の基礎とその関係を論じ、第2部「妖怪列伝」では、独立したキャラクター「妖怪」の成り立ちを、鬼、白沢、天狗、鳴釜、河童、一目連、九尾狐、オサカベ、件、水子霊から見ていく。[特別寄稿]チョコレートを食べること(京極夏彦)収録! 執筆は、大江 篤、久禮旦雄、化野 燐、榎村寛之、佐々木聡、久留島元、木場貴俊、村上紀夫、佐野誠子、南郷晃子、笹方政紀、陳 宣聿、京極夏彦。 - 目次 - はじめに─神と怪(大江 篤) 「怪異」を研究する「東アジア恠異学会」とは/怪異学は、記録された語を、分析することを重視/「怪異」研究のキーワードは「媒介者」 ○東アジア恠異学会のご案内 第1部 怪異学総説 [怪異とは何か、怪異学とはどういう学問なのか] 1 「怪異」と怪異学(大江 篤) 1 東アジア恠異学会と「怪異」/2 平安時代の「怪異」/3 神津島の噴火と「怪異」/4 新羅の外寇と「怪異」/おわりに [不可視の存在が語り始めるとき] 2 神─その形成と展開(久禮旦雄) 1 神と祟/2 社と祭/3 卜占と祥瑞/4 託宣と怨霊─語りだす神と霊 [これまでとこれからの「怪異」と「妖怪」の関係] 3 妖怪(化野 燐) 1 いくつもの妖怪/2 現象から存在へ/3 これまでの「妖怪」/4 これからの「妖怪」 第2部 妖怪列伝─どのように成立したか [「鬼」のイメージはどのように成立したのか] 1 鬼─『出雲国風土記』と日本古代の「鬼」(榎村寛之) はじめに/1 『古事記』と『日本書紀』の「鬼」と「鬼状のもの」/2 『出雲国風土記』の「鬼」/3 『出雲国風土記』の「鬼」字の使われ方と「鬼」の本来の姿/4 鬼の具象化─九世紀の事例と比べて/おわりに [神獣はどのように姿を変えていったのか] 2 白沢─俗化する神獣とその知識(佐々木聡) はじめに/1 祥瑞から辟邪へ/2 さまざまな白沢の姿/3 白沢図の流布/4 白沢図画賛の意義とその影響 [「神」か「妖怪」か、時代ごとに移り変わる定義] 3 天狗─天変から信仰へ[久留島元] 1 天狗は神か/2 古代の天狗/3 天狗をまつる/4 天狗と修験/5 天狗と天道 [近世という情報社会の中で膨張する怪異] 4 鳴釜─俗信から科学、そして諧謔へ(佐々木聡) はじめに/1 中国古代以来の祥瑞災異として/2 「自然の怪」から自然科学的理解へ/3 江戸時代の鳴釜神事 [室町から江戸時代まで、河童の歴史をたどる] 5 河童(木場貴俊) はじめに/1 河童は生物/2 河童は研究対象/3 河童を描く/4 河童信仰 [情報発信により地域の神様から妖怪へ] 6 一目連─情報の連鎖と変容(村上紀夫) はじめに/1 十七世紀文献に見える一目連/2 百科事典に掲載される/3 多度社の公式情報/4 香具師による便乗/5 一目連像の拡大 [祥瑞か、凶兆か、狐か、美女か] 7 九尾狐(佐野誠子) 1 祥瑞・凶兆であった九尾狐/2 美女(悪女)の狐/3 九尾狐と妖狐の結合/4 玉藻前の九尾化 [物語に貪欲な近世社会が「神」を消費する] 8 オサカベ(南郷晃子) はじめに/1 姫路城のオサカベ姫/2 『観自在菩薩冥応集』の仕掛け/3 書状について/4 書状をめぐる人々/5 妖怪化するオサカベ/おわりに [近世から近代以降まで、その特徴の変遷] 9 件(笹方政紀) はじめに/1 「件」の文字による特徴/2 皮革にまつわる物語/3 予言をする性質/4 神、あるいは神使としての存在 [水子霊をめぐる言説とメディアのあり方] 10 水子霊─夭逝した胎児の霊はどこに現れ、誰に祟るか?(陳 宣聿) はじめに/1 身の回りの災因と水子霊の創出/2 オカルトブームと水子霊の流布/3 ローカルの文脈で再生産された心霊スポット/おわりに [特別寄稿]チョコレートを食べること(京極夏彦) 参考・引用資料 執筆者紹介 - 著者プロフィール - 東アジア恠異学会 (ヒガシアジアカイイガッカイ) (編) 2001年(平成13)創設。「恠異」をキーワードとして、各分野からの研究者が集い、学際的な研究を続けている学術団体。代表は大江篤(園田学園女子大学教授)。 学会編著書として、『怪異学講義:王権・信仰・いとなみ』(勉誠出版、2021年)、『怪異学の地平』(臨川書店、2019年)、『怪異を媒介するもの』(アジア遊学187、勉誠出版、2015年)、『怪異学入門』(岩田書院、2012年)、『怪異学の可能性』(角川書店、2009年)など。お問い合わせは公式HP(http://kaiigakkai.jp/)まで。 大江 篤 (オオエ アツシ) (著) 園田学園女子大学学長・教授(日本古代史・日本民俗学)。著書に『日本古代の神と霊』(臨川書店、二〇〇七年)、『皇位継承の歴史と儀礼』(編著、臨川書店、二〇二〇年)など。 久禮 旦雄 (クレ アサオ) (著) 京都産業大学准教授(日本法制文化史)。著書に『元号―年号から読み解く日本史』(共著、文春新書、二〇一八年)、『元号読本―「大化」から「令和」まで全248年号の読み物事典』(共著、創元社、二〇一九年)など。 化野 燐 (アダシノ リン) (著) お化け好き、小説家。主な作品・論文に『人工憑霊蠱猫』シリーズ(講談社)、『考古探偵一法師全』シリーズ(KADOKAWA)、「妖怪百家争鳴 妖怪の分類・試論」(『怪』vol.12~22、二〇〇一~二〇〇六年、角川書店)、「「妖怪名彙」ができるまで」(東アジア恠異学会編『怪異を媒介するもの』アジア遊学一八七、二〇一五年、勉誠出版)など。 榎村 寛之 (エムラ ヒロユキ) (著) 斎宮歴史博物館学芸員(王権・祭祀・怪異に関する事いろいろ)。著書に『女たちの平安後期―紫式部から源平までの200年』(中公新書、二〇二四年)、『律令天皇制祭祀と古代王権』(塙書房、二〇二〇年)など。 佐々木 聡 (ササキ サトシ) (著) 金沢学院大学准教授(中国社会史、宗教文化史、書誌学)。論文に「中国歴代王朝における天文五行占書の編纂と禁書政策」(水口拓寿編『術数学研究の課題と方法』汲古書院、二〇二二年)、「通俗信仰と怪異―前近代中国の基層社会における災異受容史」(東アジア恠異学会編『怪異学講義』勉誠出版、二〇二一年)など。 久留島 元 (クルシマ ハジメ) (著) 同志社大学嘱託講師(日本中世文学、説話。天狗説話と修験の関係)。著書・論文に『天狗説話考』(白澤社、二〇二三年)、「狐火伝承と俳諧」(『朱』六十二、二〇一九年)など。 木場 貴俊 (キバ タカトシ) (著) 京都先端科学大学准教授(日本近世文化史)。著書・論文に『怪異をつくる―日本近世怪異文化史』(文学通信、二〇二〇年)、「近世怪異の展開と近代化」(『史潮』九十四、二〇二三年)など。 村上 紀夫 (ムラカミ ノリオ) (著) 奈良大学教授(日本文化史)。著書に『怪異と妖怪のメディア史―情報社会としての近世』(創元社、二〇二三年)、『近世京都寺社の文化史』(法藏館、二〇一九年)など。 佐野 誠子 (サノ セイコ) (著) 名古屋大学教授(中国仏教志怪)。著書に『怪を志す―六朝志怪の誕生と展開』(名古屋大学出版会、二〇二〇年)など。 南郷 晃子 (ナンゴウ コウコ) (著) 桃山学院大学准教授(近世の説話、伝承。特に怪異譚およびキリシタン説話)。著書・論文に『なぜ少年は聖剣を手にし、死神は歌い踊るのか―ポップカルチャーと神話を読み解く17の方法』(共編著、文学通信、二〇二四年)、「『老媼茶話』の魔術」(斎藤英喜編著『文学と魔術の饗宴・日本編』小鳥遊書房、二〇二四年)など。 笹方 政紀 (ササカタ マサキ) (著) 東アジア恠異学会会員(見世物、化物屋敷等で使用される怪異・妖怪)。著書・論文に『予言獣大図鑑』(文学通信、二〇二三年)、「戦時に件(クダン)を語る訳―戦時流言に関する一考察」(『世間話研究』二十七、二〇一九年)など。 陳 宣聿 (チン センイツ) (著) 東京理科大学嘱託助教(宗教学)。著書に『「水子供養」の日台比較研究―死者救済儀礼の創造と再構築』(晃洋書房、二〇二三年)など。 京極 夏彦 (キョウゴク ナツヒコ) (著) 小説家、意匠家。一般社団法人日本推理作家協会監事。主な著書に『百鬼夜行』シリーズ(講談社)、『巷説百物語』シリーズ、『談』シリーズ(KADOKAWA)、『書楼弔堂』シリーズ(集英社)など。
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無目的 行き当たりばったりの思想 | トム・ルッツ, 田畑暁生(訳)
¥2,420
青土社 2023年 ソフトカバー 200ぺージ 四六判 - 内容紹介 - 世界の見方を広げるための九つの科学講義 「「科学的」とはどういうことか」という問いかけから、松尾芭蕉が天の河の美しさを詠んだ俳句の考察まで。わたしたちの生きる世界にある大小さまざまな事柄を科学の視点から捉え直す。
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現代思想2025年3月号 特集=統治vsアナーキー
¥1,980
青土社 2025年 ソフトカバー 240ページ 14.4 x 1.3 x 22.1 cm - 内容紹介 - 目指すはより良き統治か、その外部か 政治をめぐる思考に潜在する「統治」の構想と「非統治」の探求という二つのモチーフ。両者の潮流はしかし深い分断のうちで、ともすれば互いに没交渉・無関心できた面も否めないのではないか。本特集では統治とアナーキーのありうべき緊張関係を保持しつつ、その両面を見据えていずれにも閉じることのない議論のフィールドを拓くべく、多様な視点から検討する。 line2.gif [目次] 特集*統治vsアナーキー 【討議Ⅰ】 歴史・抵抗・教育――社会と法をめぐる対話 / 坂本尚志+野崎亜紀子 【POLITICS】 アナーキー、統治、民主主義 / 森政稔 政治学とアナキズム / 羅芝賢 他者から逃れるための自由か、他者とともにあるための自由か――ロールズとノージックの対立を再考する / 玉手慎太郎 【HISTORY】 反暴政の構造転換――暴君はアナーキーの「一歩手前」 / 古田拓也 貨幣をめぐる統治を考える――クリプト・コロニアリズムと金属主義の亡霊 / 中山智香子 避難・船上生活・非統治――中国の湖上世界から国家の統治を考える / 太田出 【討議Ⅱ】 政治学者が読むグレーバー / 宇野重規+上村剛+野口雅弘+重田園江(司会)+網谷壮介(司会) 【SOCIETY】 統治とケア――サロゲート・ヒューマニティと死倫理学をめぐる覚書 / 清水知子 モノの統治性――ポストヒューマンとフーコー / 川村覚文 〈羊たち〉の沈黙――安全メカニズムによる統治とそこから零れ落ちた存在 / 中村健太 【ETHICS】 統治群衆とアナキズム群衆――二一世紀の「群衆心理学」のために / 山本圭 被統治者の倫理――スピノザとアディアフォラ / 佐々木晃也 アナキスト倫理学――変容と組織化のために / 渡辺一樹 【PHILOSOPHY】 アガンベンとアナーキックなリズム / 高桑和巳 喜劇としてのアナキズム――アナキスト脱構築に向けて / 伊藤潤一郎 アナーキー 統治なき統治の理想を描く / 橋本努 【追悼●川田順造】 最後の文化人、川田順造さんを悼む / 山極寿一 レヴィ=ストロースへの眼差し / 出口顯 【連載●社会は生きている●第三一回】 社会と自我7――自我の起源──言語と再帰性 / 山下祐介 【連載●京都〈移民〉紀行●第五回】 フランス人と京都(二) / 森千香子 【連載●現代日本哲学史試論●第一五回】 交換様式Dへ向かう脱近代的思考――柄谷行人の『世界史の構造』(二) / 山口尚 【研究手帖】 「サイズ可変」から見えてくるミセノマのアート / 有馬恵子
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農とアナキズム 三原容子論集 | 三原 容子
¥2,640
発行:アナキズム文献センター 発売:虹霓社 2024年 ソフトカバー 376ページ 四六判 - 内容紹介 - 著者が公害や差別問題と向き合う中で出会った「アナキズム」と「農本主義」。その二つのキーワードを手掛かりに、人と人の関係(アナキズム)、人と自然との関係(農本主義)にこだわり続けてきた三原容子。「アナキズム」が大学の研究テーマとして歓迎されなかった80-90年代、女性の立場から差別と支配のない社会を目指して奮闘する過程で生まれた先駆的な論文は今こそ読み返されるべき内容といえる。 これまで単行本化されることのなかった多くの著作から選り抜き、解説として「21世紀に「農とアナキズム」を読み直す」(蔭木達也/近代日本研究)を付して書籍化した。 カバー絵は辻まこと。 発行はアナキズム文献センター、発売は虹霓社。 - 目次 - 第一部 私の考える〈アナキズム〉 アナキズムの〈イメージ〉と私の考える〈アナキズム〉 大杉栄と「道徳」 「農本主義的アナキズム」の再検証 第二部 農本的アナキズムの思想と運動 Ⅰ 石川三四郎 石川三四郎とカーペンター、ルクリュ 石川三四郎の歴史哲学 『農本的アナーキズム』と石川三四郎 Ⅱ 加藤一夫 加藤一夫の農本的アナキズム 加藤一夫の思想 ――アナキズムから天皇信仰への軌跡―― Ⅲ 江渡狄嶺 江渡狄嶺の二つの時代 実行家から社会教育家へ 学校無用論と教育運動 ――下中弥三郎と江渡狄嶺を中心に―― Ⅳ クロポトキンの影響 日本におけるクロポトキンの影響について クロポトキン『倫理学』によせて クロポトキン『相互扶助論』と現代 Ⅴ 農村青年社 戦前アナキズム運動の農村運動論 ――その1 自連派―― 農村青年社について 農村青年社と現代 第三部 書評 書評 アナキズムとエコロジーとの接点 書評 ジョン・クランプ著『八太舟三と日本のアナキズム』 書評 保阪正康『農村青年社事件』 解説・解題 出版までのいきさつ 初出情報と若干の回想的コメント 〈解説〉21世紀に「農とアナキズム」を読み直す――三原容子論集に寄せて 蔭木 達也 三原容子著作リスト 前書きなど 三原が開拓した「農とアナキズム」研究は誰からも注目されることのないまま30年以上のあいだ停滞しており、加藤一夫に至っては90年の三原の『社会思想史研究』掲載論文(本書所収)がいまだに最新の研究文献といってよい状況だ。 〔中略〕 「農とアナキズム」をめぐる論集として本書が出版されることで、この方面への関心が高まり、小手先の環境対策や農業支援ということではなく、現代の学知や文化の有り様を踏まえてどのような新しい社会像を描くことができるか、支配と服従を超えた人々の共同による社会、農村と都市との対立を超える社会、そしてその建設の展望ないしその課題と限界について先達から学び、人間が生み出しうる抜本的な社会変革の可能性について、多くの人が考えをめぐらすきっかけとなればと思う。 (解説「21世紀に「農とアナキズム」を読み直す 三原容子論集に寄せて」蔭木 達也) - 著者プロフィール - 三原容子 (ミハラヨウコ) (著/文) 1955年名古屋市生まれ。京都大学教育学部卒業、京都大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。大学・短大の非常勤講師、人権問題の研究所・研究センターの研究員等を経て、2001年の東北公益文科大学開学と同時に酒田に移り住む。2014年に早期退職し「庄内地域史研究所」の表札を掲げる。 近年は明治初期のワッパ騒動、満洲農業移民送出など、近現代庄内地域史の検証や顕彰に関わる。巨大風力発電建設計画を問い直す活動にも関わっている。著書に『賀川ハル史料集』、共著に『新編部落の歴史』ほか論文多数
