いつも誰かが入れない 「女人禁制」から考える日本の性差別システム | 伊藤 春奈
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エトセトラブックス
ソフトカバー 128ぺージ
四六変形判 縦178mm 横128mm 厚さ9mm
- 内容紹介 -
「女性は土俵から降りてください」
「女が登ると、山が荒れる」
「穢れているから×○△(どうのこうの)」
「置かれた場所で咲きなさい」
――その「伝統」とやらの正体
マイノリティから居場所を奪う日本社会の生きづらさを、
排除の文化「女人禁制」から捉え直す、フェミニズムの果敢な試み。
21世紀になっても、まんべんなく「女人禁制」の文化・慣習が残る国、日本。伝統的な家庭を守り、シスジェンダー/異性愛の男性によって場を独占して社会を回すために、誰が、どのように排除されてきたのか。
相撲、古典芸能、寺、山、炭鉱の「女人禁制」を足がかりに、「男社会」がマイノリティを追い出してきた歴史と構造を読み解き、この問題はあらゆるジェンダーが当事者なのだと明らかにする。
フェミマガジン『エトセトラ』連載から大幅加筆!
柚木麻子の痛快〈女人禁制〉エッセイ「ラーメンいちから作ってみたら自然と腕組みしちゃってた記」
ナモナモ寺・野世阿弥インタビューを特別収録。
- 目次 -
はじめに――「道」ではなく「場」をつくる
第1 章 土俵――「あの事件」がさらけ出した「帝国」の論理
「伝統」の美名のもとに女性差別を正当化/「穢れ」の理不尽さにはシンプルに怒りたい/「土俵問題」、その後/帝国主義と結びついてしまった大相撲
第2 章 歌舞伎――古典芸能と疑似天皇制
特定の人しか歩かない一方通行の道――「極道」⁉️/『国宝』が描かなかった政治、歴史、汚さ/おなじみの「男だけの歌舞伎」は戦後から/古典のジェンダー類型を塗り替えた市原佐都子『弱法師』/仏教とフェミニズムの共通点
第3 章 山――誰が、何のために?
御殿女中、「男女平等」を求め富士登頂へ参る/勝手に高野山に登った女性たち/「それ女が登るで、山が荒れるぞ」/あの日、山頂から見た景色/禁制を解く裏に「煩悩」?/「男になれる」修行とは……/結局、女人禁制の山が執着する価値観って?/女性差別の「伝統」を支える男性知識人たち/アウトドア業界のいまどきマッチョ文化
第4 章 炭鉱――「女人禁制」を打ち砕く語り
貧困と「赤不浄」/「女と朝鮮人でもった」戦中の炭鉱/家制度を再生産した、語らぬ男たち/「名もなき」女性たちが変えてきた歴史/
おわりに
特別収録:
【インタビュー】ナモナモ寺・野世阿弥
「寺という場所から仏教やフェミニズムをちょっとずつ開く」
【エッセイ】柚木麻子
「ラーメンいちから作ってみたら自然と腕組みしちゃってた記」
はじめに―― 「道」ではなく「場」をつくる
伊藤春奈
日々、危ういバランスで立っている。足元がおぼつかないので、「着実に歩んでいる」という実感が乏しくなりつつある。7割の不安に怒りが2割、残り1割に希望らしきものを詰め込んで、絶望しないように、日々をやり過ごす術が身に染みついてきた。
この国では差別を制度化・慣習化してきたが、それがどんどん加速している。植民地主義は100年以上前から継続し、反省することもなく外国人差別が助長され、入管や警察署で外国人が命を落とし、福祉や教育、文化がないがしろにされる一方で軍事費は増大している。明日が見えず、弱い立場の者はどんどん自尊心が削られていく。行きつく先はどこだろう。
本書はフェミニズムマガジン『エトセトラ』の連載に加筆修正したものだが、その出発点は2018年、大相撲の土俵問題への驚きと怒りにあった。当時、それなりに話題を呼んだこの一件も、かの医大入試差別問題が起こると、雪崩を打ったように多くのフェミニスト、メディアがそちらに注力した。入試において女性差別がまかり通っていたとなると、多くの人が当事者になりえるわけで、放ってはおけないからだ。対して、大相撲の土俵問題の当事者はきわめて少ない。「(伝統だから)仕方ない」「(伝統だから)女性差別ではないかも」といった向きが大半だったと思う。
連載を重ねて私自身の「女人禁制」への理解が進むにつれて、怒りの解像度はあがった。いかに排除が進み、差別が正当化されてきたのか、その歴史とわずかな変化、全体像が見えてきたからだ。すると、「女人禁制」とはジェンダーを問わず誰もが当事者であるはずだという確信が深まった。「女人禁制」というと、「主に宗教的な背景から、特定の場所に女性を入れないこと」だと理解されている。この「定義」がそもそも目くらましだったのかもしれない。「女人禁制」の本質は、男女二元論、異性愛主義でマジョリティ(シスジェンダーで日本人、健常者など)を中心に据えようとする、日本の性差別システムである。さまざまなマイノリティを排除して、伝統的な家族観を守り、シスジェンダー/異性愛の男性によって場を独占して社会を回していく文化、慣習のことだ。家族観は、たとえば歌舞伎のように分野によっては前近代的だったり、近代家族規範だったりする。具体的には各章をお読みいただくとして、ここでは、「女人禁制」の根拠とされることの多い「穢(けが)れ」のなんたるかを指摘した文章を紹介しておきたい。
「日本人がなぜ血を――特に経血や産血を穢れたものとするようになったのかということである。(……)男性が女性を本質的に異なるものであると考えることによって生じた、月経や出産に対する不浄観が、女性を不浄な存在へと追いやったのではないかと思われてくる」(中野優子「女性と仏教――仏教の血穢観と母性観」〔『宗教のなかの女性史』、青弓社〕)。あるいは、「母性」と仏菩薩の愛とを同一視する言説についての指摘。――「平等・献身・無私・調和・安定・自然という言葉が連想され、日本的母性のイメージがよくあらわれている。また、こうした教団内の資料には、女性の自己犠牲的母性愛を賞賛し、女性に対して、母としての自己犠牲を強いるものが非常に多い」(前掲書)
かつて女人禁制だった寺院で修業した高僧が、麓の里にいる母に支えられて見事に修行をまっとうした、といったたぐいの美談がある。似た構造は今もあるにもかかわらず、仏教の学術界隈では批判的な声をあまり聞かない。そう、仏教界の「女人禁制」もしかり。批判的に読み解く術を教えてくれたのは、仏教研究者である源淳子さんらフェミニストの先達であった。「1300年の伝統」という権威を笠に着ていまだ禁を解かない大峰山(奈良県)関係者から源さんが聞いたという言い訳「男の甘えを許してほしい」も記録しておきたい。仏教にかかわらず、マイノリティを排除して恥じない日本社会を見事に象徴するフレーズだ。身近なところで似たフレーズを聞いたことがある人は多いのではないか。「甘え」という懐柔によって、「男」以外には変わらずケアを求め、周縁に留め置くことを強い、言葉を奪ってきたこの社会。「伝統」としておけばみな言うことを聞くだろうという「甘え」は、欺瞞にすぎない。変わらない、変えさせないことで多くの人が場を奪われ、言葉をかき消されてきたのなら、暴力的ですらあると思う。
(「はじめに」より)
- 著者プロフィール -
伊藤 春奈 (イトウ ハルナ) (著)
大学卒業後、出版社、編集プロダクションを経て2006年よりフリーランスの編集者・文筆家に。2017年頃、北村兼子の著作を紹介することを目的に「花束書房」を立ち上げ、2022年より出版をスタート。同年に『ウィメン・ウォリアーズ はじめて読む女戦記』(パメラ・トーラー著、西川知佐訳)を刊行した。他の刊行物に、『未来からきたフェミニスト:北村兼子と山川菊栄』、『帝国主義と闘った14人の朝鮮フェミニスト:独立運動を描きなおす』(尹錫男画、金伊京著、宋連玉・金美恵訳)、『戦争と芸術の「境界」で語りをひらく:有田・大村・朝鮮と脱植民地化』(山口祐香、チョン・ユギョン著)。著書に、『〈姐御〉の文化史』(DU BOOKS)、『ふたり暮らしの〈女性〉史』(講談社)などがある。『エトセトラVOL.9 特集:NO MORE 女人禁制!』(エトセトラブックス)では特集編集をつとめた。出版社としても書き手としても、植民地主義をフェミニストの視点から問い、打開する活動を続けている。
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